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桜Memory

傷心の女が恋に落ちやすい、というのは本当だろうか。
その頃のわたしは、文字通り、ボロボロだった。

元夫のモラハラで不眠が続き、家に帰るだけで過呼吸になる。
毎日なるものだから、3日目くらいで「またか」と慣れ、10日過ぎる頃には過呼吸になる前から呼吸のコントロールができるまでになった。
世界一に役に立たないスキルである。

離婚を視野に入れつつ話をしていたものの、いつまでも別居してくれない(元)夫。
モラハラしてくる人間が家の中にいる不安と緊張のせいで、眠れない日々。

当時のわたしの望みはたったひとつ。
「安心して寝る」ことだけだった。

その頃。
15年ぶりくらいにFacebookを通じて再会した友人がいた。

あまりにわたしの愚痴が多いことに同情したのか憐れんだのか。
モラハラ記録のようなメッセージに、いつも優しい返信をくれた。

なにせ家にいるのは、まったく話の通じない夫と子どもたち。
自分の話を聞いてくれる人がいる。
話が通じる人がいる。
会話が成り立つ。

それだけで、世界に光が差したようだった。

「桜を見たい」
友人と約束を取り付けた。
仕事の終わり、遅い時間に桜を見に行った。
葉桜になりかけの、3月の終わり。

池袋の北口の線路沿い。
あまり治安のよくない公園の数本の桜。
街灯に照らされた桜の花びらがハラハラと散りゆく様が、雪みたいだった。15年前と同じように。
元夫と出会って、結婚することになった頃にも、ここの桜を見たのだ。

18歳からの数年間。公的には成人になるのに、全然「オトナ」になれない。ステレオタイプなアイデンティティクライシスの時期を過ごした思い出の街。
近くのファミマで買ったお酒を飲んで、明け方にドロケイをした、この場所。

「あの頃の思い出の中の人」と一緒に、思い出の場所にきたら、何か吹っ切れるんじゃないかと期待があった。

なのに。
そんなことは何もなかった。
ただ懐かしくて。そんな思い出をポツポツ話しながら歩いて一通り桜を見て。
「次、どうしようか?」
問われて、「寝たい。寝られるところに行きたい」と答えた。

それ以外の望みはなかった。
とにかく寝たかった。

予約していたホテルで寝た。
文字通り、寝た。
ぐっすり眠った。

部屋の中に、自分に危害を加えてくる人はいない。
安心して眠れる。
これ以上の幸福なんてない。

数ヶ月ぶりのよく眠れた日の朝。頭がすっきりとしている。
世界が明るい。見える景色も違う。
脳に酸素が供給され、ちゃんと動いている感じがする。
あぁ、もういい。離婚しよう。わたしはもう、やり切った。
そもそも、こんな眠れなくなってる時点で、関係性はとっくに終わっていた。それを認めたくなかっただけなのだ。
本当はもうわかっていたことを、認められなかったのはわたしの方。

久しぶりの睡眠が供給された脳は、クリアだった。

駅まで戻る道。
その公園の前には、散った桜の花びらが白い絨毯みたいで。
「桜」に「何か」を感じようとしていたわたしの浅はかさを嘲笑うように、通り過ぎる人の靴に踏み荒らされていた。

文中に出てくる「友人」が今のパートナーで、彼と付き合い始めるのは、その年の終わり。

傷心の女は恋に落ちやすいのか。
失恋でなくてもそれは有効なのか。
真偽の程はわからない。

先週末、関東が満開だとAlexaが教えてくれた。
今年も、桜の花びら散りゆく季節になった。


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