火星魚座が「愛」を語る

愛とは・・・

とある哲学者は「愛」などの抽象的なものについて考えを深めるのは適切でない、と結論を出したようです。

先人の言う通りだと思うので、軽めに考えを放出していこうと思います。


愛とは「愛せる」こと

自分が抽象的である「愛」の存在を感じるときは、対象のものへ情を注げたときです。

簡単な言葉でいうと「好き」という気持ちは、相手の存在があるからこそ、そう思うことができる。

存在してくれて嬉しい、愛させてもらえて嬉しい、そんな気持ちになった瞬間に「愛ってこれだよな」と思います。

相手がなにかをしてくれるとか、そういうのを愛と解釈することはあまりないです。

たまたま機嫌がいいだけかもだし。

仮にそれが愛だったとしても、その愛をいつまで浴びられるかはこちらでコントロールできない。

一方、自分の中で発生した愛情やらは、ずっと自分で持っていられるので最終的に行き着く先はやっぱり

想わせてくれてありがとう

とかになりますね。


具体例を出していく

このようなテーマで具体例を出すのはなんとも味気ないですが言葉を放つからには伝えたいという気持ちが強いゆえ、お付き合いください。

例えば、顧客を持つような仕事をしているとわざわざ人が自分のもとに足を運んでくれるわけです。

これそのものを愛と解釈してもいいとは思うのですが、これに関しては少しドライな表現ですが愛というより需要と供給の一致と考えています。

自分のもとへ来てもらうこと自体を「愛」と考えてしまうと自分が甘えてしまいそうなので、技術者としての戒めも含めて需要と供給については頭に入れておきたい。(冷たい人みたいでなんか嫌ですが技術者の一本筋は通しておきたい)

じゃあ、この話のどこに愛が隠れているのか...

“自分が目の前のお客さんを大切に想っているとき”

です。

お客さんが自分のところに来てくれるのは需要と供給の一致と書きましたが、その言葉通り自分は相手の求めるものに対して精一杯の供給がしたいので、真剣に向き合います。

真剣に向き合えるのは、相手がいてくれてこそなので、大切に思わせてくれてありがとう、とその瞬間に愛の存在を感じます。

出産された方が「親にさせてくれてありがとう」と言っているのをたまに見かけますが、構造としてはそれに似ています。


愛せるって素晴らしい・・・


以上!火星魚座より。

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