23歳大学2回生
23歳学生
世間一般からするとこれだけでも衝撃的らしい。
大学院生?あ、医学部だから6年間?
普通の感性を持っている人ならそう推察するらしい。否、23歳、大学2回生である。なんとあと10日程で24歳大学二回生の出来上がりである。基本誰と話してもここでドン引きされる。で、学校は?京都大学医学部医学科です。
、、、ドン引きである。
自分でもえらく無駄の多い人生を歩んできたものだと思う。高校を卒業してから4年間の空白があるわけであるが、何をしてきたのか、これからお話ししていこうと思う。
空白の四年間
端的にいうと、放浪の旅に出ていた。色々なところを旅した。だって四年間である。とても時間がかかったし、お金もかかった。
その四年間で色々なことを学び、考えた。自分の人格形成に大きな影響を及ぼした。友人も沢山できたし、別れも沢山経験した。友人と夜まで語り明かし、世の中には色々な人がいることを学んだ。
高校までの世界はど田舎で「都会」と言われるど田舎の狭いところであったし、しかも高校や塾以外に関わりはなかった。そこから、全国各地の人間と交わる世界へ飛び出し、色々なことを学ぶことになった。
さて、どこを放浪していたのか。
三つの予備校と、一つの大学である。つまり、三浪のち一年他大へ在籍、のち再受験。
はい、オチがつきました。この記事はここで終わり。嘘はついていません。
しかしここまで興味を持って読んでくれた読者に申し訳が立たないので詳細を記述していく。ここからはいわゆるP. S. と呼ばれるものである。
浪人すること三年間
生活圏は大阪→東京→大阪→奈良であった。なんで東京?と言われるが、東大を受験する都合上、二浪目は東大専門の所にお世話になった方がいいんじゃない?という両親の意向によるものである。まぁシンプルに毎年居場所を変えていたと思ってくれていい。
三年間はシンプルに浪人していた。今では甚だ恥ずかしい話であるが、側からみてもとても浪人生らしくはない生活をしていた。GPA0.00の大学生の生活をイメージしてもらって差し支えない。寝て起きてはサッカーをしたり、本を読んだり、ポケモンをしたり、彼女をつくってみたり。世間が見下す多浪生そのものである。あまりネガティブなことは書きたくないが、金も時間も大変無駄にした。両親には大変申し訳ない。
大学退学
そして四年目、後期でかろうじて引っかかった某県立医科大学に進学し、それまでとは打って変わってしっかり単位を取り、部活に明け暮れ、充実した生活を送った。
前もって再受験を考えていることは部員には話していたのだが、落ちればそのまま部活を続けるため、合格発表の日は部活の遠征に参加しており、しかもその日は泊まりで次の日にも試合が控えている。万が一受かっていてよくないムードになってもいけないので、遠征が終わるまで、あるいは少なくとも一日目が終わるまでは見ないことにしていた。
試合前のアップが終わり、部員の士気が上がっていく。もうすぐ試合だ、というところでスマホに目を落とすと、誰かからライン。「受かってたよ」
ウオオォォォオオイーーーーーーーーーーーーーーー!!!かあちゃーーーーーん!!!
最悪である。考えられる限り、最悪のタイミングである。何としても隠し通さなければならない。「発表まだ見てへんの?」先輩の声。「まだですまだです!遠征終わるまでは見ないでおこうかと汗汗」
テンションが難しい。今はテンションを最大限にあげ、勝利へ集中するべきだ。しかし、このチームを離れることになってしまった。喜ぼうにも喜べない。
そんなこんなしながら一日が終わった。晩御飯の席、「そろそろみようで!」とてもお世話になった先輩、合格は絶対願わないと言ってくれた(?)先輩からの提案。「そうですね、、、」
流れで、一緒にいた他の部員が先に見る流れに。彼らのどちらとも取れないリアクションから推察する、という体。こちらもリアクションがなんとも難しい。「どっちやと思う?」受かってるの知ってるねん。どういうリアクションが正解なんや。「受かって、、、ます、、、?」女子大のぶりっこも顔負けの演技であった。
そんなこんなで前の大学を離れることになり、今の大学に所属することになった。
現在の大学では医学部のそれなりに忙しい授業に加え、様々なサークルに所属しながら研究のお手伝いもさせてもらい、充実した日々を送っている。今までの人生には無駄なことが多いが、その分必死で今を歩んでいくしかないのだろうと思っている。
以上が僕の簡単な自己紹介である。