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Reconciliation : 和解

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今日は、「大マゼラン星雲」からのメッセージです。

あなたが握りしめて離さないようにしている感情は何でしょうか。
そうすることで、奪われた愛に対する復讐を果たそうとしているのかもしれません。

しかし、それを果たして奪え返せたとしても、何の意味もありません。

なぜなら、愛は奪うことも奪われることも決してないからであり、そう見えているのは幻想にしか過ぎないからです。

もし愛を奪われたと思ったのであれば、それはお互いに自分を愛してほしいというメッセージを発信していたに過ぎません。それは自分には愛がないという思い込みから始まった、幻想ゲームでしかないのです。

愛されれば愛することができるというのは単に方法論でしかありません。

テクニックというのは実践しようとする時にこそ有効なものであり、愛そうという決意がなければ意味をなさないものです。

大切なのは、まず自分から愛そう、自分から歩み寄ろうという意思、決意です。

できるかできないかは問題ではありません。

決意があれば、ものごとは自然に、自ずからわき起こってきます。

決意し、信頼して下さい。

そうすれば和解は自然におとずれます。


はじめに共感ありき

言葉が発達する以前、コミュニケーションは共感によって行われていました。

共感とは、共鳴、共振です。

例えば、喜びを表現する時、喜びの表情と共に「わーっ」とか、「やーっ」といった声を出したとしましょう。それを見ていた隣人も同じように、同じ声を出すと、そこに共鳴と共振が生じます。同じ音、同じエネルギーを感じている瞬間が起きるのです。

こうして同じ場にいるすべての人が、同じ気持ち、感情などを共有することができます。これがコミュニケーションの基本であり、最も重要な部分です。

言霊の『音』が大きなエネルギーをもつ理由もここにあります。その共振の波動こそが重要だからです。

しかし、言語の発達によって、言葉の意味ばかりが重要視され、肝心の共鳴、共振による共感が薄れていきました。

そしていつしか、思考優位の言葉のやり取りが、コミュニケーションであると思われるようになってしまったのです。

しかし、そこに言葉のやり取りがあるだけで、肝心の共感がなければ、それは形だけのコミュニケーションです。

言葉のやり取りというのは、次第に自動化されていってしまうという特徴があります。

頭のなかに、こう言われたらこう返答しようという文例集が、だんだんと出来上がっていくんですね。

噛み合わない会話や、単に自分の意見を主張しあって平行線になっている会話は、まさに、自分の中の文例集をつなぎ合わせて喋っているだけで、それは全くコミュニケーションではありません。

相手が自分の話を聞かないので、ついには、大声を出したり、感情を使ったり、相手がこっちに注目するような酷いことを言ったりします。

こうして争いが始まり、互いに傷ついてしまうのですが、元はと言えば、お互いにコミュニケーションができていなかったからに他なりません。

コミュニケーションとは、言葉のやり取り以上に、共感、共鳴、共振なのだということを意識できれば、もっと違う関係になれたのではないでしょうか。


分離の意義

この世界は二元性の法則の中に成り立っています。ポジティブなものとネガティブなものが同じだけ存在しています。

ポジティブなことだけに焦点をあてていれば、ネガティブなことが置き去りにされてしまいます。

生活していれば、必ずゴミがでます。そのゴミは誰が掃除するのでしょうか。

風呂に入れば垢が出ます。食べ物を食べれば排泄します。それらはもともと自分と一つだったのに、分離したとたんに、汚いものとして扱われます。それらは下水を流れてどこへ行くのでしょうか。

自分から分離してしまったら、それは自分と全く関係がないのでしょうか。

それらはもともと一つであったのですから、最後まで意識しておくことが大切だと思うのです。

この世界が誕生する前は、光も闇もなく、ポジティブもネガティブもなく、優劣もなく、全てが完璧で安定していました。

しかし、安定の中では何もドラマが起きません。

だから、あえて不安定な状態を創り出し、その中で起きる様々なドラマを味わいましょうと、この世界ができあがってきたのです。

ポジティブだけがよい、あるいはネガティブなものがよいという風に、どちらか一方に偏っていたままでは、分離したままです。

分離したからこそ、それまで混在していた光が見えるようになったのであり、同時に闇も見えるようになったのです。


和合とは

よく「私はあなたの味方よ!」と言う人がいます。

しかし、味方になるということは、同時に誰かに敵対することを意味します。

つまりこの行為は、対立を助長させるだけです。

その人を本当の意味で助けたいと思うのであれば、味方になるのではなく、共感することです。

共感すれば、その人が直面している問題の本質を知ることができるようになります。

本質がわかれば、もっともふさわしい解決方法も見えてくることでしょう。それはおそらく、誰にも敵対する必要のない方法であると思います。

和合とは、ポジティブな部分にも、ネガティブな部分にも等しく愛を注ぐことを意味します。

まずは、自分自身の内にある、ポジティブな部分と、ネガティブな部分に愛を注ぎましょう。

それはどちらもあなたの中にあり、あなたと一体であり、あなた自身です。

そもそも本当は、それらはポジティブでもネガティブでもありません。私たちが成長する途中で身につけた、社会的概念が、私たちそれぞれの中にある、ある部分をポジティブとし、ある部分をネガティブとしただけなのです。

それは全てにおいてそうなのです。

高次元は優れていて、低次元は劣っているというのも、社会的概念の影響ですし、光が優れていて、闇が劣っているというのも同じく、人間社会の概念が反映されています。

安定した世界に、不安定さを創り出すことによって、味わい深いドラマを体験できるのがこの世界なのだとすれば、全ては自らの人生体験を豊かにしてくれる、愛しい事柄なのだということがわかるのです。

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