息子は障害者(児)なんだろうか。
障害者 とは
英語で
disabled や disability
といいます。
disばっかりだな。直訳がネガティブすぎる。
法律的にはこう↓
障害基本法(昭和45年法律第84号)
(定義)
第二条 この法律において「障害者」とは、身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」
と総称する。)があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。
さて。
裂手裂足症を持つ息子は
障害者なんだろうか。
日常生活に、介助、いる?制限、ある?
当てはまらないんじゃないか、
と私は思っています。
強がりではなく。
でも彼の手足を見たら
「障害がある」
と思う人が多数だと思うんですよね
見た目による、心の、無意識の、
「障壁」があるんじゃないかと。
裂手裂足の手術目的も、
機能面の利もありますがメインは
「形成外科」の手術なんですよね。
それだけ、
見た目から受ける不利益が予想される
ということなんでしょうか。
実際、私も息子が産まれた後に
「人前に出る仕事には就けないかもね」と
親戚からポソッと言われたことがあり
腹が立ちました。
が、世間の反応が必ずしも優しい訳じゃない。
とも思いました。
だから私が息子のことで心配なのは
手足のことで酷いことを言われないか
いじめられないか
本人が自分のことを嫌いにならないか
それに尽きます。
息子の手足の現状では
障害者手帳の取得条件も
当てはまりません。
(親指と人差し指の欠損や、
5本全ての欠損は認められるかと思います)
「障害者」という枠組みには入らない。
つまり特別な保障はありません。
でも人と違う見た目で、
いわゆる「健常者」とも違う。
そんな世界で彼は生きる。
もちろん、息子にとってはこの手足が生まれ持った
「普通」であり、
変なことだとは思わないでしょう。
でも周りからすれば異質であり、
「変なの」って言われたり
「手足にショーガイがあるんだって」と囁かれたり
「なんで5本指じゃないの?」と聞かれたり
そういうこともまた彼の
「普通」になってしまうのではと
母は 心配になってしまいます。
考え過ぎでしょうか。
だから今、息子にしてあげられることは
・自分を好きになるための土台作り
・見た目による心の障壁をなるべく取り除くこと
=理解者を増やすこと。
いろんな人に息子を見慣れてもらうこと。
かなぁと思っています。
もう少し大きくなったら
・今日の出来事をお話してくれる関係性づくり
・手足のことや自分の気持ちを伝える練習
・私は、対大人への根回し(保育園や学校)
・でも 過保護になりすぎないように。笑
そして
・「この手足で、なんでもできるよ!」って
息子本人が自信を持って言えるような
経験を積んでほしい。
Twitterに漫画を載せたら、
いろんな方から
お友達や親戚家族、ご本人の
「こういう手だけどなんでもできるよ」
というお話を聞くことができました。
そして
何よりも人間性が一番大切だよなあ、と
思いました。
誰にでも言える、大切なこと。
指が少ないから 人一倍努力する
という考えや
指が少ないから 出来なくても仕方ない
という考えがもしあったら
裂手裂足のことに囚われて
生きてしまうんじゃないかと思うので
まず親の私(と夫)は、
手足のことを抜きにして
(特別意識させずに)
息子のやりたいことを
応援したいなと考えています。
人間性を育てるって難しい。
イヤイヤ期の2歳頃に挫折してるかも。笑
まずは
息子本人が 自分に自信を持てること。
能力的にも心理的にも環境的にも
悪い意味での「障害者」を作り出さないこと。
彼の生活に制限を作らない。
大丈夫。なんでもできるようになる。
信じ続けようと思います。
ただスポーツを極めたら
オリンピック選手になるのか
パラリンピック選手なのか
どっちなんだろう
という無用な悩み。笑
あとは
障害者という概念が
社会の目が
弱者扱いが
感動ポルノが
変わってくれないかなあ。
というこれは医療従事者としての悩み。
長くなりました。
読んでくれてありがとうございます🙇