animismと言う考え方。
物には命が宿る
いきなり直球ですが、そう言う考え方が、日本にありますよね?
どこにいてもトイレにしてもそれぞれに神様がいらっしゃると言う考え方を、人はアニミズムと言うそうで、私は小さい頃からその考えを元に生きて来ましたが
親は何を心配していたのか変な宗教に引っかかることがないようにちゃんとした宗教もとい教会へ通わせてくれました。
そこで得たものというのは
救いたい・救われたい・癒されたい・癒したい・誰かに必要とされたい・したい。
という事、つまり自分の居場所ですね。
それによって自分が此処にいて良いんだと思える場所と感謝を込めて祈るという作法を教えていただいたのが自分のベースになっていたのである意味では合っていたのだと思います。
しかし、大きくなるにつれて一つ疑問を感じるようになりました。
それは日本には既に八百万の神様がいらっしゃるという事、その神様達を大事していきたい。
神社やお寺さんがいらっしゃるこの国に、何故一神教は許していただけないのか?
何故?
ここ日本だぜ?
神社やお寺に行ってもいいけど
偶像崇拝はダメ。
占いもダメ。
あれもこれもダメ。
おいおいwとツッコミを心の中で何度かありましたし、教会の教えは人としての指針としては物凄く良いんです。だけどここは日本ですし、信仰は自由な筈です。
だから、宗教は何?と聞かれたときには教会、でも信仰対象は八百万の神様と言っていたような記憶がありますね。
もちろん、今でも教会は好きですよ、空気がシンとして信者の方々がとても大事にしているあの空気感と雰囲気、歌…どれをとっても懐かしくなりますね。
だけどそこで自分はハッと目を覚まして、自分のベースとなっていた宗教の矢を折りました。
見事にポキッとな。
もう既に私には自分が根付いているこの生活の基盤、宗教ではないんだけど八百万の神様を信仰しているし、根付いている。
そうです。
すでに日本にはアニミズムがあると言う事を。
それぞれに神様がいらっしゃるこの国にはクリスマスの後にお寺の鐘に、地元の神社への新年のご挨拶、その後に大祓に、豊作願い、と言ったルーティンがあるし、既に生活として根付いているから私には一神教には合わないと感じたのですよね。
だって八百万の神様を感じていたいから
だから通っていた教会から離れましたし、自分自身の中でしっくりくるものを感じていたい、それが今の自分ですね。
そして、もっとしっくりきたのは
「大地讃頌」の歌詞の一部分の
大地を愛せよ 大地に生きる
人の子ら その立つ土に感謝せよ
人は産まれた時に大地に立ち、やがて大地の元に帰る。無にはならない、だって命がまた宿るからという事を実感したんですね。
沢山の神様がおわすこの日の本で、生きているんだから、その想いを大事にしていく方が素敵だなぁと思ったので、揺るがないですね。
あ、だからといって宗教施設でのマナーはあるのでしっかり守った上でご挨拶をします。
(それ大事です、場を守る上で)
例えこの宗教はいいよ!教えがいいよ!と言われたとしても、頑として譲らない、寧ろ精神論を生き生きと話しちゃうぜ✨(あ
なんで、信じる事のベースは人それぞれで、良いと思うんです、それこそ八百万の神様がおわす国ですから、その人の心の支えになっているので強ち間違いではないですし
精神的な支えというものは
人を物凄く強くしていきます。
もちろん大地に足をつけて歩くという意味合いにもなりますし、感謝の思いを口にするというのは、普段から中々出来ない事なんです。
とくにですね…
有難う。
そして
いただきます。
ごちそうさま。
この3つの感謝の言葉は私達の生活に根付いているので、もはや宗教とか、信仰とかではなく儀式でもなく、もう当たり前のように有るものに感謝をしている。
そこには、色んな方々が大切に育てた命を私達の生活に与えて頂いているという意識があるからこそ出来る事なんです。
それは誰よりも誇っていいと思うんです。
誰よりも大事にしていいんです。
だって感謝を口にするというのは
自分や自分見守ってくださる家族や、友人、その周りの人達のことを思い出し、やがてそれが八百万の神様に届く。
それを私は大事にしていきたい。
そう思ってもう一個マガジンを発信していきたいなぁと思いましたので、作成しました。
しょっぱなからこんな話でサーセン_(:3」z)_
見てくれた貴方に感謝です。
有難う!
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