自分の好きなものを貶されても気にしない


自分の好きなものを貶されても気にしない

は、来世まで引き継ぎたいなと思っている自分の性質です。

わざわざ一喜一憂しないので無駄に落ち込まず済みます。

どのような工程で「気にしない」のかを書いていく。


他人の好みや感想は遠い都道府県の天気と同じ


ズバリこれです。

例えば東京に住んでいて「沖縄はもう梅雨入りしました」というニュースを見ても

ほー

と思うだけの、あの感覚に似ています。


これが例えば、少し難しいのは「自分の属性のこと」を悪く言われた場合ですね。


女はバカ!...等


これに関しても不愉快になったことがあまりありません。

自分には確かに「女性」という側面があるけれど、女=自分とも思っていません。

「女は」と言われても、自分のことだと思わないので、あなたはそう思うんですね〜と離れて見ています。

強いて言うなら、自分の属性を悪く言われて嫌!よりも「そういう話しか出来ない人とは関わらんとこ」とは思います。発展性がないので。

パターン2、星座や血液型でもこのようなことは起こり得ますね。

○○座は面倒くさい〜...等

自分は水瓶座ですが、水瓶座の悪口に遭遇しても「ハハハ」と笑っています。

「超個人的なエピソードによる個人のマイナスな感想をある属性にひとまとめにする話し方をするんだな」とは思いますけどね。

私は確かに水瓶座ですが、それは私という人間をある角度から見たときの情報のごく一部であり、水瓶座=自分ではないので先程述べたように自分のことだと思って聞いていません。

これ、すごく大事だと思っています。


属性は確かに自分の一部だけど自分自身ではない


結局大事なのはこの前提意識かな?と思っています。

大阪人、水瓶座、女性、など...

これらは確かに「自分の一部」ですが、自分自身ではない。

この意識のあるなしは「自分軸で生きること」に大きく関わると思います。

女性である前に“自分”です。
大阪人である前に“自分”です。
水瓶座である前に“自分”です。

この「自分」の部分にしっかり認識を置くことができれば、自分にまつわる一部の情報への他者の感想に一喜一憂せずに済みます。


あとひとつ、よく思っていることを書きます。


だいたいの人が言葉の素人


この世には「話すプロ」「書くプロ」が存在していますよね。このプロが存在しているということは反対に「話すのが下手な素人」「書くのが下手な素人」が存在します。

素人の感想を真に受けないことも大切だと思います。

どういうことかというと、なにかを悪く言ってしまったような素人の文章はよくよく本人のワケを聞くと「悪く言うつもりはなかった」ということが多々あるんですよね。

なにかを悪く言ってやりたくて悪く書ける人は文章が上手い人です。多くは悪く言うつもりはなかったけど悪いように書いちゃった人だと思います。

本人の文章の構成力とボキャブラリーの問題というわけです。プロじゃないから能力が高くなくてもおかしなことではないですね。

ですので結論としてはそのような素人の言葉の表現を「真に受けない」は感覚として大事にしています。

表現力、足りないんだな

くらいに思っています。
(加えて読解するこちらも素人ですし)

あとはまぁ普通に悪く言ってやりたくて悪いことを書くような悪い人もそんなにいないのかなとも思っています。

というわけで、
私の伝えたいことはただひとつ!!!!


☆自分を楽しみましょう


おわり

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