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Release the Fear : 怖れを解放する
Message from
NGC602 Star Cluster
恐れとは3次元世界の生み出す究極の囲いです。
この世界は冷たく、暗く、怖ろしい場所だと思い込ませることによって、魂の成長を阻害しようとするエゴの試みです。
怖れは一種の生ける想念となってこの世界に満ちています。
ゆえに無垢なものとして生まれても、時間とともに恐れのエネルギーの影響を受けてしまいます。
肉体は怖れに満たされ、死の恐怖が常につきまといます。
それゆえ、人は自らの生ける輝きを覆い隠し、忘れ、麻痺し、怖れを感じないように生きています。
しかし、そのような時代は終わろうとしています。
怖れの想念はピークに達し、もはやそれを無視することができなくなってきています。
怖れを解放して下さい。
怖れを解放する為には、それを見つめ、感じ、向き合うことです。
自らの内なる恐れを無視することをやめましょう。
怖れ、不安、心配がわき起こってきたとき、必要以上にフォーカスしてそれに振り回されたり、逆に無視してその感情を飲み込んだりするのをやめましょう。
そうするのではなく、怖れている自分をただ感じてみてください。
そこから逃げずに、その感情にしっかりと向き合いましょう。
ただ静かに、自分の怖れ、エゴとコミュニケーションをとるのです。
そうすることで、やがて怖れは消えて行きます。
たとえどんなに怖れで覆われてしまったとしても、その中心には光輝くあなたの本質があることを忘れないで下さい。
怖れの根源には「死の怖れ」がある
NGC602は、小マゼラン雲の中に位置する若く明るい散開星団で、この中では絶えず新しい星々が誕生しています。
今日は、このNGC602からのメッセージです。
怖れとは私たち人類が根源的に持っている感情です。それは、この物質次元で生きることにより発生するものです。
私たちはもともと、大いなる存在と一つでした。
もちろん今も一つです。
そこには一切の分離はありません。
しかし、ある時、分離の体験をしたいと思った神の意識は、「我」と「汝」という分離の世界を創造しました。
それによって物質次元がうまれ、私たちはその中で「個々」という分離体験をすることができるようになりました。
しかしそのことは同時に、私たち一人ひとりに怖れの感情を生じさせました。
怖れとは、根源的には「死の怖れ」です。
トライアードソウルとダイアードソウル
神=大いなる存在からの分離を体験し、肉体を持つことは、死ぬという体験をも創造しました。
大いなる存在から分離した魂が肉体を持つためには、次のような仕組みが創造されました。
大いなる存在から分離した魂を、トライアードソウルと呼びます。それは私たち個々の本質であり、時空を超えて宇宙のどこへでも行くことのできる部分です。
このトライアードソウルが、肉体を持ってうまれてくる時に必要なのが、ダイアードソウルと呼ばれる部分です。
ダイアードソウルとは、星(恒星や惑星など)由来の魂であり、その星で暮らすに当たって必要な情報のすべてを有しています。つまり、肉体に関する部分の全てです。
地球人として生まれる時は地球のダイアードソウル、金星人として生まれるには、金星のダイアードソウルといった感じで、それぞれのダイアードソウルは、その星に由来します。
こうして、地球人として生まれるときには、本質となるトライアードソウルと、地球のダイアードソウルが結合し、「私」となって誕生します。
死ぬ時はダイアードソウルを脱ぎ捨てていく
私たちが死ぬ時は、このダイアードソウルを脱ぎ捨てていきます。ダイアードソウルには、この世界で生きてきた記憶や体験のすべてが残されます。
そして脱ぎ捨てられたダイアードソウルは、地球の意識の海(地球が保持しているアカシック)に溶けていきます。
ダイアードソウルを脱ぎ捨てたトライアードソウルには、地上で生活していた時に形成された「執着」だけが残されます。執着はある種の波動であり波長、周波数です。
この執着は、肉体を持って生活していた時に持っていた「恐れ」に関連しています。
再び生まれる時は、過去世の記憶を100%継承するとは限らない
トライアードソウルが再び、人間として誕生し体験したいと思った時、舞台となる星へと向かいます。
地球での執着を強く持っているトライアードソウルなら、再び地球へ行く可能性が高いのは言うまでもありません。
再び地球へやってきたトライアードソウルは、地球の意識の海にアクセスします。そして持っている「執着」および、「今世の目的」に共振する情報を集めます。
この時、執着に共振する情報は、前回置いてきたものと同じとは限りません。前回と同じ情報、記憶をも集められますが、そうではないものも集められます。
目的次第では、他人の情報も用いられます。必要によっては他の星での体験も用いられます。それは、「執着」と「今世の目的」によって決まります。
こうして今世のダイアードソウルが形成され、それと結合し、「今世の私」が出来上がるのです。
こういう理由で、過去世を共有している人々が複数いたり(例:聖母マリアの過去生を持つ人々など)、地球以外の星の記憶を持つ人々がいます。
分離感と死という体験
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
(旧約聖書・創世記2:7)
聖書に書かれている、人が誕生した記述です。
「土のちり」がダイアードソウルを意味し、
「命の息」がトライアードソウルを意味しています。
人=アダムという名は「土」を意味しています。
主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
(旧約聖書・創世記2:16)
エデンの園というのは、いわゆる不死の世界、つまり高次元領域のことを意味します。
善悪を知る木の実を食べると、分離の概念が生じ、死ぬようになるというのは、肉体をもった物質次元に生きることを意味します。
私たちは、この世界では死というものを体験します。
また物質次元というこの重い波動(低い周波数)の領域での学びにおいては、「分離感」をも体験します。
そのため、命の根源である神からの分離という幻想が生じました。
この分離感が、「命からの分離=死」という怖れを生じさせたのです。
私たちが根源的にもっている怖れの正体は「死の怖れ」です。
神から分離された上に、この世界で死ぬと、完全に消滅してしまうのではないかという怖れ、突き詰めていくと「死=神からの永遠の分離」という概念なのです。
怖ろしい! と感じることの裏には常にこの死の影がついてまわります。
この死の怖れが、私たちを虜にし、様々なことに駆り立て、あるいは逆に留まらせます。
死を前提とした世界は不安と心配に満ちている
(神は)人に言われた、「あなたが...わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
(旧約聖書・創世記3:17)
善悪を知る木の実を食べたアダムとイブは、エデンの園を出て、地上に降り立ちます。こうして物質次元での暮らしが始まりました。
それは別の見方をすれば、人は死の怖れを持った事により、死の怖れに満ちた世界を自ら創造したということです。
死を怖れる人は、明日のことを怖れます。また過去の嫌な出来事を思い出しては、それが満たされることを望み、かつ未来にそれが起こることを心配します。
死を前提とした世界は不安と心配に満ちています。
アセンションに向けて「怖れを手放す」とは
私たちが死ぬ時、それはいわば抗いようのない体験となります。
肉体的な意識上では、それは強制的にダイアードソウルを脱ぎ捨てるようなことです。
ダイアードソウルに対する執着が強すぎる場合、肉体を失っても「霊」としてこの世界に留まり続ける者がいるのはそのためです。
しかしそれもまた体験です。体験そのものには良いも悪いもありません。
死は、私たちの人生のどこにでも、いつでもやってきます。なぜなら死には時間の概念が存在しないからです。
しかし、こうした、いわば強制的な体験を経なくても、私たちはアセンションすることができるといいます。
聖書には「生きたまま天に挙げられる」人々が描かれているところがあります。
つまり「死」を体験しなくても、アセンションできるというのです。
そのために必要なことは、ダイアードソウルが抱えている「怖れ」を手放す(解消する)ことと、トライアードソウルが抱えている執着を手放すことが必要です。
怖れを手放すことは、自分の存在価値を認めること
あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
(新約聖書・マタイ6:25)
キリストは、執着を捨てることに対してこのように述べました。そしてこれが、アセンションできる人の特徴であると説明しました。
皆さんは、何もしなくても収入が得られると言われたら信じられますでしょうか。
おそらく多くの人は、そんな馬鹿な話があるものか、そんなうまい話があったら、それは詐欺に違いないと思うことでしょう。
確かに、最初に出資金◯◯円を出したら、あとは何もしなくてもお金がどんどん入ってくる! みたいなキャッチコピーのものは詐欺に違いありません。
キリストは続けてこんな言葉を述べています。
野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。
(新約聖書・マタイ6:28)
キリストがここで教えたかったのは、自分の存在価値を認めなさいということです。
要するに、あなたの存在価値は、ソロモンの栄華を遥かに上回るということなのです。(※ ソロモン王は古代のユダヤにおいて最も栄えた王様と言われています。)
私たちがこの世界にうまれてきたばかりの赤ん坊の時、私たちは一人残らず、自分の存在価値を100%信頼していて、疑っていなかったことでしょう。
だから、当たり前のように育ててもらい、お世話してもらい、食事も与えられ、住む場所も着るものも与えられてきました。
しかし、いつのころからか、自分の存在価値は低くなり始め、気がついた頃には、「頑張らなければ幸せになれない、豊かになれない...」などと信じるようになってしまいました。
だから、本当は何もしなくても豊かになれるんですよと言われても、殆どの人は信じられないと思ってしまいます。
自分の存在価値を100%信頼するということは、ダイアードソウルに刻まれた、怖れの感情を手放す作業です。
「私は仕事をしなくても生活していくことができる」
と宣言することは、ものすごい恐怖を感じるのではないでしょうか。
それはまさに「死の恐怖」です。
仕事をやめたら、死んでしまうかも知れないと思うからです。
このような恐怖と向かい合い、それらを一つ一つ手放して行くことがアセンションのために必要な作業となります。
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