6/17 「あなたを必要とする人は誰だろうか?」を考える
6月17日
「あなたを必要とする人は誰だろうか?」を考える
の自動音声認識による文字起こし。
おはようございます!
みんなで作る、みんなのためのMETAVERSEXANAのファウンダーリオがドバイからお届けするMETAVERSEチャンネルです!
さあ、過去ですね、4日間かな?にわたってこのXANAの新しいXANA転生ですねゲームを中心としたXANAのリビルド、リコウチクというものについて熱く語らせていただきました。もうさすがにですね、4日間話し続けたので一時期ですね、とりあえずはもう大体まとまってきたかなというところで、皆さんのいただいた意見を元に、明日日曜日のAMA会などで最終的な決定などを行っていきたいなと思いますので、今日はね、ちょっと趣旨を変えてお話をしてみたいなと思うんですね。
ちょっと今、生活リズムがですね、今日ちょっとおかしくてめちゃくちゃ、昨日早く起きて今4時ぐらいに起きたのかな?そうで、1回も寝ずにですね突っ走って行って、さすがにちょっと夜若干ダウンして今起きてね、これを作ってこれを書いてるんです。これを書いてるというか、撮ってるんですけども、なんでそんな言い間違いをするかというとですね、先ほどですね、ザナフェスのためのですねまた曲を書いていたんですね。ようやくね、結構今回色々できてきたなというところでいくつかですね、プロジェクトが同時進行しておりまして、これ音楽プロジェクトですね自分以外のものも含まれていて、ですねザナフェス全体、そしてザナ全体を巻き込むようなですね新しい音楽展開というものを色々考えています。
これね、ゲームの企画というものが皆さん、指導でやっていくザナダオの皆さんと指導でやっていくものだとすれば、ですねどちらかというと音楽は僕が発信拠点というかですねになって、そこがですね色んな人たちと関わり合いながら色んなものを構築していくという作業なんですね。それはザナフェスであり今準備しているものでありですねいくつかあるんですよ。
今日ですね、久しぶりこんな時間に起きてでも久しぶりなので若干賢者モードになっていて思ったのがですね、人とのコミュニケーションというものをですね、あとビルドをですね構築というものを過去、僕は数年間にわたってしてきました。その前はですね、やっぱり制作者だったんで寝ても覚めても制作制作で、それを持ってライブツアーに行ってみたいな感じだったんですよ。その時は主にインドネシアにいたんですけども、中国とかインドネシアにいてそこ拠点で海外を回るみたいな感じですね。だからね、すごい自分と向き合う時間というのはめちゃくちゃ長かったんですね。1日の結構ほとんど大半というかほとんど全部家をスタジオ化して作ってたんで、そこにチームメイトと一緒に住んでみんなでこう何かものを作ってレコーディングしてみたいなカラサルしてみたいな生活スタイルだったんですけども。
そこからですね、突如僕はそこからですね、こういう制作というかですね開発とか、あと企業ですね全般的に企業ですね企業って基本的にあんまり個人事業じゃない限り一人でしないじゃないですか。だからいろんな人たちとの関わり合い、そしてそこから集まってきてくださったコミュニティの皆さんとの関わり合いであったりとかパートナーであったりとか世の中全てですね世の中全てとの関わり合いみたいな気がするんですよ。そこで大きく生活スタイルが変わったんですね。そんな中で本当にかれこれ数年間にわたってあんまりこうね、内向的になるというか自分自身と向き合って何かをするという時間ってそんなになかったんですよね。なんで、この合間合間に何かを作るという作業がすごい自分を見つめ直すきっかけになっているんですよ。
僕はですね、クリエイトする立場としましては、ずっと基本的にXANAの主な設計とか、この企業自体のこのXANAプロジェクト自体の設計みたいなものも、自分の中で行ってきまして、それをプロダクト化していくアイディアとかね、いろんな作業ですね。これも行ってきましたんで、言ってしまえば作曲しているようなものなんですよ。同じかなと思うんですね。もともとコンピュータミュージックだったので、コンピュータでデザインしていくというものを音デザインするのか、プロダクトデザインしていくかの違いですから、音楽は全部自分で一人でやるんですけども、開発はですね、やっぱりデベロッパーがいるので、自分はそうですね、何か設計をするとか、設計とデザイン、全体の思想みたいなものを作って、それを実際に落とし込む、現場に落とし込んで物に仕上げていくというのがデベロッパーの仕事みたいな感じなんですけれども、若干違うけどね、ほとんど一緒なんですよ。
どちらかというとですね、プロダクトというものをそれ自身が、僕たちが作っているのは特にやっぱりプラットフォームなので、そこを自身が意思を持つというよりも、人の意思ですね、いろんな人たちが集う場所。プラットフォームというのは駅のプラットフォームと一緒で、いろんな人が行き交う場所、物とか人とかが行き交う場所なんで、そこに意思は別に存在しないんですよ。それよりも、いかにスムースにいろんな人たちが行き交ったりとか、そこに物を蓄積していったりとかすることができるかというところがすごくポイントなんですね。
自分でストーリーみたいなものを作ったり、思いとかメッセージみたいなものを作ってというのは、そんなにそこまで重要視されてなかったんですよ。本当にこのザナフェスがきっかけで、再び音楽の世界に戻ることになり、それまで本当にかなり4年間ぐらい離れていたんですよね。ザナフェスが始まるまでは、それがきっかけで戻るようになり、そしたらですね、いろんな点と点がつながってきて、今、みんなで作るゲームプロジェクトのほかに、どちらかというと、それもさることながら、もう一つのイベントをやっていくとか、メタバースでのイベント、音楽イベントとか、そしてリアル世界でのイベント。これもどんどん大きくしていきたいなと思っているんですけども、こういったことをやるきっかけになって、それって自分の中での人生のまた再び大きな転機みたいなものなんですね。それをやったことによって、すごくたくさんのものが広がったんで、それこそ本当にザナフェスからスタートする今回のザナフェスも、今までのザナフェスとは違って、いろんな出演者が出るんですよ。
また違ったものになると思うんですけども、これもうすぐ詳しく発表されると思うんですが、これをもっと大きくな形にしていきたいなという漠然な図が自分の中にあって、フェスですからね、これいろんな人たちの、これもフェスといえばプラットフォームみたいな感じなんで、いろんな人たちが交わる場所で会ったりしたいなというふうに思っているんですね。なんでそんな中で自分は何なんだろうっていうところなんですよ。いろんなね、今はDJとアーティストって若干違うんですけども、そうですね、DJはどっちかというとキュレーター的なパフォーマー的なキュレーターとパフォーマーが合体したみたいな感じで、アーティストってやっぱり自分の中でメッセージを発信するじゃないですか。だからザナダウンなんかにいらっしゃるようないろんなものを作る人ですね。同じような感じになって物事、制作に取り組むんですね。
そう、だから僕はいつもそうやって思い返してみると、音楽をやっていた時代もセルフプロデュースやセルフマネジメントだったので、どうやって自分たちを広げていくかっていうことであったり、他の人たちと関わり合ったりするっていうところの目線と、あとは自分のグループのプロデュースもやっていたので、このグループをどういうふうにしていこうかっていう、どちらかというと今のザナみたいな目線ですよねっていうような目線と、あとでも物を作るってなったらね、本当に自分自身の中から生み出してくるものなので、自分自身と語り合いながら、自分は一体どんな音が好きで、どんなメッセージを発したいんだろうっていうことをやっぱり考えるんですね。それが今バージョンアップして人が集うザナ人が集うイベントザナフェス。
そしてその中で新たな、いろんな方々が作ってくださっている物を作ってくださっているザナがあって、いろんな人がこれからやってくるイベントがあって、今までやってきた4年前とか5年前とかまでやっていたものが、結構次世代バージョンになって帰ってきたみたいな感じなんですよ。進化してなった時に、自分もその場所にまた帰ってきて、結構ある意味原点回帰と進化みたいなものが同時に起こっている感じなんですね。そうなってきた時に、じゃあ自分は今何を言うんだろうっていうところで、前初めて前回のザナフェスで、多分5年ぶりぐらいに音楽を作ったんですけれども、今回も作っているんですよ。
これはすごく自分の中で、5年間くらいあんまり見てなかった自分のことを知る機会みたいなものになっていて、多分これはおそらく自分の中で、癒しというか何なんだろうな、消化みたいなものなんですよ。癒しっていうよりも消化ですね。消化って何ていうのかな、コンズームしていく消化じゃなくて、小龍犬の章に花々しいの花ですね、こっちの消化ですね、っていう感じで、これどういう意味かっていうと、何か溜まっているもの、自分の中で溜まっているものを外に出すことによって解放することによって、何なんだろうな、これ、不思議な創作って不思議ですよね。
それを考えると、絶対自分の中から始まるじゃないですか。DJはそこにあるものを持ってきて組み合わせるんですけど、創作は自分の中から出てきたものを外に出すことによって、何がどうなっているんでしょうね、これ。消化としか言いようがないな、絶対に何かが良くなっているんですよ。大社と同じで、老廃物を外に出しても、老廃物じゃないんですけども、老廃物を外に出して新しいものを取り込むじゃないですか。大社っていうのと同じだと思うんですよ。
何か自分の中に溜まっているものがあり、それを外に出したいと思います。それによって、客観的に眺めることができたり、新しいものを取り込むことができたりする精神的な効果があると思いますね。制作には、人間として、この瞬間に何を思っていて、何を発信したいのかを考えます。これは、ボイシーに話している内容と若干異なりますが、自分のザナの代表者や企業家としての声、コミュニティの一員や代表としての自分の発信といったものがあります。それもまた自分なんですね。
しかし、すごい人になっていない限り、自分が一人になっても、目の前に10万人でも100万人でもたくさんの人がいて、その人たちが自分の言葉を聞きたいと待っている状況を想像してください。そんな中で、「何を話してもいいですよ」と言われた場合、何を話しますか? これを意識すると、多分に本当に発信したいメッセージや言いたいことが出てくると思います。そこには、人間的な関係性は存在しません。自分と社員でもないし、自分とコミュニティでもないし、自分とお客さんでもありません。お客さんではなく、要は大衆ということです。自分とその他全ての人たちとの関係性がないということです。詳しく言うと、音楽でもビジネスでも、ファンがいるかもしれませんが、とにかくシンプルに言うと、自分と世界との関係です。自分とその他全ての人たちとの関係には因果関係や経済関係は存在せず、ただ単に人々が集まった時に、何を伝えたいのかということです。
アーティストやクリエイターと呼ばれる人々は、そこに意味を見出しています。何かを言いたい、叫びたい、存在を主張したい、自分がこんな存在で、こんなことを思っていると伝えたい、またはこのような方法で何かを伝えたいという欲求があるのです。それはまさにしたくてたまらない衝動のようなものです。クリエイターたちは、そういった衝動を抱えています。だからもうどれだけ大変な作業だろうが、作らざるにはいられないっていう感じなんですよ。
もう作らざるを得ないと、もう作りたくて作りたくてしょうがないみたいな、こういう感じですよね。ビジネスマンとか企業家がもう金を稼ぎたくてしょうがないとか、何か貢献したくてしょうがないみたいな感じで、クリエイターの人たちって何かを表現せずにいられないって、こういう人種なんですよね。結構特殊です。これはそういった人一倍声がでかいというか、何か特殊な人ですよね。
何かを発したいっていう人がたちがアーティストだとするんであれば、じゃあ自分は何を発信するんだろうと、先ほど言ったような社会性を持つですね、企業家利用とか座の代表利用とか、みたいなものを去っておいたときに、人間として何を発信したいのが自分なんだろうってことに向き合う作業なんですよね。当然これはすごく自分のためになっていて、常にやっぱりですね、何て言うのかな、本当に一人の人間として帰ってくるみたいな感じなんですよね。
あまりにも外出の時間が長いというか、社会的な自分を生きすぎていますので、現在ってね、一人で立ち帰る瞬間があると、皆さんもそういった日記とか、自分自身に語るとかやると思うんですけども、そういったものが僕にとっては音楽だったりするんですよね、っていうことが、5年ぶりぐらいに思い出したという感じです。やってみて実際で、じゃあそこでいろいろですね、自分が発しているメッセージも音はね、わかるんですよ。
音は自分が好きって決まってるんで、それは何か、それを探していく作業というかね、形にしていく作業みたいな感じなんですけど、言葉メッセージを発すると、例えば歌詞を作るとかね、これも全く違うんですよね。これは何かというと、AKBとか秋元さんみたいに、何かをプロデュースしてヒットを狙うっていうことのような意味で書いてないんで、何が受けるかとかって言うのじゃないんですよ。じゃなくてもう自分、何が言いたいかって、それだけなんですよね。
本当にこれはなんか今特に何か、それを何ていうのかな、リリースしてめちゃめちゃプッシュしてっていうことは、とりあえず一切あんまり考えずに、とにかく何ていうかな、言いたいことを書くみたいな感じなんですね。ってなった時に、結局ね、僕って昔から全く同じ一つのことくらいしか、ほぼ何か言ってないなっていうことがね、改めてわかったんですよね。それはいったい何かっていうと、自分はね、とにかくここからどこかへ行きたいっていうなんか、そういう強烈な何かがあるんですよ。
もうそれはね、もうね、衝動ですマジで、人間の三大欲求みたいなものと、僕それと本当に同じくらいのレベルで、なんかもうめちゃくちゃ何か、そういうね、あるんですよ。これはね、結構不思議な感覚なんですけど、よくね、映画とかのなんか、小説とかのタイトルで、「ここではないどこかへ行きたい」みたいな言葉があったりするんですけど、まさにああいう感覚ですね。
別にいいんです、ここはいいんです、ここはいいんだけれども、何かを目指してるんですよね。何かでかいものを目指していて、何か、例えばそれが見たい景色であったり、行きたい場所、具体的なフィジカルな場所じゃなくて、自分の立っている状態というか、そうですね、そういった自分の在り方みたいなところを、とか、自分の周りを取り巻くものとか、全てを総合して、行きたい場所と呼ぶとするならば、自分の中にすごくあって、とにかくそこに向かって行きたいということしか言ってないんですよ。
とんでもないですね。多分、僕は中学校とかの時から音楽(小学校でも)だな、歌詞とか書き始めたら、小学校とか、なんで、そこから同じことしかほぼ言ってないみたいな感じ、わかりますかね? かなりそこまできたら、もうやばいですよね。もう、何ていうの、病的な何かがあるんですよ、病的な衝動があるんですよね。それを言える唯一の場所みたいな感じなんですよね。自分で何か、そういう作るメッセージって、それが誰の何の役に立つのかって言われたら、それはちょっとまだわかんないんですけど、本当に少なくとも、自分はそれを発することによって何か救われてるんですよね。きっと、何かまた、「よし、自分でこういうこと思ってるんだよ。しっかり明日からもっと頑張ろう」とかね、今、自分がいる位置、ここまでは来れたな、でも、まだまだこれが足りないなとかね。でも、やっぱりそこに行きたいよね、っていうことをずっと言い続けてるんですよね。
そこが、じゃあ、それ、何かって語り出したら、あとボイシー3本ぐらい取らなきゃいけないんで、そこは一旦、端っこにして、ですよね。言うとなると、きっと、きっとね、そこの自分が行きたい場所に対して、それが何かをさておきながら考えてみると、きっと、きっと、絶対近づけていると思うんですよ。少なくとも、遠ざかっていることはなくて、年々、年々と、多分近づけているっていうのは、自分の中に、特にザナを始めてからかな、は思っています。それは近づいていけてるなって、やっぱり実感があるんですよね。できることも、やっぱり増えてきたし、取り巻く人も多くなってきたし、強くなってきたし、仲間も増えてきたし、こうやって、これを聞いてくださるコミュニティの方々もいらっしゃるし、みんなで、それも何か、会社とかユーザーとかの枠組みを超えて、新しいDAOっていうものを作って、みんなで作っていこうというようなことに取り組んでいたりするので、本当に、それって、自分がずっとやりたかったことだし、自分でやりたかったことと、自分の行きたい場所っていうのはつながっているので、きっと近づけているんですよ。
確実に、一歩ずつ、一歩ずつでも、全然まだまだりないっていう、強烈な衝動があって、なんか、これ、命の叫びなんですよ、魂の叫びなんですよね。ほぼ、それをずっと書き続けてるっていう感じなんですね。久しぶりに4,5年ぶりに、また書き出して、また同じこと言ってるみたいな感じで、全ての曲が同じような歌詞なわけじゃないんですけれども、やっぱり、本当に、それを改めて、こうやって言語化して、誰かに伝えてるっていう時に、改めて、自分でも結構びっくりしたんですよね。こんなに、そんなに痛いのか、みたいな、そんなに強烈なのか、みたいなね、あるんですよね。本当に、きっと。
でも思ったのはね、思ったのは自分で作ってて自分で家で聴くわけじゃなくて、当然のことながら自分が何かを作ってそれをいろんな人たちに聞いてもらいたいわけじゃないですか。見てもらいたいわけじゃないですか。なった時にやっぱりそこって何なんだろうな、ちょっとイメージするんですよね。これを通じて自分はあえて言うならばですよ、作ってる時点で満足なんですけれども、あえて言うんだとしたら、それを聞いてもらうことによって何かやっぱりポジティブな影響というか何かを得てもらえたら、すごい嬉しいなっていう感じなんですよね。
これってプロダクトを作ってる感覚と全く違うんですよ。プロダクトは人のため全てみたいな感じで作ってるんですよね。だから自分は別に入ってないんですよ。人のため全てみたいな感じで作っているから、それを必要とされた時によかったとちゃんと必要としてもらえたらよかったっていう感じなんですけど、自分がある意味自分のためにもでも作ってるようなものが誰かに何かいい影響を与える時っていうのは、それはそれでめちゃくちゃ嬉しいんですよね。
音楽って言ったら、例えばね、結構世の中の僕がかつて分析したことがあるんですけども、世の中の結構大半はラブソングなんですよね。男女のラブソングだと思うんですよ。それが多分僕は7割8割ぐらいを占めてるんじゃないかなって思ったんですよね。残りの多分1割か2割くらいの曲がその他のことを歌ってるみたいな感じなんですけど、ほぼほぼ男女なんですよね。これ、何かっていうね、これも分析したことなんですけど、やっぱりこれって共感を呼びやすいんですよ。みんなが愛とか人を好きになったりとかっていう感覚って好きになったり別れたりとかね、これって誰しもが経験することだからこそだから、これは万人に共感を得るんですっていうね。いう分析があって確かにこれ正しいと思うんですよ。確かにこれ正しい。
ただ、僕は昔からマジでやばいことがあって、そういう歌は書けないんですよね。マジでなぜなら自分が本当にそれを欲してないんですよ。そこじゃなくてっていうね、俺もそんなことどうでもいいから好きだ嫌いだどうでもいいからもうマジで俺はもうここに行きたいんだみたいな、もうね、それしかないんですよ。だから僕はそのかなり特殊な一部の層に入ると思うんですけど、もう全くね。
でもね、ラブソングとかを聞いてなんかいいなとか思うことは当然これあるし、ドラマを見たら感動するしって思うんですけども、自分に関してはそんなことよりもって感じなんですよ。特殊ですよね、かなりじゃあおそらくね、きっと僕の発するメッセージっていうのはほぼ90%くらいの人たちにはね、なんかよくわからないものな気がするんですよ。残りは多分ね、本当10人に1人とかもっと何か100人に何人みたいな割合で、なんか自分みたいな人に届けばいいなっていう感じにどっちかっていうと近いんですよね。プロデューサーとか商業作家だったら全然違いますよ。万人にヒットするもの作れるって話なんですけども、僕はですね、今そこっていうよりもなんか違うんですよね。なんか違う商業的なっていう感じでやってないんで、どっちかっていうとなんか自分の何かを突き詰めるアーティストみたいなものに近いんですよね。僕の創作っていうのは自分創作モードでやった時の創作ですよ。
人のためにもいっぱい音楽作ってきたので、そうなった時にはやっぱりもう究極的にね、それだけが言いたい。その心の叫びを表現したいみたいな、きっとなんかね、自分は何か本当に何かめちゃくちゃ求めるものがあって、自分はそこに向かっていきたくて、なりたい自分があったりとか、こうしたいっていうね、何か強烈な思いがあったり。こんな自分にありたい、こんな場所に行きたい、こんなことをしたいっていう、強烈な願いがあって、しかもそれをね、でもバッチリ叶ってますみたいな感じじゃなくて、そこに行きたいけどまだ行けてないんだよと、けどどうしても行きたいんだっていう、本当に一部の人、どれぐらいの割合か分かんないけども、そういった人たちに対して何かが共感してくれるようなものなんじゃないかなっていうふうに思ったんですよね。
世の中にそうですね、例えばそういった人が何かを求めるときにね、求めるときに世の中を回って振り返ってみたときには、本当にラブソングで溢れていますというところなんですけれども、本当にたまにね、強烈なメッセージを持った曲ってやっぱあるじゃないですか。そういう曲って本当に自分の気持ちを代弁してくれてるみたいな気持ちになって、すごいやっぱ救われますよね。紹介されるんですよ、自分の気持ちが誰かが表現代わりにしてくれて、改めてそれを聞くことによって自分もこういうことを思ってたって言って、誰かが言語化してくれてとか、誰かがそうやって表現してくれて、すごい胸が打たれるみたいなことって、人間これあるんです。
それが必要なんですよね、人間ってきっとってなったときに、世の中の恋だ愛だっていうメッセージはいっぱいあるので、別にそこは自分じゃなくてもいいし、多分そんなこと考えてないからね、偽物になっちゃうし。ってなったらやっぱり自分で本当に思っていることしか書けないですよね、ってなるとやっぱり自分はそういったメッセージがあって、だからこそそういった何ていうかな、多くの人たちが求めるものではなくて、本当に少ない人が強烈に何か求めているもの、願っているものとか、そういうものをね、何か自分そうだな、そういった人のためにってよりも、自分のために書いてるんですけども、そういった人にはきっと届くんじゃないかろうかという風な感じですよ。
どちらかというと、そんな感じで作ってるんだと思うんですよ、いると思うんですよね、これ聞いてる方にも何か、誰か俺、それ思うっていう人が一人でもいてくると、結構嬉しいんですけど、何百人の方々が聞いてくれてるかちょっと分かんないですけども、その中で一人か二人、数人ぐらいいるんじゃないかと僕思ってるんですよね、そういった同じような気持ちを持っている人は、そういった人に深く届けばいいなというような感じでございます。ザナは違いますよ、ザナの中のゲームとか全てはですね、もう万人本当に多くの人にビリオンって書いてますけど、ビリオンの人たちに届けるのがザナであって、そうそう、僕はそうですね、何か、そういう一人の人間として帰ってきた時には、それを歌いたいとけど、それが実は若干つながっていて、若干というか多いにつながっていて、ザナで表現したい世界があるとして、それを実現したい自分があるとして、そこを実現できる自分、実現したい場所と今の自分がいる距離っていうものを結構ほとんど9割ぐらいは、それを表してるんじゃないかなと思うんですよ。結局やりたいことは同じなんですよね。
結論的に、今たどり着いたんですけど、全然違うことやってるわけでもなければ違うところを目指してるわけでもなくて、そこをそれを作っている提供している自分と、それを何とかな主観的に見ている自分が作るのが音楽で、人に届けているものが結果として出てきているのがザナみたいな感じかな。ちょっとすいません、言語があんまりちゃんとできないんですけども、考えながら喋ってるんで、どっちかとそんな感じで、結局目指してるところは同じであり、表現の仕方が違うという感じかなと思いました。
で、それは何かというとですね、これはまた別の機会に語ると思うんですけども、それが今のザナが掲げているミッションであったり、ビジョンであったり、目的であったり、そういう描きたい世界なりたい作りたい世界、自分が見たい景色であったりする、言うふうにシンプルに言うとね、思っています。
最後にお知らせとなるんですけれども、今ですね、新しいザナのアップデートがありましたね。こちらは皆さんからリクエストいただいた、例えば寝てるアクションとか、座ってるアクションとか、いろんなアクションができるようになったりとか、謎のなんかザナ恒例のパタパタ手をパタパタする動き、何であったのか、何を思ってデザイナーはそうしたのかね、何かを表現したかったのかもしれません。暑いのか何なのか、涼しい気持ちだったり、自分を想像したのかもしれないですけども、そんなことはさておき、それがですね、いろいろなバージョンになったというところで、いろんな動きが追加されました。
その他にもいくつか、かなりのアップデートを細かいですけれども、いろいろ大事なアップデートをしてますので、ぜひトライをしてくださいという感じかな。そういうわけで、皆さんから本当に今週1週間にわたってたくさんのご意見いただきまして、それを総決算するこのザナのゲーム企画について、明日のAMAではしっかり語りたいなと思いますので、お考えいろいろある方はぜひ明日までにいろんなことを考えていただいて、それを投げ合いあって、明日フィックスして実際走り始めるフェーズに移動したいなと思いますので、ぜひこの1日週末を使って考えを求めていただければ嬉しいなと思っています。
それでは、皆さん、良き週末をお送りください。ありがとうございました。