優しすぎた彼と、死にきれなかった彼女。
これは、かつての私が抱いていたパノラマのひとつ。
答えは唯一じゃなくていいし、唯一であるべきではない。
そんな話を、いつもよりノスタルジックな電波でお届けします。
2013年8月9日。
初音ミクオリジナル曲「終点」が投稿されました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21552463
この頃の私はリスナー界隈とは一切関わりがなかったので、みんながどのように反応したのかはよく知りません。が、
私に対して、この曲はとても強く突き刺さり、悲しく、息苦しくなったことを憶えています。
だって身に覚えがあったから。
「もう音楽は十分揃い 新しいものはいらないと叫ぶ」
「終わらないお祭り声は遠く 感動はやがて薄れゆく
お面を深く被るお囃子に 有体に言えば――」
「ありがとう そして さよならは 君が呟く惜別の言葉じゃない
臆病者の僕の君宛ての別れ 君はどうかそのままでいてほしいんだ」
だんだんと、ボカロ曲を積極的に聞かなくなっていた頃でした。
新曲を漁らず、CDやDL済の曲ばかり聞いていた頃でした。
就職して忙しかった、みたいなのも背景にはありましたが、
根本的に、私はボカロシーンに飽き始めていた。
そんな時にこの曲が投稿されたものだから、ついつい自己投影して『初音ミクとの別れ』なんてものをぼんやりと考えたりもしました。
大好きな君のことを好きじゃなくなってしまう前に。
変わってしまう僕は去るから、君はどうかそのままで。
初音ミクが大好きなんです。
ずっと大好きでいたいんです。
大好きなまま終わりたいんです。
だから、どうか、許してください。
そう言って、彼はそれきり初音ミクに歌って貰わなくなりました。
「初音ミク」と、言わなくなりました。
それから約2年。
「初音ミクの消失」が、帰ってきました。
おそらく、誰もが予想しなかった形で。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26813372
この曲に対して、色々な人達が色々な感想を述べているのを見ました。
何故、よりによってこの人が初音ミクをオワコン扱いするのか、とか。
こんなただの風刺曲にこのタイトルを付ける意味は無いだろう、とか。
わたしは暴走Pのミクさんを待ってます、信じてます、とか。
(少なくとも、私のTL上で確認出来た限りで)ただ一人、
私と同じ結論に至った人がいました。
この曲は終点アナザーだって。
一晩経ってやっと、その認識で話せる人が見つかって、とても嬉しかった。
そして、文字に起こすことで推測は確信に変わり、同時に怒りがこみ上げてくるのを感じました。
いい加減にしろ暴走P。
終点でちゃんと終われなかった人を殺すためにこの曲を作ったのはわかる。
ボンクラ共に「どうして“今”を直視れないの?」と問う、それは評価する。
貴方だからこそ初音ミクを切り捨てる。
初音ミクが必要ないようなこの歌だからこそ「リアル初音ミクの消失」。
信じる人達を、待つ人達にとどめを刺す。
この歌でもって「暴走Pの初音ミク」を完全に殺したいんでしょう?
ふざっっっっっっっっけんなよお前!!!!!!!
これで殺したつもりか!!!!!!!
全然殺せてない、殺し切れてねえよ!!!!!!!!
甘えてんじゃねえ、ふざけるな暴走P!!!!!!!
ずっとこの憤怒を吐き出したかった。
今となっては、この痛みすらも愛おしいですが。
当時…というか、2016年までですね。ずっと胸の内に滾らせていた感情です。
やっと、文字として、ちゃんと人に見せることが出来ました。
解説はしません。
正確に正直に言えば、出来ません。
終点とリアル消失の2曲、プラス暴走Pという文脈から得られたこの感情を。
この世界を。
2017年の所為で、許すようになったから。
みんなで初音ミクに肯定されましょう。
未来へ進みましょう。
忘れたくないものは、ときどき思い出しながら。