入籍直前日記 死ななくてよい場合、どう生きるか
月初である。
事務屋である私は、月初が一番忙しい。
月初!
すべての事象はいったん横に置いて、ひたすら計上をしなければならないのだが、書類をひたすらめくってめくっているときに、ふと気がついた。
わたしは今、生き辛くない。
なんてことだ。
生き辛くなくなる日がきた。
全員が事務作業を行っているフロアで、あんまりにもびっくりして、手が止まってしまった。
わたしは自死遺児である。
父親はわたしが物心つく前に首を吊った。
きょうだいの中で一番、性質が父に似ていたという理由で、わたしは母から「本当にあんたは父親そっくり、いつか同じ死に方をする」というニュアンスの言葉をかけられて育った。わたし自身もそう思っていた。わかる。わたしは自殺するだろうなあ。間違いない。納得できていた。
私は自分で死ぬ。そういうのがお似合いだ。
自殺、良いか悪いかは最早判断できないが、きっちり結果がでる、それこそは確かで、生き辛く寂しい時はその結果がほんとうに欲しかった。
死ななくてもいいように正しく真っ当に生きていきたくて頑張っても、どうしてもうまくいかないとき、やはり死ぬのが最良だなといつも感じていた。
死ねば、カタがつく。終わる。終わらせた方が良いこともある。
それでも今日までなぜ自殺しなかったかというと、家族にこれ以上、自殺した人間の骨を拾わせるわけにいかないとおもっていたからだ。
自殺した家族の骨を拾うことは、人を容赦なく絶望に引きずり倒す。わたしの母は、引きずり倒された後、それでも子育てをしなければならず、引きずられた心の一部は何年経っても回復していないように見える。
そんな母親に、もう一度、自殺した家族の骨を拾わせることはできない。絶望に引きずり倒された後の人間がどうなるか、私は間近で見ていたから嫌というほど知っている。
幼少期の始まりがそのような状態だったわけだが、とにかく今日まで生きてきて、段階を踏み、健全に健康に婚姻するところまで漕ぎ着けた。
今となってはその過程で起こった辛かったこと、全てがもはや過去であると気がついた。
ここにくるまで、長かった。
もう、死に拘泥しなくていいな、終わったことだからな、と書類をめくっているときに、わかった。
月並みにありふれて辛かったが、もう、終わったことなのだと。
割と大事な啓示なんで、そういうの来るなら会計処理が終わってからにしてほしいが…??
と思いながら、伝票をめくり続ける。
死ななくてもよい日が来た、
段階を踏んで掴み取ることができた、
たぶん、以前からすでに、死を選ばなくても良い生活が手に入っていたけどおそらく気がついていなかった、なんてこった、体がかるい。
しかし、これでもう、
自ら死を選ぶことは、ない。
から、わたしは生きていかなければならない。
齢40そこそこにして、初めての心境である。
ぶっちゃけ母が死んだらもう、わたしの生きる理由もないからわたしも死ぬかもしれないなと思いながら生きてきて、しかし…
死ぬのをやめて生きると決めた人たちの集まり、どこかにあるだろうか。
どこかにあるならそこに集う人たちにたずねたい、死ぬのをやめたとして、果たして生きていけそうですか?
生きようと思う人生、心身に馴染んで謳歌してますか?
夫となる人とは、ずっと踊りながら暮らすような愉快な毎日だったのだが、それでもうっすら隣に死があり、それはもう仕方ないと思っていた。
愉快なダンスと死は、なぜか同居してしまうのだ。
抗えないものだと思っていたのだ。
だって、私は、父に似ていて、父は自殺していて、わたしは彼と同じようになると。
死んだ実例が身近にあった。
人は自らを殺すことができる。
愉快なダンスの様な生活と死は、切り離せないものだった。切り離せたらどんなにいいだろうかと、思っていたけど。
こんなにもふたり一緒の暮らしが楽しいのに、それでも死にたいのなら、わたしは本当にどうしようもないと。この生活と同じところで、死にたい気持ちがうろんに存在していた。
だがしかし、いまわたしは、もう、死にたくない。
とても大きなことなので、書いて残しておく。
おそらく前からそうだった、死ななくてもよい生活だった。だがしかし、それを感じ取れていなかった。死ぬことに、ほんとうに、拘泥ししがみつき、かじりつきすぎた。
うまく生きていけない場合は死ぬべきであるという、父親が体現したそのやり方の記憶と一緒にいすぎた。
これからどう生きていくか。
心身に癒着した生きづらさを強い力で引き剥がして、先に進まなければならない。
そして芯から愉快に、踊り暮らすぞ。
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