「坂本龍一最期の日々」を観た
4月23日(火)
会社帰り、いまから帰ると夫にLINEを送ると、多分家の最寄駅に着くタイミングが一緒だから、待ち合わせて歩いて帰ろうと返事が来る。
それだけでもう嬉しい。待ち合わせて一緒に歩いて帰れると思うと、仕事の疲れも忘れる。
先に駅に着いた夫から、なにか買っておくものがあるかとLINEが来る。お菓子を買って欲しいと返信する。
最寄駅に着いたら改札を出たところに夫が居た。嬉しい。ソフトクリームやロールケーキなどを買ったと聞いて、二重に嬉しい。
一緒に住んでいる夫と、駅で待ち合わせるだけでこんなに嬉しいなんて、私は夫に依存しているのではないか、依存は怖い、と今までに百万回思った事がまた頭をよぎるが、好きと依存の境界線もクソもねえよとすぐに思い直した。楽しいんだから何よりだ。
夕食を作って食べ、この間録画した、NHKのドキュメンタリー「坂本龍一最期の日々」を二人で一緒に観る。ロールケーキを食べながら。
番組の冒頭、2019年、NYの自宅の庭に、古いピアノを設置している。「自然に還す実験」の一環らしい。雨の降る庭で、一言も喋らずピアノを弾く坂本龍一。その後、彼がつけていた日記が映される。2020年12月、肝臓に腫瘍が見つかったとの記述。
鉛筆で書かれた文字をじっと観てしまった。この時点で、ステージ4の癌で、余命半年との診断だったそうだ。診断を受けた時の日記に「やり残したことがあると感じるかどうか」との一文。これを観て、ああ、日記とはなんて尊く、かけがえがないものなんだと思ってしまった。死をエンタメ化して見ている様で不謹慎だが、思ってしまった。日記って、いいものだ。その時に書いて残しておかなければ、いつか消えてしまうであろう感情がそこにある。
余命宣告の翌日に弾かれたピアノ曲が流れる。
坂本龍一が入院していた時の部屋が再現され映し出される。ぬいぐるみがいる。夫に、ねえ坂本龍一も寝る時に、ベッドにぬいぐるみを置いてるよと言う。
その後も、坂本龍一本人の日記とスマホのメモを元に映像は進む。私たちはすでに彼が亡くなっていることを知っているからこそ、あれこれ考えてしまいながら観る。途中、闘病により筋肉がすっかり落ちてしまった、というくだりで、夫が「筋肉は大事だな」と呟いたくらいで、あとは終わるまで、お互いあまり話さなかった。20時間に及んだ手術、両親の写真が入った写真立て。激しいせん妄。合併症。音楽を聴く気持ちになれなかったこと。受け止める体力がないと音楽は聴けない。YouTubeで雨の音をずっと流していた。
亡くなる一時間前、意識が無くなってもなお、ピアノを弾く様に手を動かしていた、その手だけが映し出される。ああ。なんとも言葉では表しきれない、映像だった。ただだだ動く手。何ということだろう。
番組の最後、冒頭で設置されたピアノの今の姿が出た。塗装が剥がれ、日に焼け木が反り返り、文字通り朽ちているピアノ。自然に還す実験。
視聴後、夫が立ち上がって、スクワットをやると言うから、向かい合って二人でゆっくり15回、スクワットをやった。私が、いーち、にーい、とカウントを言い、夫は目を閉じて無言でスクワットをする。
筋肉が、大事だからな。
何というか、何とも言えない番組を観たね、と言い合いながら寝た。
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