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クリエイティブの旅。BBOYINGという旅。

深い歴史のような話じゃないです。
詳しい事は詳しい人に聞いてください。

そして一点先に伝えておきたいのは、僕は地元愛知県でダンスを始めました。地元の先輩の影響もあり、関西のBBOYシーンに深く影響を受け育ちました。
関東のBBOYシーンも見ていましたが、やはり関西の影響が強く、その影響下の中で僕が感じた時代の話になります。

ボクらの時代

2000年初頭からオリジナリティていう概念がローカルにも根付いて、その恩恵を受けた第一世代が僕たちの世代です。もう少し具体的に言うと、ボクらの時代は、ワセダブレイカーズや一撃など、世界中に知れ渡った若き日本のレジェンド達のおかげで生まれた環境そのものでした。
ちなみに、その概念を知るまでは、覚えた技名そのものをただ反復練習する日々でした。

先輩達の伝言ゲームと、VHSからの情報。それ以外はイベントで目にできた事だけが、全てでした。

ボクらの時代は、先程言った「オリジナリティ」至上主義な時代の先駆けでした。ブレイクダンスの「正解」を求めてフラフラと彷徨った揚げ句、たまたまぶち当たった先輩達の好みによって、全ての価値観が変えられてしまう地獄のような時代でもあったと思います。
BBOYINGはクリエイトするもの。無限のアートフォームであり、それを共有する文化だと確信するには、とてつもなく厳しい状況でした。

自分自身のアートフォーム。そのベースを作る作業や、他人とそれを共存させビルドアップさせてくれるようなもの(サイファーの概念)が当時当たり前にあれば、本当にもっともっと小さなクリエイティビティが生まれていたと思う。

当時の自分が感じたやるせなさは、今考えても本当にやるせない。
無責任に若き発想や個性達を摘んだ"一部の先輩達"には怒りさえ感じます。


ちなみに、当時のアメリカBBOYたちは凄かった。
当たり前なんだけど、凄かった。
当たり前に最先端で、僕らの知らない価値観オンパレード。

いわゆる「90年代」のストリートカルチャーたちが混沌と混ざりあって、篩いに掛けられていく中でも、結局本場アメリカのストリートカルチャーが常に眩しく輝いて見えていたんです。とても自由で、本当に格好良かった。

まぁ、これはストリートダンスだけに限らないことですけどね。

「クリエイティビティ」を初めて知った時代

僕は「オリジナリティ」と「クリエイティビティ」の違いがあんまり良く分かっていなかったんです。英語も全く話せなかったし、そこまで回る頭の良さも持ち合わせていなかったんです。
自分の中にある小さな「ものさし」だけで、それが「オリジナル」かどうかを判断していて、本来その元になるはずの「クリエイティビティ」には全く目が届いていなかった。

しかし一点、僕には思うことがあります。
今じゃ正確に確認する術はありませんが、当時の日本BBOYの第一線で活躍していた方たちも、そこまで明確に「クリエイト」することにフォーカスしてしていなかったのではないかな、と思います。
もう少し具体的にいうと「作ること」ではなく「見せること」に重点を置いていたように思います。

しかし、話が矛盾するようですが、一握りのBBOYからはものすごい「クリエイティビティ」を感じていました。僕みたいなペーペーが持ち合わせていない「ものさし」でもそれはビンビン感じることができる程でした。
当時の海外のBBOY達(主にアメリカ)からはその「クリエイティビティ」をしっかり感じることが出来ましたが、日本人のBBOYたちから感じることが出来たのは本当に一部だったと記憶しています。

「クリエイティビティ」という概念を知らない僕は、「オリジナリティ」ではないけれど、この「モヤモヤ」はなんだろう。と何度も自問自答したのを覚えています。
アメリカ人と、日本人の違いなのか?踊る人のテンション?
みたいな、今考えると訳のわからない解釈ですごく遠回りをしたと思います。

「オリジナリティ」と「クリエイティビティ」の違いが分かるには本当に時間がかかりましたが、この何か分からない「違和感」こそ、自分が新しい自分に気付くための大きな足がかりであったのです。
うっすらとクリエイティビティを知り、疑問に持つことで、僕の中で新たなBBOYINGへの探究心が生まれたのでした。

クリエイティブを始めた僕の旅

 2004年。アメリカのLA。
bboy summit XとFSS8へ行って、衝撃を受けました。

bboy summit Xで行われた世界で初めて??の「サイファーピックアップ」のFootwork contest。それは本当に凄かったです。世界がひっくり返る様な光景だった。その後世界で活躍するようなBBOYたちが集結し、黒くて重い空気の中繰り広げられるサイファーと、Footworkの質。
オリジナリティの概念だけでは説明のできない、最高のJAMでした。

大袈裟ではなく、世界のBBOYシーンはあのFootwork contest以前と以降で大きく様変わりしたと思います。サイファーという概念が世界に広まり、それとともにFoundationという概念(言葉)も同時に広がるキッカケになったのは、僕の体感的に紛れもない事実だと感じています。

そこからRSCやMZKなど、世界でオールドスクールが見直され、一つのムーブメントになりました。ファッションも見直され、バトルのシステムや、HIPHOPの中にある「言葉」の意味も再確認する機会が増えました。
同時にインターネットの普及も相まって、情報が溢れ、世界中のBBOYたちの中でオールドスクールへの認識が深く濃くなっていきました。
そして、BBOY的に一番大きな流れがFoundationという概念で見直されたBBOY BASICです。

基礎とはなんぞや。Foundationとはそもそも何だろう。
世界中のBBOYたちが、そんなことを考えていた時代でした。
周りをみてもRSCやMZKの後追いで、もちろん、僕もその一人でした。「Foundation」という概念は、当時の僕たち日本人には非常に難しく、本当に分かりにくかったのです。

ただ、しかし、行き着いた答えは単純明快でした。
僕は頭でっかちで、左右を見ることが出来ないバカだったのです。

オリジナリティをFoundationという概念なかで共存させる答え、それこそが「クリエイティビティ」だったのです。
基礎を作り、そのなかでクリエイトしていくこと。

こんな単純なことが分からなかったのはなぜだろう。あぁそうか、僕は「オリジナリティ」に頭を侵食されていたのだった。
と、その時ににようやく理解できたのです。

オリジナリティの再発見

そこからは、まるで水のように流れていくだけでした。

基礎を学んで、クリエイトしていく。それがオリジナリティに昇華され、スタイルへと変化していく。

あぁぁぁ、、、、
これが夢見た90年代のアメリカBBOYたちの感覚だったのか。。。

長い旅だった。涙

Homeward Journey

BBOYINGとは本当に面白いです。
そして、人間というものは本当に愚かです。

クリエイティビティやオリジナリティという概念を知り、そこから生まれるスタイルの価値を見出だせるようになったのに、それを生み出そうとすればするほど、その自分は過去の自分だったりするのです。

ここからが、本当に長い旅だったのです。
僕は何者なんだろう、どこから来たのだろう。

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