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【盆踊り】私の盆踊りアラウンドネス!

西村未奈です。

<盆踊りアラウンドネス>というプログラムを企画しています。盆踊り好きだけど、詳しいわけではないです!

盆踊り、には、なんていうか胸が疼くというか、キュンとさせられます。あの太鼓と唄が遠くから聞こえてくると、ドキドキ、気持ちが高揚してきて、でもちょっとなぜか少し不安な切ない気持ちにもなって、空気の匂いまでもが変わるような。子供の頃は、おばあちゃんと盆踊りの練習会に参加したり、大人に無理やり、櫓から降ろされるまで、何時間でも盆踊りを踊っていたり、普段から、ぼ〜っとした性分で、おとなしめだった自分に、少し違うチャンネルがあることを教えてくれた のも盆踊りでした。
盆踊りの練習会では、いつも、私に優しくお話してくれるおばあちゃんのお友達が、シャキシャキと先生をしていたり、商店街や近所の人が、少しいつもと違う格好と雰囲気で集まっていて、その場にいるのがくすぐったく恥ずかしく。大人が話している間、それぞれの人を頭の中で動物に例えて、動物会議を想像して、その議題を考えるという遊びをしていました!でも踊りだすとそんなの関係なく、無心でステップに集中できて、空っぽになるのと同時にみんなと一体にもなれて。休憩時間には、いろんな人がお菓子をくれて(笑)。一緒に踊った後だと、少し怖いと思っていた近所のおじさんも、ちょっとだけ親しみやすく感じられました。

でも、中高生と年齢が上がるにつれて、お祭り=屋台を楽しむ、になっていき、地元のお祭りで、おばあちゃん達が踊っているのを横目で見ながら、内心、一緒に踊りたいな〜と思いながらも、ただ、通り過ぎるだけになっていって。とても個人的だけれど、自分の中で、その記憶が、盆踊りに一抹の切なさを感じる要因の一つになっているのかもしれないなって思います。

港区で開催されている盆踊り練習会に参加しました!

今回、<盆踊りアラウンドネス>のリサーチ第一歩として、人と地域を元気にする盆踊り実行委員会代表の北島由記子先生が、港区で定期的に月2回ほど開催している、民謡から盆踊り曲、ポップス、洋楽まで幅広い曲で踊る盆踊りパフォーマンスの練習会に、夏の間、参加してきました。子供の時、参加していた盆踊り練習会の記憶がよみがえり、初日は、自分が大人であることを忘れて子供がえりをしてしまい、どう挨拶したら良いかわからない転校生のような心持ちでした。服装は自由でよいと言われていたものの、その日は、50人ほどいたほぼ全員が浴衣を着ていて、私は猫柄の短パンと猫顔のT-シャツと、頭に手ぬぐい、といういでたちだったので、制服の中に一人ジャージ登校してしまったような気分でした 。そういうそぐわない感じを出しつつ、実は、スーパー盆オドラー(盆踊り会場を転々と巡って踊る人たちのことをそう呼ぶそうです!)だったら、めちゃくちゃ格好よかったのだけれど、港区とも 、盆踊りとも、かなりの距離感があって、普通にただのソワソワと戸惑っている人でした。新しいコミュニティに入るのって、ちょっと勇気がいりますね。 でも、子供の頃の記憶と変わらず、休憩時間に一人でいても、お菓子を数人の方が届けにきてくださったり(笑)、3時間、ほぼぶっ通しで50曲を踊り続ける中で、自然と隣の方やメンバーの皆さんと会話が生まれたり、何より、同じステップをひたすら皆で踏み続けているうちに、軽いトランスというか盆踊りハイになってきて、無我&ピースの境地に至っていました。

カジュアルな雰囲気の中にも、明確に刻まれ続けるリズムと型の反復によって、身体が日常と非日常を自然に行ったり来たりしているようで、その少し浮き立つような高揚感に、あらためて盆踊りすご〜い!と感動しました。とはいえ、私が子供の頃の時分と比べたら、盆踊りも格段にアップデートされていて、私の中の盆踊り概念にはない曲や、複雑だったり変則的だったりする振り付けのオンパレードで、しかも皆さん、奇天烈な振りでもなんの違和感もなく涼しい顔で踊っていて、衝撃でした!私も、小学生の時、盆踊りっ子だったし、民舞を数年間、習っていた経験もあるので、結構、踊れるかな〜って、思っていたのですが、はるかにハイカラなステップが多くて、身体が全然追いつきませんでした。

西久保八幡神社盆踊り

そんな感じで、数回の練習会を経た後、演目を練習した神谷町の西久保八幡神社盆踊りに2日間にわたって参戦しました!同じく今回のwwfes実行委員である、ダンスアーティストのAokidさんや、石見舟さん、同じくwwfesプログラムであるトライアングルプロジェクトのメンバーなども一緒に参加しました。コロナ対策で、屋台は一切なく、ひたすら櫓の周りで、浴衣を着た大人たちがぐるぐると古典的なものから歌謡曲からご当地ソングまで、数時間、ひたすらに踊り続ける大変ストイックな会でこちらもびっくりでした。小休憩の間も、地域で修練を積んだ子供が太鼓を打ち続け、皆さん、立ったまま、熱い眼差しでそれを聞き、小休憩の後の自分の場位置への戻りも異常に早く、とにかく、踊りたいんだ!という皆の意志とエネルギーのみなぎる時空間が、まさに大人のダンスフロア!という感じで、新鮮でした。

強烈な体験だったので、夏の集中盆踊り期間から少し間があいた今でも、身体にそのグルーヴが残っています!と同時に、盆踊りって、すごく自由になってきているけど、例えば、運動会で、みんなで踊らされたジンギスカンとか、コパカバーナとか(私は断然、らっせら〜の、荒馬、派でした!)の創作ダンスと、何が違うんだろう?と新たな疑問がうまれたり。なんとなく、盆踊りっぽいリズムと太鼓と反復のステップがあって、みんなで輪になって踊れば、盆踊りになるのかな?盆踊りらしさって、どこから来るのかな?今でも、地域性や、その土地の生活様式や、鎮魂のスピリットを継承するもの?

正直、踊ってしまえば、伝統的なものも、すごくコンテンポラリーなものも、特定の地域のアイデンティを背負った演目でも、どんなものでも関係なくフラットに身体に馴染んでいくし、なんでも盆踊りになっちゃう、でいいじゃないか、という気もするのですが、ちょっと何かが引っかかる感じで。その何かがよくわからなくて、、、気になります。
その引っかかりを発端に、今回、<盆踊りアラウンドネス>では、リサーチ的に自作の盆踊り(のようなもの)を実験的につくってみようかなあと。

<盆踊りアラウンドネス>では自作の盆踊り(のようなもの)をつくってみます

いわゆる盆踊りでなくても、そのエッセンス?スピリット?を感じられるような、そんな感じの盆踊り。それが盆踊りと呼べるものになるのかもわからないし、何をどうすればそんなものになるのかも、まだ、皆目、見当がついていません!

とりあえず、今は、自分のごく限られた経験や印象や思い込みの範囲でしか、盆踊りを考えられていないので、まずは、ちょっと周りの人にも盆踊りの存在についてや、印象についてお話を聞いたり、エキスパートの方々にアドバイスを頂いたりしながら、少しずつ、何かに近づいていけたらいいなと、思います。

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