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Interaction : 相互作用

Message from
NGC6514-M20 Trifid Nebula

この世界はありとあらゆるものの相互作用によって成り立っています。

周りを見渡してみて下さい。新しいものもあれば古いものもあります。輝いているものもありますが、闇の中に隠されたものもあります。美しいものもありますが、見るに耐えないものもあるでしょう。
あなたがたが善とか悪とか呼んでいるものもそうです。

これらのものは別々でばらばらなのでしょうか?
いいえ、そうではありません。

みな一つであり、それぞれは部分です。まるで対局にいるように見えるものは、互いに補い合っている、相互作用の結果でしかありません。それはあくまでも定義でしかなく、ほんとうのところは、どちらでもありません。

光が輝いて見えるのは、闇があるからです。しかし闇を定義しているのは光の存在です。善を定義すれば悪がうまれ、味方を作れば敵が現われます。被害者になれば加害者がやってきます。古いものがあるからこそ新しいものが生まれます。

大切なことは、自分の中にある定義を見直すことです。この世界は一つであり、分離したものなど一つもありません。そして互いに支え合っています。だからことそれぞれが自由に存在することができるのです。

自分が自分であることは、自分を取り巻くすべての環境との相互作用であることを覚えて下さい。自分もまた影響を与えていることを覚えて下さい。

ですからなおのこと、日々すべての事柄に対し、感謝を持って生きることが大切なのです。
すべてのものに感謝して下さい。そうすればあなたもまたそれを受け取ることになるでしょう。

忘れないで下さい。
ありがとう、私はあなたを愛しています。


自分の体験している世界を創造しているのは自分です

私たちは、自分の知っているものしか知覚できないと言われています。

そのため、自分の見ている世界は、自分の内面が投影されたものだと言うことができます。

美しいものを見て、それを感じる時、それは自分の内にある美しさを見ているのであり、醜いものや汚らしいものを見て、そう感じている時は、自分の内にある醜さや汚らしさを見ているのです。

たとえば、文化や価値観の全く違う国や場所へ行ったとしましょう。そこでは、自分が汚らわしいと思っていたものが、美しいものとして高く評価されていたりすることもあります。

そう考えると、価値観などというものは、まことに主観的で、絶対的なものなど無いことがわかります。

自分がこうだと思っていることは、あくまでも自分の考えであり、他の人も同じように考えているわけではないのです。

そういう意味では、私たちは、自分の世界というスクリーンの中に、自分の世界を投影して、それを見ながら生きているということができます。


この次元では干渉し合うことが許されている

しかし一方で、この物質次元においては、他者の世界に干渉することが許されています。

これが、「私」が自分の世界において絶対的な神ではないことの最大の理由です。

厳密に言うと、私たち一人ひとりは「神の子」ですが「神」ではありません。

私たちは「神」と一つであり、「神」との間になんの違いも見出すことのできない存在ですが、それは、私たちの身の回りにある全てのモノもそうなのです。

自分と「神」の間になんの違いも見いだせないように、自分と目の前にある石ころとの間にも、なんの違いも見いだせないと言えるのです。

石ころは、誰にも気づかれなければ、ただ捨て置かれているだけですが、長い年月の間には、風雨に打たれ、流れ、移動し、少しづつ小さくなり、やがては壮大な物質の輪廻のサイクルに含まれていきます。

人もそれと何も変わりません。

私たちは意識を持ち、考え事をしているので、自分がなにか特別の存在のように思っていますが、そうではありません。

私が以前住んでいた場所の近くには、5万年前に海底だったところが隆起してできた岩山があります。

その岩山にはたくさんの石ころが転がっていますが、その石ころは5万年も前からそこに転がっています。

石ころには石ころの意識があります。

その意識は、人間の時間に比べれば途方もなく長いものかもしれません。しかし石にとって5万年は、ほんの1年、あるいはほんの1ヶ月ぐらいの出来事かもしれないのです。

私たちは他の存在を認識できないでいるだけで、私たちだけが、特別に「神」だ、ということはないという意味が理解できますでしょうか。

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そういうわけで私たちは、自分の周りにある、ありとあらゆるものとの相互作用のなかで生きています。

私たちの多くは、自分で自分の思い通りの世界を創ることができると信じていることでしょう。それは決して間違いではありませんが、自分の意志や思惑を超えた、大いなる力が介在することを認める必要があります。

むしろ、自分で決定できることの方が少ないぐらいです。


ここは愛と感謝を学ぶための世界

私たちの住んでいるこの場所は、愛と感謝を学ぶ世界です。

ここはそのために用意されました。

だからこそ、様々なエネルギー、波動を感じ、それらを体験することができるのです。

どんな体験がやってきたとしても、愛と感謝の心を忘れることなく、それに向かい合うことができれば、その体験は祝福されたものとなることでしょう。

神の恵みは、私たちの周りに溢れています。愛と感謝はそれに気づき、受け取るための鍵なのです。

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ざびえる
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