始まり

ーーーーはあ、はあ……

乱れる息を吐きながら、駆け足で走っていく音がいつもより五月蝿い。
不安が胸の中に広がっているのを感じた私は、森の中でカサカサと葉の擦れる音が何時もより、大きく感じるせいでますます私は急ぎ足で、目的の場所へ向かっていく。

勿論、そんな事をしても状況は変わらないって分かっているはず、
だけど本当に、今日に限って音に敏感である自分に罵りたい。

「もうなんなのよ!」

なんでこんな事になったのかだなんてサッパリ分からないままだ。
なぜこうなる事を理解してなかったのか、もしくは呑み込めてなかったのかと自分で生んだこの状況を、呪いそして罵りの言葉を何度となく吐きながら、必死に走り続けた。

そんな状況なのに、何時間経ったかどうかなんて今はそんな気にする事じゃないと頭の片隅へ思いやれば、思わずふと空を見上げると、月が綺麗にぽっかりと浮かべている。

「ああ…」

とつぶやきながら、今夜は満月だと眩しそうにを目を細めて、走る速度を少し弱めた。その月明かりのせいか、いつもより森の中が明るいなと思ったけど、そうか今日は満月か…と小さな声で囁いた。

それに息の乱れを整えないと、とてもじゃないが無理だ、心臓が爆発する寸前なのとここまで走ったら追ってこないだろうと後ろを振り向きたい衝動に駆られる、が、それどころじゃない、本当に急がなければ彼らが追いついてしまう!と、考え直し再び走り出した。

(はあはあ…)

あれだけ気を抜いてはいけないと、幼い頃から口酸っぱく教えられていたはず、なのになんでこんなに走らならきゃいけなくなった?と頭の中で何度も木霊して、ぐるぐるとその考えに捕らわれる。

そもそも人間がいる世界へ行くなと、それも多民族が混ざるあの本屋に寄るなと言われたはずだった。が、取り寄せないと欲しい本が手に入らないと言われ、しかもそこの本屋に行き予約しないと言われたらもう、その手段しかなかったと言いようがない、ああもう今までの中で最悪。

ーでも戻らなければ、命は助からない。

そう、私が今ここで必死に走っているのは、人間が入るような山奥じゃない、そこに入ったら二度と戻れない禁忌とされている獣だらけの山と呼ばれている場所に私は住んでいるのだ。
後もう少し走ったら、ある境目の一線を越えたら安心出来る、否、多分入って来なくなるだろうと、息を整える為に木の陰に潜んだ私は、ふうと息を吐いて吸っての繰り返した後、ズルっと地べたに座り込む。

「なんで、こうなったんだっけ…」

おかしいなと、今起きている状況を振り返…っている場合じゃない!と頭をぶんと左右に振った。真剣に急いで走っていかないと、宗に怒られる!と今にも不安で震えそうになる自分を、そうして奮い立たし、さっと立ち上がって境目まで走り出そうとした瞬間。

「おやおや…お嬢さん、こんな山奥で何をしているんです?」

かすれた声で、私の耳元に囁いたと同時に血生臭い匂いが充満して、
思わずうっと吐き気が催してきた。

ーこの匂いはまさか、吸血鬼一族?それとも死神一族…?

でも彼らはこの山奥に来れない、いや来てはならないはずなのだ。
私が生まれる前から昔からの決まり事の一つに、お互いの領地には入らないと宣誓して平穏を保っているとずっと昔に教わった。

じゃあ、私の背後にいるのは......?

「誰....?」

と、注意深く後ろへ振り向いたその瞬間、私はあっと声をだした。
そう、私の背後に立っているのは、先程まで居た本屋で一悶着おこした子鬼だった。その瞬間、「ああ、逆恨みか」と察した私は今までの自分の身に起きたことを振り返る。

そもそもあの本屋にいたときに、しっこい子鬼の口説きから必死に逃れようとした女性を見かねて、私が子鬼をこてんぱんして、余計なお節介事をしたんだった。そのせいで逃げなくてはならなくなったのだけど。

「なぜ、私を…?」

震える声を押さえて、目の前で立っている子鬼に疑問に思ったこと問いただした。そう、逆恨みするならもっと別の方法でやるはず、ましてやここは禁忌とされる山、知っているはずなのだ。なのに、追いかけた理由が分からない。

「嗚呼、そうだねえ、本当は普段ここは入ってはいけないと知っていやす。勿論あっしはなんもしやせん。ただ気になることがあってさあ。」

くくくっと嘲笑うかのように喉を鳴らしながら、子鬼は一歩一歩私に近づいて、くんと匂いを掻いだ。その匂いに眉を潜めて、苦しげに呻いた子鬼はさっと後ろに引いたまま信じられないと言った顔つきで私を見る。

(まさか…)

私の正体気づいたというの?と頭の中にそう浮かんだ時、子鬼は口を開いて

「まさかとは言いがたいですがねえ、仮にあったとしてもあっしは信じられないんでね」

と話し出した。

「お嬢さんの匂いは独特なんでさあ、あっしらには分かるんですよ....
この世の人間ではないってことをね」

と吐き捨てた言葉と同時に、私の髪の毛を引っ張り、その反動のせいでドサっと地面へ押し倒れた。その一瞬を見逃さなかった子鬼は片手で私の手首を押さえると、空いた手で私の口を塞いだ。

「ぐっ」

その隙を逃れなかった私は悔しそうに睨んだその姿を子鬼は満足げに見下ろし「はは、その目であっしをみても効果は薄いですぜ」となぞるように舌先で私の顔を舐めていく。
これでは「離して!」と叫ぶ声すらも出来ない。

「嗚呼、此の匂い堪らないんでさあ、お嬢さんの匂いは人間とは違う」

ぞくぞくするほどいい匂いなんでさと子鬼は、嬉しくてたまらないと言うかのように、そのまま私の首筋を舌先でなぞり、がりっと歯型がつくほど深く私の首筋に噛みついた。

「うっ」

子鬼によって強く私の首を噛んだせいで、血が流れる感覚と更に充満していた血の匂いが強まる。勘弁して、これ以上やると力を出さなくてはならなくなる、それはダメだと頭の中で警告のアラームが鳴り響く。

絶対に私の正体は知られてはならないとあれだけ言われたのに、これ以上惨めな姿晒すものか!とばかりに思い切り足をばたばたと動かした拍子に、子鬼の小股に当たって「うっ」とその一撃で緩んだ瞬間を逃さず、更に頭突きをお見舞いした。

「ぐあっ」

その呻いた声とともに、私は急いで立ち上がり境目まで走りだした。

「ま、待ちやがれ!」

子鬼の叫びが聞こえても、私は必死に駆け足で走り続ける。そうまだ月は明るい、まだ大丈夫、月のあかりを目安に走り続けていれば境目まで辿りつける。そしたらもう大丈夫だから!走れと頭の中で、必死に恐怖に負けそうになる自分と戦っていた。

ー後もう一歩で、境目だ!

そう私は後一歩のところだというのに、いつの間にか追いついていた子鬼にぐいっと力強く首筋を捕まれ、その拍子にドサっと大きな音を立てて後ろへのめり込むように地面へ倒された。

「きゃっ」
「お嬢さん、大人しくしてないと駄目でしょう?」

馬乗りした状態で、私を嗜めるかのように怒りを含めた声でそっと耳元で囁いた。

「お嬢さん、悪い子のようだから血桜姫様に…」

と、言いかけた瞬間、子鬼は困惑したような顔つきして辺りを見回した。

「まさか」
「そうそのまさかだ、子鬼」

と、透き通るような声とは裏腹に、無表情の仮面をつけた少年が、子鬼の背後に立っていた。それに暗闇だから余計に分かるのか、月明かりに照らされてキラキラと光る正体は大きな鎌の刃で、その鎌は子鬼の首を刎ねようとした寸前で止められている。

「…ははっ、こりゃいい獲物がかかったようでやんすなあ」

と子鬼は、首筋にかかっている鎌の刃に怯むことなく、大きな声で嘲笑った。

「そもそもあっしは死なんて恐れてないんでさ、刎ねたければ刎ねればいいその代り、このお嬢さんの命は無い」

と、ぐいっと私の首を凄い勢いで強く手で絞めつけていく。

(く、苦しい。放して!)

必死に子鬼から逃れようと体をもがいても、子鬼から向けられる冷たい視線と首筋を締め付ける力に、私は意識手放す寸前になりそうなる。

(なんで私がこんな目に合わなければならないのよ!)

その様子を冷ややかにみていた、少年は…

「馬鹿な子鬼だな、貴様の命は俺に出会った時点で終わっている。」

と言った瞬間シュッと空気を斬るように鎌を振り落とす音が聞こえた同時に、子鬼の首筋から血が溢れ出した。

「ぎゃああああああああああ」

悲痛の叫びが響き渡って、どさっと倒れた子鬼をもろに見てしまったせいなのか、その一瞬の出来事に追いつけられないまま、私は目を開いた状態で硬直し返り血を浴びてしまった。

「こんゔぁ事じで、いいとおぼっていいのがあ!」

溢れだした血が止まらないのか、必死に喉を押さえながら、恨めしげに辻斬りをした少年を睨んだ子鬼に、無表情の仮面を付けた少年は鎌を振り落とした状態で無言でうなづく。

「今夜の俺は物凄く機嫌が悪い、なぜなら追っていたその小娘を…、
俺の獲物を貴様は横取りした」

それに、と仮面の少年は言いかけた瞬間、遠くから狼の遠吠えが聞こえた。その遠吠えに聞き覚えがあった私は、宗達だ!と感づき、私は馬乗りになっていた子鬼を素早く蹴っ飛ばし、急いで立ち上がって境目の線へ駆け込んだ。

「ぐぁ…っ、までええええ!…ぎゃああああああああ!」

溢れ出す血を押さえて追いかけようとした子鬼を、追い打ちかけるように鎌をもった少年の手により、ドサっと大きな音を立てて崩れ落ちたことを知らず、必死に逃げていた私は、決して振り向く事は無かった。

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