ライフストーリーワーク②乳児院編―後編―
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https://note.com/xanxuskane/n/n6cb3b3c23d7a
“虐待をうけている子どもが他者に助けを求めることがどれほど難しいことか。そもそも、虐待をうけているという自覚があるかどうか…“
「みかんちゃん」と「だいちゃん」。本名は知らないが、いまだにこの呼び名を覚えている。おそらく担当職員として僕と関わり、みてくれていたのであろう。「どっちにだっこされたい?」と僕を挟んで度々行われるこの微笑ましいやり取りが嬉しかった。僕はこの2人の職員さんが大好きだった。
もちろん。他にも覚えている職員さんはいる。
とても厳しくて、みんなが名前を聞くだけで震えあがる「おばちゃん先生」もいた。少し古いが、おしりペンペンの刑というのが記憶に残っている。実際にされた記憶はない…。
この「おばちゃん先生」に言われた“ある言葉”はずっと心に残っていて、僕を苦しめる呪いになる時もあれば、後に僕を助けてくれることにもなる。
乳児院で怖いものが“2つ”あった。
1つは先程の「おばちゃん先生」。
もう1つは「おばけ」。
施設には「おばけ」が出た。といっても、僕にしか“聴こえていない”であろうおばけの声。毎日ではないが、週に何回かの頻度。
寝ているときに、たまにおばけの唸り声が聴こえる。寝ている時だけなので、朝にはコロッと忘れている。ただ、夜は怖かった。声ははっきりと聴こえていたと思う。「お…おまえのうしろに…」
怖くて目を開けることができなかったが、その声は僕の耳元で聴こえていた。夢なのか現実なのか。怖い思い出。これが原因かどうかわからないが、僕は夜寝る時は布団を顔まで覆わないと不安で眠れない。夏は暑いから口だけ出す格好だ。一種の恐怖症かもしれない。
それでも楽しいことの方がたくさんあったように思う。「みかんちゃん」と「だいちゃん」。今はどうしているだろう。僕のことを覚えているだろうか。もう20年以上も昔の話。会えるならもう一度会いたい。
「保育士になったよ。自分なりに頑張ってるよ。色んなことがをあったけどさ」
あの時に仲がよかったみんなはどうしているだろうか。もし再開できたら、昔話に花を咲かせて笑い会えると勝手に思ってる。そうだといいよね。
20年後の僕は保育士になっている。わずかな記憶を頼りに自分の過去に何が起こったのかを専門職として冷静に分析している。
その中で、1つわかったことがある。
夜に聴こえていたあの“おばけの声”の正体。
あれは、「だいちゃん」の声だ。
毎日ではなく週に何回かの頻度なのは、おそらくだいちゃんが宿直か夜勤の時に行われていたからであろう。理由はわからない。
幼いながら僕は気づいていたんだと思う。でも僕は誰にも言ってない。
誰かに言う動機もなければ、そもそも言うという選択肢がなかった。自分が異常なことをされているという自覚がなかった。
僕の乳児院での記憶はここまで。
次回からは卒園してから養母と兄と3人暮らしの“養母編”です。
年齢が上がるにつれて追憶から確実な過去へ。描写もより現実的になると思います。
それではよしなに。