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新宮を歩く

 本殿に続く急な石段を上りきり、木の根の浮き出る道を少し歩く。12月上旬というのに、汗が滲む。やはり紀南の冬は暖かい。目の前には黒潮の流れる熊野灘が広がる。視線を上に移すと、ご神体の巨石「ゴトビキ岩」が飛び込んできた——。

 ここは和歌山県新宮市の世界文化遺産、熊野速玉大社の摂社・神倉神社である。この巨石と毎年2月に行われる日本最古の火祭り「御燈祭り」で知られる。10年ほど前に家族で訪れた思い出に浸っていると、後ろから「やっぱり若い人は歩くのが早いねえ」と行きがけに追い越した二人組の老齢の男性が追いついた。新宮市内に住むという二人は参拝を済ませると、しばし景色を楽しんでから降りていった。

新宮ロング2枚目

 筆者もそのあとに続く。「ゴトビキ岩」は古代からの時間が流れる新宮の街を見守るように前面に迫り出していた。山岳信仰の聖地、修験道の根本道場だった熊野の中でも、新宮は熊野権現という主要な神が降臨した地として知られている。また、紀元前の昔には、中国・秦の始皇帝に仕えていた徐福という人物が不老不死の霊薬を求めて渡来し、「天台烏薬」という薬木を見つけたという逸話が残るなど数々の神話や伝承の舞台となっている。

 江戸時代には熊野灘を舞台に絵巻物のような古式捕鯨が繰り広げられた。近代に入ってからは山で伐り出した木材を筏に組み、熊野川で河口の新宮まで運ぶようになり、日本有数の木材集積場に成長した。そんな紀南独特の風土から文化勲章受賞者の詩人で作家の佐藤春夫や紀伊半島を舞台にした作品で知られる中上健次ら多数の文化人も輩出した。

 参拝を済ませ、「ゴトビキ岩」と新宮市内のパノラマに別れを告げたのはいいが、下りは上りより格段に難しい。足元を確かめながら一歩一歩降りてゆく。向かいから上って来る人と言葉を交わす時は流石に心が緩む。「御燈祭り」の男衆はこの石段を大きな松明を掲げて龍が滑り降りるが如く疾走するのだから、想像するだけでも身がすくむ。

 無事石段を下り切ったところで赤い鳥居をくぐって下界に戻る。小さな川にかかる橋を渡り、舗装された細い小道を左に進むと、平家の古民家が見えてくる。大きく開かれた掃き出し窓の前に広がる縁側が印象的な日本初の泊まれる図書館、「えんがわ」だ。子供向けの本棚や高校生向けの自習室、若者の起業支援の場、地域コミュニティスペースなど、さまざまな機能を備えた街の交流拠点となっている。

えんがわ写真

 左隣の2階建て民家は、祖父母の家を思わせるような昭和な雰囲気が漂う。一棟貸しの宿、「神倉書斎」。中に入ると本や鉱物などが並び、こじんまりした博物館のような空間が広がっていた。どこか懐かしさも感じる。壁際の本を眺めていてそこに張り出されているものに気づく。それはあるおばあさんが体験した謎めいた岩石学者との出会いと別れに関する物語だった。この物語が「神倉書斎」が誕生した由来になっているという。

 2階に上がると窓からは梅の木が見え、机の本棚には辞典などが並ぶ。書斎のようだ。机上には数枚の手紙が置いてあった。読んでもいいだろうかと、少し気後れしつつも手に取る。それは岩石学者が先ほどのおばあさんに当てて書いたものだった。夢中になって読んでいるうちに日が傾いて来た。壁に掲示されていた物語や手紙は現実のものだったのだろうか。狐につままれたような気持ちを抱えながら、その民家を後にした。「また、ゆっくり泊まりに来てくださいね。」そう言われた気がして、思わず振り返った。

えんがわ写真1枚目

 周辺には神倉神社をはじめ熊野速玉大社や佐藤春夫記念館など、新宮の豊かな文化を感じさせる場所が数多くある。神倉書斎では自転車も借りられる。遊び疲れたら、名物のさんま寿司とともに霊薬、天台烏薬を使った「徐福茶」を飲んで一息つくとしよう。

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