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Overcoming the sense of loss : 喪失感を克服する・悟りとは?

Message from
NGC1999 Reflection Nebura


心にまるでぽっかりと穴があいたような気持ちになってしまうことを喪失感といいます。

大切な何かをなくしてしまったような気持ちともいうでしょうか。

喪失感の正体とはなんでしょう。ひとつは、何かを所有していた、あるいは所有することができるという考え方がつくり出す、一種の思い込みに過ぎません。その所有していたと思いこんでいたものがなくなった時、そのように感じます。

もうひとつは、自分にとって大切だと思い込んでいた何かを失ったときです。この場合の大切な何かとは、正確に言えば依存していた何かということになります。依存していたものが突如、取り去られたとき、そのように感じてしまうのです。

これらはすべて作られた概念がもたらす思い込みに過ぎません。喪失したものなど本当はどこにもありません。すべてはあなたの中心にあり、あなたは始めから完璧です。欠けたものなど一つもなく、また失うこともありません。もし完璧でなければ、この世界に存在などできないのですから。

ゆえに、あなたが存在しているということ自体が、あなたが完璧であることの証なのです。

喪失感は、元をたどれば、あなたは不完全だ、あなたには足りないものが沢山あるという刷り込みから始まります。そこで人は自分に欠けていると思われるものを欲するようになります。そして欠けていると思い込み続けている限り、依存は続きます。そして繰り返すように喪失感を味わい続けることになるのです。

思い出して下さい。あなたには欠けているものなど何一つないことを。あなたの中心にはつねに太陽が輝き続けているということを。

欠けていると思われるものは、単に不過視であって、不存在ではありません。ただ見えていないだけに過ぎません。

そこに無いとは、どこにでも在る = 偏在ことを意味しています。

あなたの無限のパワーは満ち満ちているのです。


神から切り離されたという根源的な喪失感

アヌンナキが人類を創造した当初の目的は労働力の為でした。その為、アヌンナキは、人類がアヌンナキに反抗することがないように、人類よりも優れた存在に対しては服従するように、DNAの一部にプログラムを書き込みました。

こうして、人類は “カミ” を信じ、従うものとなりました。

※カミ = 上(カミ) = 神

つまり、人類は自分たちよりも優れた存在が目の前に表れると、否応なしに畏敬の念を感じ、それに従ってしまうという性質を持たされたのです。

このような理由から、アヌンナキたちは人類にとって神となりました。

このことは、人類にとって1つの大きなカルマを生じさせました。それは「自分の外側に神を見ようとする性質」です。そしてそれは大きな弊害を人類にもたらしました。

霊的な状態に在る時、私たちは、自分と根源なる存在が一体(ワンネス)であることを理解しています。

ところが、いざ肉体を持って生まれてくると、肉体のもつ性質により、ワンネスとの一体感が消え、決定的な分離感を味わうことになります。

それは大きな喪失感となって、心理的なトラウマとして刻まれてしまうのです。

アヌンナキたちが地球にいたころは、彼らが目に見える “神” だったので、そのショックは目に見える神を崇めることで癒やされました。

しかし、アヌンナキたちが地球を離れた後は、目に見える神がいなくなったため、その喪失感は非常に大きくなっていったのです。

これが人類が根源的に持っている1つめの大きなカルマです。


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アヌンナキが人類を創造している様子のレリーフ
(DNAを操作しているようにも見える)


“神” になり代わろうとする人々

長い歴史の中で、アヌンナキたちは自分たちが創造した人類と交配していきました。彼らは「神の子」と呼ばれており、現在のホモ・サピエンスの祖です。

今や彼らの遺伝子は全人類に受け継がれました。

その為、私たちはもう2つの性質を受け継ぐことになりました。

ひとつは、博愛の精神、愛すること、キリスト意識に匹敵する愛の性質です。

これはアヌンナキの2人の王子のうち、エンキが持っていた性質です。エンキは人類を自分たちと同じに扱い、大切にしていました。

これに対して、その兄エンリルは、地球も自分たちが創造した人類も、すべて「資源」だと考えていました。彼は自分の目的を達成するためならば、地球に対しても、人類に対しても何をしてもよいと考えていました。

この考え方は「帝王学」として、エンリルの血を引く子孫たちに受け継がれていきましたが、時代が進むにつれて、遺伝子そのものは全人類に受け継がれるようになり、思想だけが一部の人々に受け継がれていくようになったのです。


すべての人類が負っている大きなカルマ ②

このエンリルの残していった「自らの目的や利益達成のためには、多少の犠牲もいとわない」という性質もまた、全人類の抱える根源的なカルマとなりました。

私たちは一方で、パートナーを愛したり、子どもを愛したり(特に母親の子に対する愛は、キリスト意識にもっとも近いものです)、もっともっと多くの人に対する博愛の精神を持ったりすることができます。

しかし一方で、今自分の生活が満足されていれば、身の周りで起きている、低賃金による搾取や、差別、迫害、環境汚染などにはあまり興味を示さず、さらに人によっては必要悪だとさえ思っている場合もあります。これはまさに「自分の目的達成のためには多少の犠牲もやむをえまい」と内心、思っていることの表れです。

よく、イルミナティが... とか、ロスチャイルドが... などという声も聞きますが、そういった勢力があることは否定しませんが、それと同じ性質のものは、大なり小なり、私たちの内側にも受け継がれているのです。

ちなみに、エンキは地の神と呼ばれ、エンリルとの関係は、日本神話のイザナギとイザナミの話に類似している点が多々あります。


すべての人類が負っている大きなカルマ ③

もう一つ、私たちが負っている根源的なカルマとは「獣性」です。これは性欲と暴力に関連付けられて生じたカルマです。

人類が創造される以前、地球にはここで進化してきた動物たちと、エフェメラルという5次元存在たちが暮らしていました。

やがてエフェメラルたちは、動物たちの中に入り(憑依し)、肉体の体験を楽しむという遊びを始めたのですが、中には完全に同化して出られなくなってしまった存在も出てきてしまったのです。

こうして知能がずば抜けて高い動物たちが生まれ、それを見つけたアヌンナキが、エフェメラルと同化してしまった知能の高い猿をベースに人類を創造しました。

この時、人類は「獣性」をそのまま引き継ぐことになりました。

私たちは、高次元の叡智を受け継ぐ存在であると同時に、獣の性質をも併せ持っている存在です。

そういった性質も、一つのカルマとなったのです。


女神イナンナの残した性欲と暴力

この人類の「獣性」を楽しんでいたのは、エンリルの孫にあたる、イナンナという女性アヌンナキでした。

イナンナは、最後まで地球に残ったアヌンナキです。伝承によればシュメール文明の後、古代バビロニア帝国の初期まで地球にいたことが伺えます。

彼女が拠点としていたのが、カルデアのウルというシュメール文明の中心となった都市でした。

イナンナは、生命の樹を手に入れ、ウルに持ち帰ります。この時までイナンナは処女であったとされていますが、この生命の樹を得ることにより、様々な知識を得、女性として目覚めました。

そして最初の夫として、エデンを管理していた人間の男性と結ばれたのです。この男がアダム、そしてイナンナがイブ(エバ)の原型となっているようです。

以後彼女は地球人の男性を愛し続けました。永遠に近い寿命を持つアヌンナキに対して、人間の寿命は短いのです。やがてイナンナの愛は暴力的になっていったことが描写されています。

イナンナの目に止まった男性は彼女と一夜を共にしなければなりませんでした。しかしそれで気に入られなければ、即座に殺されたのです。

多くの男性にとって、彼女に気に入られることは、ほぼ死を意味していました。しかし、極稀に、幸運にも彼女を満足させ、生かされる男性もいました。

彼はイナンナの寵愛を受け、国々の支配者として君臨することが許されました。

そこで、死をも怖れぬ勇気ある男性は、彼女の寵愛を受けるために、彼女の元へと向かったのです。

このような獣性に関連した、性と暴力のカルマもまた、アヌンナキから人類に受け継がれた大きなカルマの一つです。そして、今、まさにそれが解放されようとしているのです。

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イナンナのレリーフ


人はどうして幸せに生きることが難しいのか

すべての人が、その人生において目指しているものは「幸せに生きること」です。

私たちがワンネスと一つである時は、常に感謝と喜びで満たされています。

しかしひとたび肉体をもって生まれてくると、その一体感は消え、感謝と喜びはたちまちかき消され、大きな喪失感と同時に、上記で述べたような、人類のDNAに受け継がれてきている様々なカルマの影響下に置かれます。

人類は以下のような根源的なカルマを抱えています。

・閉塞感と見捨てられたことに対する怒りと絶望
・永遠の存在から有限の存在へなってしまったことに対する恐れ
・神を自分の外に見ることによる、神との分離感
・地球も人間もすべて資源であり、目的(欲望)達成の為なら何をしてもやむを得ないという考え
・獣性と肉欲と暴力における恐れ


これをさらにまとめてみると以下のようになると思います。

・私には〜がないという感覚(喪失感と不足感)
・欲望を捨てられない(エゴ)
・死への恐怖(神からの分離と断絶)


どんなに豊かになっても満足できない

ワンネスとの断絶は、決定的な喪失感と不足感をもたらしました。

人々の生活がどんなに便利になっても、どんなに収入が増えても、生活に対する満足度は一向に変わりません。もっともっと...と多くの人は思います。

それは根源的なカルマとして刻まれているからです。


尽きない欲望と煩悩

人間には次の5つの欲があると言われています。

【食欲】
食べたい、飲みたい、 少しでもおいしいものが食べたいという心。

【財欲】
お金が欲しい、ものが欲しい、服、車、 パソコンが欲しい、などは全部財欲です。

【色欲】
男性なら女性が欲しい 女性なら男性が欲しいという心。

【名誉欲】
ほめられたい、悪口言われたくない、 立派な人、きれいな人だといわれたい。

【睡眠欲】
寝ていたい。 また、楽したいというのも睡眠欲です。


私たちはこれらの欲から逃れることはできません。

死の恐れとは、神からの永遠の断絶の恐れ
人間の恐れの根源は「死」です。

神を自分の外に見るというDNAを持つことにより、ワンネスからの断絶という誤解をもって生まれて来た人間は、死によってそれが決定的になるのではないかと思いこんでいるのです。

つまり、神からの永遠の断絶です。

この根源的な恐怖が、人類の抱えるすべての恐れの原因です。


こうして地球は愛を学ぶ絶好の場所となった

しかし、いままで今まで述べてきたような、アヌンナキの行為を、それを見守ってきたもっと上の次元の存在たちは、好機と捉えていました。

それは今までにない学びの場を、全宇宙に対して提供することになったからです。

これほどまでにワンネスとの断絶を強く体験できる場所は他になく、愛から離れ、閉じ込められたり、取り残されたり、見捨てられた感を感じる世界はありません。

そして何よりも素晴らしいのは、人類は、そのような環境においても、愛することの力と性質を併せ持っているということです。

神を自分の外に見る性質があることで、かえってそれが、絶望とも思える状況からも愛の方へ立ち返るチャンスとなるからなのです。


悟りとは

私たちは、経験からしか学ぶことができません。というよりも経験して学ぶために生まれてきているのです。

どんな経験も、宇宙的には良いも悪いもありません。

そしてどんな体験も、すべて神(ワンネス)へと戻る道となっています。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」(ヨハネによる福音書3:16-17)

これは、キリスト意識が私たち一人ひとりに与えられているのは、それによって誰もがみな、神との永遠の断絶という状態から、ワンネスへと戻ることができるということを教えています。

確かに私たちには、誰も見ていなければズルをしたり、目的達成のためなら、人の不幸を見て見ぬふりをしたり、心の何処かで差別していたり、断罪したりと、目に見える大きな罪を犯さずとも、完ぺきな人は一人もいません。

大切なことは、まずそのような自分をありのままに見つめていくことです。

そして、自分に対する判断を一つづつ外していきます。

自分が自分に対してどう思っているのか、どう評価しているのか、ということをすべてはずしてみる。

それが自分をありのままに見るということです。

ありのままに見ることができた時、私たちは、自分を許すことができるようになります。

許しとは、解放です。
許しとは、癒しです。
許しとは、自由です。
許しとは、平和です。
許しとは、平穏です。
許しとは、静寂です。

自分を許すことのできる人は、自分の周りにいる人も、社会も、世界も許すことができるようになって行きます。

それが、悟りの状態なのです。

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ざびえる
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