25歳を迎えた弟子の心意気
2日前に誕生日を迎えました。
先に言っておきますが、ありがとうございます。笑
まぁ誕生日の日も特に変わらず兄弟子さんが来ていたので色々なお話やお説教を日を跨ぐくらいまで受けたりしてお風呂も入らずに部屋の床で寝た始末でした。
小さい頃は1ヶ月前くらいから誕生日を意識してウキウキしていたもんですが、いつの間にかウキウキもしなくなるもんですね。
ウキウキすることはないですが、誕生日がきっかけで普段は連絡を取らない人と久しぶりに話すきっかけになったりして楽しかったので、祝ってくれた人はありがとうございます。
まぁ、最近は誕生日を祝われること自体不思議で、俺はただ泣いて母親のお腹から出てきただけなんですよね。笑
誕生日は俺よりも俺を必死な思いして産んでくれて、そして今日まで育ててくれている両親こそ祝われるべき、いや、祝われるというよりも労われるべきだと思うんですけどね。
両親からのそれぞれの誕生日祝いのメッセージは本当に一年で一番感動する瞬間かもしれないですね。
本当はそのメッセージを載せたいですが、それは俺の中の宝物として内緒でとっておきます。笑
さて、そんな誕生日を迎えて25歳となったわけですが、何か目標じみたものを考えるきっかけになるのも誕生日で、それとなく考えてみたところ「弟子を極める」という結論に至りました。
人間はいつ死ぬかわからないものです。
明日死ぬかもしれないし、80年後に死ぬかもしれない。
俺はまだ死にたくないですが、そればっかりはわからないもので。
けど、仮に平均寿命の80歳くらいまで生きるとすると人生が残り55年あるんです。
俺の弟子の生活はあと5年間あるので、弟子が終わってから死ぬまでは大体50年間ある。
50年って言うのは簡単ですが、とてつもなく長い年月です。
そして、人生は50年間もあるのに弟子の生活は一回も出来なくなるんです。
もちろん50年の間に色々と学んで成長していくのは当然ですが、それでも50年間使える知識、技術を残りの5年間で完璧に誰よりも獲得しなければいけません。
残りの50年間はこの弟子の間に培った技術、知識を使って経験を積んで日本一、世界一の盆栽家になっていかなくてはいけない。
これはとてつもなく大変なことです。
50年間錆びることのない、使える知識、技術を残りの5年間で体得する。
生半可なものではないと思います。
それを考えた時に弟子入りしてから今日までの日々を考えた時にどうでしょうか。
確かに技術、知識共に成長しました。
環境も本当に厳しい、人権を失ったような生活をしています。
しかし、それでもこの1年間は後悔しかないです。
もっとできたな、と。
このままだと、5年間何となく修行をしてそれなりには出来るようになると思いますが、日本一、世界一、日本の文化史に名を残すような人物にはなれない気がします。
それは嫌ですよね。
せっかく色々なリスクをとってこの業界に入って、何の保証もないギャンブルみたいな選択をしたので、それなりに俺の名を世界に轟かせたいもんです。
なので、ありがたいことにまだ5年間あるので、この5年間は「弟子を極める」ということを目標に頑張りたいと思います。
まずはこの一年、この1ヶ月、この1週間、今日、そして明日と日々の積み重ねで5年後、いい顔つきになって修行を終えたいと思います。
さて、今日は1ヶ月半ぶりにお休みです。
都内の美術館をひたすら見て勉強したいと思います。
あ、それにしても朝からビール飲んで今はウィスキーを飲んでいるのですが、朝から飲むのは最高ですね。
以上。
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