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「いわんや悪人をや」に生かされる私

こんにちは。

4月8日の花まつりに、仏教や仏の道の未来を語る時間を設けるという趣旨で開催された仏教未来フェスに参加しました。


以下、イベントレポートを書きましたが、個人的なスピーチの内容は別記事にまとめようと思いたち、この記事(本記事)を書いています。

「いわんや悪人をや」に生かされる私

私はいただいた5分間の枠の中で何を話すか迷ったのですが、学生時代に学んだにも関わらず、今もなお難解で正しく解釈できていない親鸞聖人の

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。

というフレーズに着想を得て<「いわんや悪人をや」に生かされる私>というタイトルでスピーチをしました。

音楽の世界を目指したかった青春時代

高校3年生の当時、私は音楽の先生になることを夢見ていました。

言い訳をするようではありますが、金管楽器のプレイヤーにとって音大の受験はきちんと準備をして取り組まないと相当難しいものでした。

なぜかと言うと金管楽器の演奏するドの音はピアノの演奏するシ(フラット)であり、2度の差があるからでした。

私の頭の中でドレミと歌っていた音程は、実はピアノの楽譜に書き起こす時にはシドレとなるという大きな壁はなかなか手ごわいものでした。

音楽大学受験で試験科目の一つである聴音(ピアノで演奏されたメロディを楽譜に書き起こすこと)を、絶対音感(移動ド)で移調楽器を演奏していた私は乗り越えることができませんでした。

そもそも、きちんと計画的に行った受験ではなかったため、演奏の技術もままならない状態だったと今になって思います。

受験は失敗。その先の闇雲。

結局志望していた音大に合格することはできず、私はやけくそになって滑り止め受験をしていた大学に入学することになりました。

しかし結果的には、私はこの大学に通うことができて本当に良かったと思っています。

今でも忘れられないのは入学式のこと。

新しいスーツを着て、大人ぶってヒールの高いパンプスとネックレスをつけて、会場に向かいました。

厳粛な雰囲気の中、ステージの上に袈裟を着たお坊さんが3人現れました。

入学する学生一同、「合掌、礼拝」から式は始まります。

学生は皆おもむろに配布された念珠を取り出し、重誓偈をお勤めするのでした。

お恥ずかしながら、私はこの大学が仏教の大学だということをこのときまで知りませんでした。

ヒソヒソ声で「どういうこと?」と聞くと、「仏教の大学って知らなかったの?」と返すのは、隣に座る母。

それくらい、仏教に関心のないまま、入学してしまったのでした。

学生生活と浄土真宗

けれども私はここで浄土真宗に出会うことができました。

毎週水曜日のランチタイムには、「礼拝アワー」と言う時間が設けられ、先生方が持ち回り制で担当される法話を聞く機会がありました。

この会は任意参加だったのですが、いつの間にか私は毎回出向くようになり、講堂に集まった人たちと一緒に重誓偈を唱えることもいつしか日常となっていきました。

音大を目指していた高校時代に打ち込んだ合唱も、仏教聖歌という形でその機会を得ることができ、本願の中で生かされているという実感を持ちました。

仲間を集めて管弦楽のサークルを始めることができたのも、ご縁は奇なり。

私はあの当時から、何かを始めるための糸口を追いかけることに夢中だったように思います。

今の私とめぐり合わせ

時は変わって令和のある日、たまたま婚家の宗派も浄土真宗だということが判明したのは、法事の時でした。

そこからの流れで定期的にお寺に通うようになったのは、仏教讃歌をまた歌いたくなったから。 

宗教の話はなぜだかタブーのような気がして、同世代の人とはなかなか話すことはないのですが、このコーラス隊は平均年齢が高く気兼ねがありません。

子どもを連れて参加しても快く受け入れてくれます。

たまたまのめぐり合わせで、今私はこんな面白い日常を過ごしています。

おごること無く、有難さを改めて噛み締めて感謝をする、今日は仏教未来フェスに参加をし、そんな時間を過ごすことができました。

おわりに

仏教未来フェスで、宗派を超えて色々な方の仏教にまつわるお話を聞く機会が広がっていくというのは、とてもありがたいことだと感じます。

また機会があれば参加したいし、例えば私の旧友たちがこの場に参加した時にどんな思いを語るのかということにも興味があります。

神仏習合の機会も作ろう、と盛り上がっていたので、機会があったらお手伝いしたいです。

そして最後に、随分昔の入学式の記憶を呼び起こすきっかけを頂いたことにも感謝をしています。

今日は久しぶりに、母に連絡をとってみようと思います。

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