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ファイナルグライド#11

雑感:本作の最も基本的な下敷きというかこういう作品を書いたら面白かろう…と思った出発点は、高斎正氏の「ホンダがレースに復帰する時」です。これ、今まで誰にも明かしていませんでした。「ホンダがレースに復帰する時」は自動車評論家でもある高斎正氏がちょっとしたSF的なアイデアを持ち込んで、それ以外は極力リアルにレースの世界を描いて、ちょっと日本人の自尊心をくすぐってくれる、良くも悪くもイージーな作品です。これをパラグライダー競技の世界でやってやろう! という試みが本作の出発点です。実は最終回にオマージュとして、「ホンダがレースに復帰する時」のクライマックスと同じ演出を仕込んであります。読んだ事がある人は気付くかな?
で、本作をSFたらしめるギミックの一つが今回解説されるウインド・ウィザード。この、機械と人間の競技における関わりというのは結構作品を通底して流れるサイドテーマの一つで、実はこのサイドストーリー、最終回まで引っ張られるんですよ。

 
翌日は朝から雨が降っていた。競技は早々にキャンセルとなり慶太は初陣を優勝で飾る事となった。表彰台の上に立った慶太はちらりと横目で隣に立っている冴映の方を見た。間の悪い事に慶太の視線はちょうど慶太の方を窺い見た冴映の視線と真っ正面からぶつかった。束ねていた髪をほどき、埃を落とした冴映の顔は昨日ヘルメットを脱いだ後に見た時とは段違いに美しかった。何か言おうとして言葉が出ないまま往生している間に冴映はプイと反対の方を向いてしまった。慶太は冴映に握手をしようとして差しだしかけた右手のやり場に困り、そのまま手をあげて頭をかいた。帰りがけに壇上から降りながら内藤は慶太の耳元でこうささやいた。
「嫌われちゃったみたいじゃないか。」
 あわてて弁解しようとして振り返る慶太に内藤はチェシャ猫のようなニヤニヤ笑いだけを残してすたすたと歩みさってしまった。昨日冴映を迎えに来たあの男はとうとう会場に姿を表さなかった。

インタビュー
 雨はそれから3日降り続いた。4日目の朝、夜半に上がった雨に狐仏山の駐車場は水浸しになっていた。内藤とともにスクーリングの準備をしていた慶太は、一台の車が水をはねながら駐車場に入ってきて止まる音を耳にした。表を一瞥した内藤はあわてて振り返るなり慶太にこう尋ねた。
「慶太!今日何曜日だ?」
「木曜日ですよ」
「まっずい忘れてたよ、慶太今日これから時間あるか?」
「え?だって今日はスクーリングでしょ?」
「いやスクーリングはいいからちょっと時間をもらえるか?話すの忘れてたけど取材が入ってたんだ。」
 もう一度表を見た内藤は振り返ると慶太に奇妙な事を尋ねてきた。
「慶太おまえ年増は好きか?」
「え?特に好きって事はないですけど」
「じゃ嫌いか?」
「いや好きとか嫌いとかって事は。」
 慶太の答えを聞いているのか聞いていないのか、内藤は慌てて部屋の中まで戻ってきて、慶太の向かいに座り小声でこう告げた。
「驚くなよ。」
 その瞬間事務所の入り口の引き戸が勢いよく開かれて黄色い声とともに一人の女性が入ってきた。
「こんにちはー!あらぁー内藤君!久しぶりねぇー。元気にしてた?」
 内藤はすっと立ち上がると滑稽なくらいにしゃっちょこばって答えた。
「はい!お陰様でもうすっかり元気にやってます。」
 その女性が身につけている体にぴったりとした赤いワンピースは大胆に肩と胸をカットしてあり、すらりと伸びた足が短いスカートの裾からにょっきりと伸びていた。慶太にはその足の赤いハイヒールが泥道を歩いてきたのになんで汚れていないのかがどうにも不思議だった。その女性は椅子を引きずりながら腰を下ろすと内藤の方に身を寄せながらこう続けた。
「あなたが競技に出てこなくなってから寂しかったのよぉ。あなたと松田クンほどセクシーなコンペティターったら無かったもの。うれしいわぁまた帰ってきてくれて!」
 そう言ってから慶太に目を止めた女性は目を大きく見開きながら言った。
「ねぇ!この子なの例のスーパーノービス!慶太クン、かわいいじゃない!目元に松田クンの面影があるわぁ!内藤クンあなたって趣味がいいから私好きョ!ねえ慶太クンもっと近くで顔を見せて。」
 そう言うとその女性はイスから腰を上げ、慶太の頬に両手を添えると間近まで顔を寄せてきた。両頬の柔らかい手のひらの感触と女性の首もとから漂ってきて鼻腔をくすぐるなまめかしい香りに慶太は頭がくらくらしてきた。身を乗り出しているおかげで豊満な胸元を覆う申し訳程度の布きれの間から、深い胸の谷間が目と鼻のさきに覗いていた。慶太は頬が熱くなるのを感じて何か言おうとした瞬間、女性の瞳に涙がたまっている事に気がついた。たまった涙がこぼれ落ちると思った刹那、彼女は上体を起こして後ろを向くと、いつのまに取り出していたのかハンカチで素早く涙を拭った。振り向く一瞬前、こらえきれなくなった涙に顔をしかめた時に、初めて慶太はこの女性が内藤や慶太の兄よりも年上だろうという事に思い至った。再びこちらに振り向いた時女性の表情には一瞬の涙の痕跡も無かった。
「感傷にふけっててもしょうがないわね!さぁ!仕事をさっさとすましちゃいましょ!」
 突然のせりふに慶太は不意をつかれた。とんと要領のつかめていない慶太がきょとんとしているのを見てその女性はキッと振り返り内藤をにらんだ。
「内藤クン、話が通ってないんじゃないの?」
 一部始終をはらはらしながら見守っていた内藤はいきなり矛先が自分に回ってきたのにあわてて慶太に声をかけた。
「そんな事はないよな慶太!今日はほら…」
 言いかけた所で内藤のせりふは手で制された。その女性はぞっとするほど優しげな表情を浮かべ、もう片方の手を豊かな胸にあてながら身をかがめて慶太に尋ねた。
「じゃあ慶太クン一つ聞きたい事があるの…。私はいったいどこの誰かしら。」
 慶太は視線が胸の谷間に向かってしまうのを避けるのにあちらこちらに視線をさまよわせながら所在なげな愛想笑いを浮かべるしか無かった。内藤は女性の後ろで雑誌を取り上げて何かジェスチュアをしているが何のことだかさっぱり要領を得なかった。女性はゆっくりと上体を起こすと内藤の方を振り返った。
「内藤クン悪いけど慶太クンに私の事紹介していただけるかしら?」
 気まずい表情で笑いながら内藤は慶太に女性を紹介した。
「慶太、この人はクロスカントリージャパンの編集長の田中雅子さんといって、今日は慶太のインタビューを取りに来られたんだよ。」
 意表をつかれて唖然とした慶太が視線を戻すと雅子はこれまたどこから取り出したのか慶太の目の前に名刺を差し出していた。受け取った名刺にはほのかに彼女と同じにおいが刷り込んであった。表にはクロスカントリージャパン編集長の肩書きと田中雅子の文字がアルファベットで刷られており、裏には手書きで表とは別の番号が書いてあった。
「あ、裏のは部屋の番号。いつでも電話してちょうだい。特に夜に訪ねてくる前には必ずね。何か身に着けなきゃ失礼でしょ。」
 そう言うと雅子はとろけるような笑顔を慶太に投げかけた。

第2の客
 部屋の奥でインタビューが途中まで終わった頃に突然第2の客が事務所を訪れた。その客が引き戸を開けて姿を表したのを見て、内藤は思わず作業の手を止めて入り口に立ったその男を見つめた。人の気配に戸口を振り向いた慶太はやはり驚きにインタビューの答えを中断してしまった。その男は先週の高岩山の大会で木嶋冴映の肩を抱きながら去っていったあの男だったのである。内藤にその事を言おうと思って立ち上がろうとした矢先に目の前で雅子がぽつりとつぶやいた。
「やだ、なんで鳥越クンがここに来るの?」
 戸口に立った鳥越は引き戸を開けてだいぶたってから口を開いた。
「ご無沙汰してますね、内藤さん。」
「久しぶりだな鳥越。汚い所だけど入ってくれよ。」
 内藤は答えた。入ってきた鳥越は店内を一瞥し、雅子の姿をみとめて一瞬軽い驚きの表情を浮かべた。
「これはこれは先客があったとは失礼しました。こんにちは田中編集長。」
「珍しい取り合わせね、たまに内藤クンと会ってるの?」
「いや。4年ぶりです。ところで今度六本木で飲み明かそうって約束、ずいぶん延び延びになってますね。」
「ごめんなさいね。編集の仕事は予定がたたないのよ。」
 慶太は自分を避けるように飛び交っている僅かに緊張感を帯びた視線と会話に少し苛立ちを感じ始めた。どうやらこの男の事を知らないのは自分だけらしいのだ。
「ところで今日は何の用だい?」内藤が割って入った。
「ああ、実は今日は松田さんの弟に用が有ってきたんですよ。」
「慶太なら居るけど今来客中なんだちょっと待っていてくれるか?」
「あら、私ならよくってよ。せかされるのはいやだから先に用を済ませてちょうだい。」
 雅子はそう言って立ち上がると鳥越に席を勧めた。鳥越は慶太の方にやってきて右手を差し出しながらこういった。
「慶太君はじめまして。」
 慶太はぶ然としてこう答えた。
「一度会ってますよ。高岩山のゴールで。」
 鳥越は一瞬記憶を探るように眉を寄せた後に思いついたような表情を浮かべた。
「ああ、冴映の所にまっさきに駆けつけてくれたあれが君だったのか!でもあいさつするのは初めてだろ。」
「そうですね、はじめまして。」
 慶太は右手を差し出し鳥越と握手をした。
「私は鳥越といってダイナウイングの日本の代理店をやっているものだ。冴映が悔しがってたよ、ずっとくっついてきたくせに最後に君に抜かれたって。なかなかうまい作戦だったな。ところで、今日は君に見せたいものがあってきたんだ。」
 そう言うと鳥越はスーツケースの中から銀色の箱にシリアルインターフェイスで繋がったA4サイズのノートタイプパソコンを取り出し、側面のコネクターにマイクのようなものを取り付けてもう一方の端を自分の喉に張り付けた。
「よかったら内藤さんも見てもらえますか。」
 内藤の方を振り返りこう言うと鳥越は銀色の箱の側面のスイッチを入れた。
「リプレイモード。2001/5/23/イレブンサーティーオクロック。バイフォー」
 鳥越の声に答えるようにディスプレイには3D表示された立体鳥瞰図が浮かび上がった。鳥瞰図の視点はゆっくりと移動しておりその地形に慶太は漠然と見覚えがあった。鳥越はマイクの途中にあるミュートボタン(注)を押しながら慶太に告げた。
「何か見覚えがあるんじゃないか慶太君?こうするともっと判りやすいはずだ。」
 鳥越はミュートボタンを離して続けた。
「ターンポイントオン。カレントオン。ウィザードファンクションスタート。」
 画面は劇的に変化を遂げた。立体鳥瞰図上には赤い輝点でパイロンの位置と名称が表示されて右隅には高度をはじめとする各種のデータが現れた。地図上には薄い黄色でこれから進む方向に幅の広い矢印が描かれており、そのほかにも無数の細かい矢印が地図上の至る所に点在していた。もはや慶太にもそれが何であるかは一目瞭然だった。後ろで内藤が息を飲むのが聞こえた。それは紛れもない高岩山の競技地図で、細かい矢印は慶太がイメージしていた大気の流れそのままだったのだ。視点が対岸にたどり着き、上昇気流の流れの中に入った瞬間、画面はサーマルの中を旋回する機体を真上から第3者の視点で眺める
モードに切り替わった。
「ファーストフォワード20ミニッツレイター」
 視点は一瞬にして南北に走る尾根上の南端に切り替わった。南端から伸びる尾根の付け根には紛れもない慶太のはまったあのローターが小さな矢印で表示され、黄色い矢印で表示されるコースはそのローターを交わして西へと伸びていた。いつのまにか慶太と内藤の後ろにやってきていた雅子もまた少し離れた所から画面を食い入るように見つめていた。鳥越はその場の凍り付いたような沈黙を破るようにミュートボタンを押すと誇らしげに一同に告げた。
「これがうちで開発した次世代ナビゲーター“ウインドウィザード”だよ。」

注 ウインドウィザードは音声認識で作動するためマイクを取り付けている時に通常の会話をするにはミュート(消音)ボタンを押さなければならない。

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