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前編:情報の価値が下がった時代に、何を信じるべきか?

毎日のように、SNSやニュースで膨大な情報が流れてくる。

「何が正しいのか?」
「本当にこれは信じていいのか?」と
迷うことはないだろうか?

私たちは今、かつてないほどの情報に囲まれているが、
その一方で「情報の価値」が急速に変わりつつある。



1. 情報の価値が下がった時代

かつては、知識を持っていること自体が価値だった。

専門家や本、ニュースが「正しい情報」を提供し、
それを知ることが武器になった。

しかし、インターネットの普及とAIの発展によって、
誰でも簡単に情報を得られる時代になった。

情報が溢れることで、
逆に「何が正しいのか?」がわかりにくくなった。

SNSやニュースサイトには膨大な情報が流れ、
検索すれば無数の「正しそうな答え」が見つかる。

すると、情報そのものの価値は低下し、
「知っていること」ではなく、
「どう考えるか」が問われるようになった。

また、情報の氾濫により「知識の消費スピード」も加速した。

かつては、一つの情報をじっくり吟味し、
考えを深めることが当たり前だった。

しかし今は、瞬時に情報が流れては消え、
人々は表面的な理解で満足しがちになっている。

情報の賞味期限が短くなったことで、
「考える時間」すら奪われているのが現状だ。

2. 「正しさ」を求めることが、もう時代に合っていない

ネットには、矛盾した情報が共存している。

「Aが正しい」と言う人もいれば、
「Aは間違いでBが正しい」と主張する人もいる。

情報は常に更新され、
昨日の「正解」が今日の「誤り」になることも珍しくない。

それでも多くの人が
「どれが本当に正しいのか?」と答えを求めてしまう。

しかし、今の時代に必要なのは、
「正しさ」を求めるのではなく、
「この情報をどう扱うか?」という視点を持つこと。

「Aが正しい」と思っている人は、
「Aを肯定する情報」ばかり集めてしまい、思考が偏る。

「本当にそうなのか?」と疑う姿勢がなければ、
簡単にフェイクニュースや陰謀論に巻き込まれてしまう。

また、「正しい情報を選び取ること」に集中しすぎると、
情報の背後にある文脈や意図を見逃してしまう。

たとえば、同じ出来事について
異なるメディアが異なる角度から報じている場合、

どちらの主張が「正しいか」よりも、
「なぜこうした違いが生まれるのか?」を考えることの方が、
はるかに重要かもしれない。

情報は、使い方次第で価値が変わる。

重要なのは、正しさではなく「どの視点から見るか?」だ。

3. 情報リテラシーが追いつかないまま、AI社会に突入している

AIの発展により、さらに
「もっともらしい情報」が大量に生み出されるようになった。

AIが生成する記事や動画は、
巧妙に作られているため、一見すると正しいように見える。

しかし、それが本当に信頼できるのかを
判断する力を持っていなければ、
簡単に誤った情報に振り回されてしまう。

例えば、AIが「Aが正しい」と言ったとき、
「なぜそう判断したのか?」と考えることができるかどうか。

情報の価値が低下し、正しさを判断することが難しくなった今、
私たちはどうすればいいのか?

AIはますます高性能になり、
人間の作る文章やコンテンツとの差がなくなりつつある。

しかし、それによって「何を信じるか」を
個人が主体的に判断しなければならない場面も増えている。

AIが出す答えをそのまま受け入れるのではなく、
「本当にそうなのか?」と考え続けることが、
今後ますます重要になってくるだろう。

その答えを、後編で考えていきたい。

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