見出し画像

走り初め

高二の時に手に入れたウエルビーの運搬車で実家の和歌山から友達の住んでいる大阪まで行くことに。
まずは浜寺公園で待ち合わせをした。

走行距離60キロ、普段のロードバイクならすぐだが、今回は重量のある運搬車だ。休憩含めた移動時間は7時間😱

孝子峠。和歌山と大阪を繋ぐ県境の峠

和歌山市から堺市まではほぼ平坦だが、この孝子峠は例外で、そこそこきつい峠だ。いつもなら登れるが昭和自転車ではそれは通用しない。途中から手で押して上がった。

現代と昭和の自転車で最も違う点はやはりロッドブレーキだと言える。
止まらない、と言うことはないがやはり注意が必要で、下りは特に注意をした。孝子峠の下りはカーブが多く、危険な場所が多い。初めて行った時の下りもとても怖い思いをした。
道を通ったことがある人は分かるかもしれないが、孝子を下って岬公園に行くまでの道に、廃バスを改造した建物がある。記念に写真を撮った。

廃バス。私はこういった草ヒロも好きだ。日野RB10くらいしかわからない。乗用車ならわかるが、私はバスには詳しくない。この車種が何かは知らない。

岬公園も過ぎると、泉南くらいまでアップダウンの道が続く。
私が一番驚いたのは、意外と運搬車はスピードが出るところだ。行く途中で何台もの自転車を追い越したが、全く力を使っていない。

泉チェーンの建物があった。

まだまだ進む。

泉佐野に入る
やはり格好良い。

途中で1回目の休憩に。あまり疲れてはいないが友達との時間を合わせるために一旦コンビニに寄った。
途中、買ったものを自転車のそばで食べていると数人に声を掛けられた。
やはり今の時代、私のような人間が古い自転車に乗っていることが珍しいのか、懐かしい昔話を教えてくれた。大体の人が話すのは三角乗り。

自転車文化センターHPより。子供たちは脚を前三角に入れ、工夫して漕いでいた。

かつては子供用の自転車が家にある家庭は珍しかった。私の自転車は昭和40年代のものだが当時でも少なかったのだろう。ましてやそれよりも前の時代となるともっと少なかった。今の自転車とは違い一家に一台しか自転車がないのが一般的だった。割合では自転車を持っていない家庭の方が多かったのでは。当時の自転車は2ヶ月分の給料でやっと買える値段だった。

どんどん進むと、岸和田市に入る。

岸和田城。いつか中も入ってみたい。

26号線は何度も走ったことがあるので道を覚えている。毎度のこと岸和田城の門の前を通る時は心が高まる。

コンビニ休憩再び

高石市に入って2回目の休憩をする。友達もそろそろ出発したという。

ついに浜寺公園駅に到着。

長い道のりだった

友達と合流。私はウエルビーの4A運搬車、友達はブリヂストンのカントリー号。

こうしてみるとやはり昭和自転車は美しい。

浜寺公園の芝生で撮った2台の昭和自転車。

長い間、これがしたかった。
後ろからの眺めも美しい。



                               
                                 終

いいなと思ったら応援しよう!