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Alpha and the Omega - the beginning and the end : 初めであり終わりである
Messages from Center of the Galaxy
時間とは何でしょうか。
時間とは、計算上導き出される運動の加速値でしかありません。
実際のところ、そのような架空の時間は存在しません。
あなた方が目にしているもの、それは一瞬の永遠、限りなくゼロのゆらぎ、神の瞬きです。
その途方もないゼロのなかにすべては存在します。それを時間という尺度で計ることは不可能です。
光は闇より出て闇に還り、またその逆もしかり。
広大な光り輝く銀河の中心、そこにはまさに銀河全体を統制する途方もないパワーが存在します。しかし、その中心を見たものは誰もいません。なぜなら最も強く輝く光の向こう側にあるのは、深遠なる闇であるからです。
そして驚くべきことに、次元を異にした闇の向こうでは新しい銀河が誕生しています。あなたが見ているものはやがて消えてなくなり、またあなた自身も新しい存在となって生まれます。それは遠い未来の話ではありません。今この一瞬一瞬に起きています。
あなたが呼吸するたびに、あなたも含めたこの大宇宙は常に再創造されているのです。
一つ一つの呼吸が初めであり終わりです。
ハートのセンターを感じて下さい。あなたが想像した通り、世界は創造されるのです。
愛をもって創造してください。平和を創造して下さい。
あなたは、今この瞬間から生まれ変われるのですから。
今、在る、ということ
時間は、意識の連続感が生み出す概念でしかありません。
すべてのものは、「今」「この瞬間」「在る」だけで、その状態の連続性を、時間の流れとして認識しているだけなのです。
このことは、今、あなたはどう在るのか、ということが常に問われていることを意味します。
先日テレビで、アンドロイドの研究が紹介されていました。アンドロイドを作ることで、人間らしさとは何かということを研究しているのだそうですが、その中で、アンドロイド研究の第一人者と言われている博士が、興味深いことを述べていました。
人間は、じっと座っているだけでも、体の何処かが必ず動いているのだそうです。そして、一つの動作をするだけでも、体中の筋肉が連動して動くのだそうで、それをアンドロイドで再現しようとすると、腕ひとつ動かすだけでも、1万数千にも及ぶ動作指示のプログラムを作らないといけない...それでもロボットの動きにはぎこちなさが残ってしまう...というのです。
人間は(人間だけでなくすべての動物が)一つの動作をするだけでも、全身が動いているんですね。
それは、その人の状態が、常に変化していることをも意味しています。
この、一瞬一瞬の変化した状態の連続が、「私」を創り出しているのです。
このことは、自分自身が「今、どう在るべきか」を意識することが、自分の人生を創り出していくということを意味します。
日々、何も考えずに、ただ惰性的に生きるのと、こういう人生にしたい、こういう人で在りたい、と思いながら生きるのとでは、人生の展開が全く違ってくるというわけです。
自由で在りたいのか、不自由で在りたいのか
これからは、人々の二極化が顕著になってくると言われています。
それは、主体的に生きる人と、受動的に生きる人に代表されるでしょう。
これを別の言葉で表すと、自由に生きるのか、不自由に生きるのかということになります。
主体的に生きる人は、自分の人生を創造しようという意欲に溢れています。だから自分らしい人生を生きようとします。
この人にとっては、人間はみな対等で、上下関係はなく、互いの在り方を尊重します。だから、自分の在り方を他者からの評価に依存することがありません。
他人が何を言おうと、まったく気にならないのです。だから、自分らしい生き方を貫くことができます。
他者の期待をなぞって生きる必要がありませんので、この人は全くの自由です。
これに対し、受動的に生きる人は、自分の人生を自分で創造しようという気がありません。代わりに、誰かの期待に応えようとし、誰かの人生をなぞって生きています。だから自分らしい人生を歩むことができません。
この人にとって、人間関係は、上下関係の中にあり、誰かは優れていて、自分は劣っている...または逆もしかり、というわけで、いつも競争の中にいます。
そして他者からの評価に敏感です。自分がどう思われているのか気になって仕方がなく、常に人からよく思われようと取り繕います。
こうしていつでも他人の期待に応えようとしてしまうのですが、これにはたくさんのエネルギーがいるため、とても疲れてしまいます。
そうして、人間関係に疲れてしまったり、何もやる気が起きなくなったり、逆にとても暴力的(攻撃は最大の防御)になったり、破壊的になってしまいます。
その生き方は、とても不自由です。
ホワイト企業と、ブラック企業
こうした人々の在り方は、そのまま社会にも反映されます。たとえばビジネスではどうでしょうか。
会社というのは、ある人(社長)が、ある一つの目的の為を達成するために、組織したチームです。
社長と社員は、目的達成のために集まったチームであり、社長はその指揮者に過ぎません。社員は、目的達成のために手伝ってくれたら、相当のお金を払いますという契約の元に集まっているだけです。
自由で対等に生きる社長は、自分のチームを対等に扱い、一丸となって目的達成に進みます。それは全員がWin=Winになる関係です。こういう会社は、ホワイト企業などと呼ばれます。
これに対して、単に自分がお金儲けできればよいという目標の社長もいます。こういう人は、自分だけがよければいいので、社員を対等に扱うことはありません。そこには上下関係が生まれ、部下=劣っているというふうに見ます。ですから、自分が儲かるために、部下が困っていてもお構いなしです。このような会社をブラック企業と呼んだりします。
上下関係(競争関係)の中にいる、この社長も、実はとても不自由な人なのです。おそらく誰かの期待に応えようとして生きてきた結果、ついには力で誰かを支配しようとしてしまうようになったのでしょう。
またそういう会社に就職して働き続けている人も、受動的な生き方を続けている不自由な人です。
今の社会を見回すと、どちらの生き方をしている人が多いでしょうか?
勇気をもって、自由で在ることを決意する
あなたは、自由で主体的に生きるのと、不自由で受動的に生きるのと、どちらの生き方を選びたいですか?
私には何もないから主体的に生きるなんて無理だというのは、言い訳にしか過ぎません。
成功者の中には、中卒の人、高卒の人、肢体不自由な人、貧しい境遇で育った人などもたくさんいます。
勉強ができるからとかできないからとか、障碍があるからとかないとかは、あまり理由にはならないんです。
大事なのは、自分は主体的に生きたいという意欲、そして、誰からの承認も必要としない生き方、つまり、誰かに嫌われてもお構いなしに、自分らしく輝いていようという勇気と決意です。
そうするとき、あなたの人生に予め用意されている「生きる力」が目覚め、そのパワーが100%発揮されるようになります。
自分で自分の人生を創造することが可能になるのです。
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