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映画「懺悔」
岩波ホール50周年記念作品として公開されたジョージア(旧名グルジア)映画、「祈り 三部作」の最終作品。
岩波ホールは綺麗だし広いし興味深い作品を持ってくるけど、観ると面白くない映画ばかり選びおって…という印象。
(個人の感想です)
しかし今密かにグルジアが"キテる"と思い観て来ました。
グルジアってのはワイン発祥の地と言われ、どぶろくでママンがワインを作るお国柄。
そして甕壺に入れて土中で熟成させる。面白い。
さて、内容は…
架空の地方都市で、元市長の墓が何者かに暴かれ、犯人の女性が捕らえられる。彼女の証言によって、元市長の独裁により、多くの市民が粛清されたことが明らかになってゆく。スターリン時代を描いたといわれ、ソ連邦のペレストロイカの象徴となった
東欧映画の魅力は、緩やに確実に不幸が忍び寄る様にざわざわする点。
そこに重くのし掛かるナチュラルなスケールを感じます。
本作も無駄に前衛的で登場人物の笑顔が何よりも怖い。
淀みなき淀みが全編を包んでいる。
人間性とその尊厳とは何であるかと考える。
神は純然たる善と秩序であり
悪魔は純然たる悪と混沌である
両者とも徹頭徹尾、悪であり善である。
途中で混沌から秩序に属性が変わる事などない。
一方の人間は"選択"をする生き物であり、縁に触れて聖にも付けば邪にも付く。
それこそが人間を人間足らしめるものであり、人は日々訪れる選択の時に悩み、悔い、歓喜する。
古来より悪魔が人間に何かを強要した事はない。
悪魔はただ選択肢を提示するのみであり、人はそれを選択して邪に降るのだ。
スターリン体制下のソ連には人々への提示は無く、選択も叶わなかった。
悪魔すら行わない所業(強要)を人間は人間に出来る。
そうした事実から"選択する"という行為そのものが人間性であり、それを否定するという事が尊厳を奪う事だと思うのです。
人間性を全て否定されたスターリン時代の贖罪を住民一人一人、観た者全てが求められる物語。
ペレストロイカの象徴と化したのは、そうした自己批判に寄るものと思います。
ちなみにジョージアワインは美味しいと思います。