「跡継ぎ」の私

今晩、親戚の危篤の知らせが届いた。特に可愛がってもらった記憶があるわけでもないが、やはり胸はざわつく。
母も最近ごく初期の癌を摘出した。今までは騒がしいなと思っていた寝言も、生きているあかしだと思うと安心する。
そんなことを考えていたら、眠れなくなってしまった。ので、noteでも書こうと思う。

可能性を閉じながら開いていっている緑青さんの話を聞いて、どうかご自愛いただきたいと思うし、なんなら私ルームシェアしたいです!というのが本音である。

だが私にはそれは難しい。理由は、私が私の家系の「跡継ぎ」だからだ。

これから時代錯誤な話をすると思うが、ご容赦願いたい。

私の家は数百年続く農民の名主の家系だ。どのくらい遡れるのかは知らないがおそらく全国的に記録を過去帳などでつけ始めた頃にはもうあったと思う。そして、ずっと同じ家に住み続けていると考えられる。跡を継ぐ仕事はないのだが、屋号もあるらしい。

そんな家の跡取りが、私である。というか、私になった。
私の父はずっと長男の家系であり、つまり私は直系である。それでも幼い頃には自分が跡継ぎだと意識していなかった。姉がふたりいたからである。
その姉が、結婚して姓を変えた。結果、私の家族の姓を名乗る未婚(非婚)者は私しかいなくなり、私が跡継ぎだと決まったのが、5年ほど前である。

ずっと同じ家に住み続けているというが、それは祖父の代までの話で、父は仕事の関係で45年前に関東に越してきた。つまり私の出身地は実家ではなく、関東になる。いずれ住み慣れない街で、住み慣れない家の当主になるわけである。

そうして、私に課せられるミッションがある。

跡継ぎを産むことである。

結婚・出産というものが「達成すべき課題」となって四六時中私の頭にべったりとはりついている。
私は元来恋愛というものが非常に苦手なので、かなり厳しい課題である。もう二度とやりたくない卒論よりずっと難しい。

住む家もあるし、仕事だって選べる環境だ。その点で私の可能性は広がっている。一方で、住む場所は決められており、また人生も決まっている、というとおかしいが、「こうしていく」というものは決まっている。私の可能性は閉じている。

ここで辛いのが、この時代錯誤を守ろうとしている私がいけないのだろうが、友人などに話してもほぼ100%理解してもらえないことである。

別に自由に生きたらいいじゃん。
自分の幸せを第一に考えなよ。
結婚したくないならしなくてよくない?

その通りだと思う。しかし30年近く「直系の子ども」として育てられた私には、どうしてもその選択ができない。

ひとまず今できることは親戚の無事を祈ることだけだろうか。

今はこれしか書くことができない。

(しあん)


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