『自傷行動について』
※私自身の自傷行動の問題や考え、対策について書いたので発達障害を持つ人の自傷行動が全員こうだという訳ではないです。その人にあった問題や対策があると思うのであくまでこれは私の思っていること、考えです。
自傷行動
自分で自分を傷つける行動のことです。
自殺企図から自分を傷つける行為などのいわゆる「自傷行為」とは意味合いが異なり、原因や対処法も変わってくる。
私の自傷行動について
・頭や腕を壁や床にぶつける
・頭や顔を手でたたく
・体の限界がくるまで歩き続ける。
どうしてそんなことをするのか
コミュニケーションのストレス
親や人に、伝えたい事が伝わらない時にそのもどかしさを抑えるために自傷行動をしてしまう。
感覚過敏によるストレス
日常生活を送る上で感覚過敏により感じる強い刺激に疲れてしまったり、不快やイライラが溜まり、そのストレスを自傷行動で発散しようとする。
コミュニケーションが伝わらないために自傷行動を伝える手段とする
小さい頃の私は、自分が辛いから話を聞いて欲しいという事を上手く伝えることができずに自傷行動をして親の目を引こうとした。
自傷行動をする事で親が心配して気づいてくれたことで、こうすれば伝わるんだと自傷行動を意志や要求を伝えるための手段としてしまっていた。
感覚鈍麻によって痛みを感じにくい
なにかに集中していると痛みにまったく気づかないということが多い。
私はよく、ストレスが限界になると足が血だらけになるまで歩き続ける。
「どうしてそんなことをするの?」
家族もよくそんなことを聞いてくる。
自分でもはっきりとはわからないが私のストレス発散方法なのだ。
夜中22時頃に出発し、朝の6時頃に帰宅する。
計8時間くらい歩き続ける。
夜中に散歩に出かけ帰ってこない私を母は朝まで心配そうに待っていてくれる。
私が家に着く頃には靴はボロボロで爪が剥がれたり、足の皮が剥けて血が出てしまい、靴下には血が滲んでたりする。
そんな状況を見て母は怒る気にもなれず、いつもきまって
「とにかく寝なさい」
と言う。
次の日はすごく後悔する。
足の裏は地面につけないほど痛いし、足は曲げることができないくらいに筋肉痛になる。
自傷行動をはじめた日
私は、自分の意思を人に話す事が小さい頃から苦手だった。
家族にさえ伝えることが苦手な私は辛い事があっても話せる相手がいなかった。
だんだんと限界が近づいて発散しないと自分が壊れてしまうと考えた。
その時、抑えられず地面に腕を叩きつけた時、
その痛みは私のストレスを減らした。
それから、自分がコントロールできなくなると頭や腕をわざとぶつけその痛みで自分をコントロールするようになった。
だんだんと慣れてきてしまい、もっと辛い事をしなくちゃと思うようになった。
私は痛い事は基本苦手でリストカットなどはやろうと思った事がなかった。
私はある日、いろいろあって6時間歩く事になった。
普段引きこもりの私はその日すごく辛い思いをした。
ヒールで5時間歩き家に着いた頃には足は血で滲んで足は棒のように動かなかった。
でも、その時いままで以上に私の中のストレスが減っていった。
私の自傷行動の心理
刺激を求めて起こす自傷行動は、特に子どもが手持ち無沙汰になっている状況で起こりがちという記事を読んだことがある。
何もすることがない環境、あるいは何をしたらいいのかがわからない環境で、自傷行動によって引き起こされる強い感覚刺激で暇を潰してしまうということがあると書いてあった。
私は幼稚園の時から人が苦手で、不登校や学校中退による引きこもり、1人でいる時間が多いのにとくに興味があるものがないなど、何もすることがない環境だった。
そこで刺激を求めしてしまった自傷行動が楽しい、気分がいいと感じてしまったのかもしれない。
年齢とともに変化していった自傷行動
幼少期には自分の意志や要求を伝えるための手段として、思春期には自分の感情を抑えるための手段として、そして今はストレスを発散する手段として自傷行動を行っている。
どんどんと自分の中の自傷行動が変化していっている。
自傷行動を治すための対策
自分の意思を伝えられるようになる事
自分の意思を伝える事が苦手でそれによりストレスを感じたり、自傷行動によって相手に理解してもらおうとしていた。
自分がもっと感情を言葉にすること、相手に伝え自分の感情を理解してもらうことが大事。
自傷行動以外のストレス発散方法を見つける
趣味や熱中できること、趣味を共有できる友人や話せる人などが大事。
1人での時間だけでなく、誰かと一緒に楽しむ
私は1人で過ごす事が好きでそれでいいと思っていた。
たが、コミュニケーション能力は上がらないし、どんどん人付き合いは難しくなっていく。
それは更なるストレスになり、自傷行動が増えて生きづらくなるだけ。
人は人間関係で傷つき、人間関係で癒される
私にとってあまりよくわかっていない言葉だけど、家族といるのは楽しい。
だから、家族のように一緒にいて楽しいと思える人を増やしていきたい。