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走って逃げる

 ヒリつくような恋を、私は急に思い出すことになった。

 何年も連絡のなかった元彼氏が、SNSで連絡してきた。もちろんお互いフォローもしていなかったから、たまたま表示されたのかそれともわざわざ探したのか、そんなことは聞かなかったけれどとにかく完全に終わったと思っていた人間関係が急に目の前に現れた。

 関係が終わった時、もう連絡は取らないと心にきめた。そもそも最後まで縋っていたのは私の方だったから、私から連絡しなければそれで終わりのはずだった。連絡してみようかと思うことは何度もあったが実行することはなかったのに、彼の名前を見た途端に決意は嘘のように儚く砕け散った。

 特別な話をしたわけではない。一緒に過ごした時間には触れず、近況報告と雑談のみ。夫や子供に見せられない話題は何ひとつ出てこなかった。それなのに、私はそのあと1時間以上も目を閉じることができなかった。

 彼は、間違いなく生涯で一番自分を捧げた人だった。お互いを求め、搾取し、傷つける毎日。それは恋でも愛でもなかったかもしれないというのは今になって思うだけで、当時はそれが愛だと信じていた。耐えられなくなったのはどちらが先だったのか、今となってはもうわからない。縋りつく自分もとうに限界を越えていた。最後は友人が会いに行かないように阻害し、離脱症状に付き合ってくれて無理やり関係を終わらせた。

 だから、彼とのやりとりは私の感情を揺さぶった。時間をかけて昇華するのが最善であったのだろうが、とりあえず自分から切り離したくて生々しいまま蓋を閉めて押し込んであっただけなのだと実感した。ほぼ当時のまま光も当たらない場所に巣食っていた思いは、今の私の手に余った。戦うことは難しい。それなら、逃げるしかない。

 過去に追い付かれないように、走って逃げることにしよう。後ろを振り向かず、追手の大きさや速さは直視せずにただ前だけを向いて走ろう。大丈夫、あの頃の私とは違う。夫と我が子という伴走者を得た私は、きっと速く遠くまで走れるはずだ。

 ……いつかふいに振り向いたときに姿が消えているか、戦えるまで私自身が強くなっているか、どちらかであることを願っている。

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