内定を辞退し大学を通い直して特別支援学校の教員になった話①

1.はじめに


いつかnoteを書くといいながら気づいたら3月末。
無事、特別支援学校の教諭(つまり正規!)になることができたので急いで書いています。

誰のためでもなく、自分がすぐ忘れてしまいそうなので…( ˘ω˘ )

これはあくまで私の記録用で書いているものなので人様に見せるには駄文すぎるのですが、こういう生き方もありますよ(突然壮大な話になってる)みたいな一例として読んでもらえればと。

私の経歴?をざっと話すと、某大学の教育学部を卒業→特別支援学校で講師として勤務(計2年)→勤務の傍ら、通信制の明星大学に入学→特別支援学校1種取得→特別支援学校の教諭に

教員採用試験を3年間(現役・講師一般・講師特例)受け続け、3年目にして特別支援学校の枠で合格した。 という感じです。 

学生時代は部活動が半端なく忙しかったのですが、忙しくなればなるほど作業効率が上がるタイプなので、忙しすぎたおかげで免許をたくさん取ることができました。

小学校1種 中学校社会1種 高等学校地理歴史1種 高等学校公民1種… 計4枚!!

当時、どこの学校種の先生になりたいとか決まっていなかったので、とれるだけとっておけ!!という感じでとっていました。
そもそも就活しているので先生になる気はなかったですし……

ちなみに、明星大学に入学して思ったのですが教員免許とるの半端なくお金がかかるので、今現役の教育学部生ならびに現役の他学部で教員免許をとれる学部にいる方、とっておいたほうがいいです!!

2.なんとなく始めたアルバイト

さて、夢も何も無かった私が特別支援学校の先生になりたいと思い至った経緯についてですが、きっかけはアルバイトだったと思います。

そのアルバイトは放課後等デイサービス。
障害のある子どもたちが放課後に通う発達支援施設のバイトでした。
勤務時間平日の15〜18時?であり、夜から朝にかけて活動のある部活の隙間を縫った最高の時間帯!! 
大学2年生の頃に始めて2年間、お世話になりました。

今ならもっと上手くできると思うけれど、当時は障害のある子どもたちに対する知識もなにもなく、バイト先には迷惑かけたと思います。

そんなアルバイトで、特別支援学校に通う子どもたちを見てこんな世界もあるんだなぁと思っていました。
ただこれはきっかけにすぎず、当時は先生になる気なんてなく、就活しよ〜と漠然と思っていました。

3.計画性の無さすぎた就活

そして大学3年生の3月、就活が解禁。
正直部活を言い訳にインターンにもなにも行っていなかったので就活は大苦戦。自己分析も出来ていないので、ESも適当に書いているし、計画性のなさが露呈して上手く行きませんでした。

5月くらいになって何も引っかかっていないことに焦って、(否、この時の私は教員採用試験受ければいいやーと思っていました。)
真面目に就活を仕切り直し、独立行政法人2つから内定を頂きました。

そして7月、教員採用試験もついでに2つの自治体を受けますが、1つ目(小学校)はまさかの大遅刻。会場を間違えた!!そもそも土俵に立つことすらできず落ちました。
2つ目(小学校)は2次試験まで進んだのですが、なんの対策もせず結果的に面接官に歯向かうような態度をしてしまったので落ちました。

もうほんと無茶苦茶……若いって怖い……

ということで、私は大学卒業後、''独立行政法人で新卒として勤務''または''学校で臨時任用講師として勤務''のどちらかを選択することとなりました。

ま、内定もらったし独立行政法人にするか〜と話を進めていました。

独立行政法人で内定を頂いているところは2法人あったのですが、自分の興味のある法人を選択し、一方はお断りさせていただきました。 

さて無事に就職も決まりあとは卒業するだけ!となった冬、人生について考え始めます。(遅すぎる!)

というのも、独立行政法人というのは全国組織のことが多いのです。これが何を意味するかというと''転勤が頻繁にある''ということ。

何となく自分の就職先の平均年齢を見ると、少し若いことに気づきました。もしかして…辞めてる…?

現代の日本社会においては転職は普通になってきていることと思います。年功序列で終身雇用なんて時代でもないでしょう。けれど、数年に1回の転勤を何度も続ける人生について考えると、少し不安になりました。

もちろん、説明会でも「数年に1度は必ず北海道から沖縄までの47都道府県のどこかに転勤になります。」と説明を受けていました。
その当時は、「数年に1度転勤!めっちゃラッキー♪色んなところ住める!」くらいに思っていました。
けれど、人生について考えはじめると、ちょっとそれは自分に向いていないのかもしれない……と思い始めてしまいました。(遅すぎる!)

内定先の人事の方には、自分が悩んでいることを正直に話しました。とても良い方で「同期や社内の先輩を見てから考えてみては?」と言われ、内定式にも行きました。
けれど、モヤモヤは晴れることなく、数年に1度の転勤が自分の中で引っかかってしまい、お断りさせていただくことにしました。

今でも、Twitterで内定辞退する人間に対して人事の方が気持ちを吐露しているツイートをみかける度に、少し胸が痛くなります。

就活は計画的に……  

4.小学校で働こう!

ということで、講師として学校で勤務が現実味を帯びてきます。
教員採用試験は小学校で2つの自治体を受けていたので、どちらで講師をやるかを選ぶ必要がありました。(教員はなり手不足。講師という立場は引く手あまたなのです。)

自治体はなんとなく親類が住んでいる地域(以下自治体A)を選んで、話を進めていました。

そこでふと、''どうせ小学校の先生になるなら特別支援学級をやってみたい''と思いました。

とりあえず、自治体Aに電話をかけ、「特別支援学校の教員免許は持っていないが特別支援学級で勤務することはできるか?」と質問をしました。

帰ってきた答えは「できない」

これは自治体にもよると思うのですが、私が選んだ自治体Aは、特別支援学校の教員免許がないと特別支援学級での勤務は出来ませんでした。

仕方ないなと思いつつも、考えているうちに特別支援学級で働いてみたい気持ちは大きくなり、ゼミの先生に相談したり自分で調べてみたりしました。

教員は3年続けると実務経験で実習が免除になり、講習のみで特別支援学校の教員免許を取ることができます。(多分これも自治体による)

''自治体Aで小学校の先生を3年やってみよう''これが私の卒業後の進路として決定しました。

5.特別支援学校の講師になる

のはずでしたが、

もうひとつの自治体(以下自治体B)から届いた封筒の中に、「特別支援学校・高等学校の講師を募集しています。」と書かれた紙が同封されていました。

特別支援学校???これって、特別支援学校の教員免許がなくてもできるのか??
(私の所持免許:小学校/中学校社会/高校地理歴史公民) 

ダメ元で電話をすることにしました。
結果は、「教員免許があれば特別支援学校の免許がなくとも勤務は可能」 

それならば!!と、急いで講師登録の手続きをしました。時期が迫りすぎて、勤務校が見つからない場合もあると言われました。

引越しの荷物も自治体A行きで話を進めていたのですが、トラックにストップをかけ(ありがとうサカイさん)、急遽貸しガレージに荷物を入れ、連絡が来るのを待ちました。

そして、2月中旬、自治体Bから電話がかかってきました。
「特別支援学校で講師としての勤務が決まりました。学校は追って連絡します。」

晴れて?
私は特別支援学校で勤務することになりました。(自治体Aにはお断りさせていただきました。)

6.反省


こうして、私は現在に至るまで特別支援学校の教員として勤務しています。
思い返せば、たくさんの人に迷惑をかけました。あまりに計画がなさすぎるし、反省するところしかありません。

所詮勉強不足の言い訳にしかならないのですが、教員採用試験に落ちなければ、自分は特別支援学校の教員になれていなかったのだろうなと思います。

自分が何者になりたいか、私は考えられませんでした。考えられなかったゆえに2年もかけて遠回りをしました。

だけど、講師での2年間、とても充実していました。 未だにこの仕事が本当に向いているのか、ちょっとわかりかねているけれど、行き当たりばったりな人生もまた一興ですね。

……と言いたいところですが、この就職ドタバタ記を美談に仕上げるつもりはなく。
むしろ、とても大変だったので皆さんはこうはならないようにしてほしいし、計画的に人生を送ってほしいです。

きっと私にももっと向いている仕事があっただろうし、もっと人生を充実させることだってできたはず。だけど、自分の慢心と怠惰がこのような事態を招いてしまいました。

ちゃんと就職して働いている高校大学同期たち、すごく尊敬しています。キラキラInstagram投稿も正直めちゃくちゃ羨ましい!!!

次のnoteでは、実際に特別支援学校で働き始めて大学に通うに至るまでを書きたいと思います( ˘ω˘ )










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