今が一番若い

何気なく耳に入ってきた「まだ若い」というラジオの言葉が頭に残った。
内容はわからない。励ましでもしていたように思う。よく聞くやつ。

まだ若い、を裏返すと「もうトシだ」になる。
歳を重ねるとどうなるんだろう?
僕もそこそこ重ねてるぞ。

何がひっかかったか判らない言葉をとりあえずここに置いておく。また考えよう。

(続き)

まだ若いから➡大丈夫
もうトシだから➡ダメ、終わってる

という構図なのか。そこにあるのは若さという抽象的なものだ。価値があると世間で思われてるやつだ。
若さにあってトシを重ねるとなくなっていくものは何だろう?
自分を振り返って失ったもしくは順次減少してるものを考えると、まぁ体力は落ちた。瞬発力も減った。毛髪は相変わらず剛毛多毛だが肌艶は勢いがない。
夜更かしできなくなったし睡眠不足は仕事に響いてやってられんと思う。
なんだか体力的物理的なことばかりだな。そんなものだけなのか?
逆にトシを重ねると増えていくものってなんだ?
経験と知恵、くらいか。

知恵や経験は長年エネルギーを費やした結果として得たものだ。そういう意味でエネルギーと知恵はひと繋がりと言えなくもない。

(続き)

若さという、抽象的なものを対価にして得た具体的なものか(物ではないけど)。稼いだ金を使って物を買うのと大差はないな。
若さそのものに価値はない。お金は材質としてはほぼ無価値なのと同じように。それと引き換えられる具体物こそが価値を持つということだ。

大昔、夏休みが始まる頃になると学校の帰り道に「東映まんが祭」の割引券が束になってガードレールに括られていた。それを発見すると子供たちは群がって我先に束を引きちぎって自分のものにした。僕もそのひとりだった。自宅に持ち帰ってこたつに置いておくけど、まんが祭に行きたいわけじゃない。ドラハッパーもドラQパーもお呼びじゃない。
大切なのは「割り引かれる」という価値があるものを大量に持っていることで、お得に映画が観られることじゃないのだ。
夏休みが終わり、まんが祭が終わり、こたつには束のままの割引券が置かれている。涼しくなると母親に処分されてそこにあった価値の可能性は消えてなくなる。

若さとはこんなもんじゃないだろうか。使わなければどんな価値にも換わらない。無駄遣いすることができるし、やがて枯れていく。

じゃあ知恵や経験を手に入れるためには若さが欠かせないのか?
トシを重ねるとそれ以上の上積みができなくなってしまうのか?
そうでもないような気がする。
重ねた年月で手にした知恵や経験は、新しい何かをするときの道しるべになることがある。ショートカットとも言える。本当なら1,000くらい必要なエネルギーを600あたりに割り引いてくれることがある。無駄なことをしなくてすむ。少なくなったエネルギーを節約できるというわけだ。

だったら若くてもトシを重ねても本質的に何の差もないということか。はじめの一歩を踏み出すかどうか、が肝心なのか。
結局本人の資質が全て、という面白くもなんともないところに収束してしまった。つまらんな、こんな話。

(続く)

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