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岡田雅利〜現役引退まで〜

2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに6巡目で指名された。
2014年5月17日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦にて代走でプロ初出場し、18日の対楽天戦にて代打で迎えた初打席は三振に倒れた。
5月26日の対広島東洋カープ戦では8番・捕手で初先発出場し、第3打席で初安打を放つと9月28日の対楽天戦では適時二塁打を放って初打点を挙げた。
2015年7月8日の対オリックス・バファローズ戦の7回にプロ初本塁打を放った。8月8日の対オリックス戦で二塁にヘッドスライディングした際に左肩を痛め、8月9日に出場選手登録抹消。
2016年も開幕一軍入りを果たした。開幕後は炭谷銀仁朗のバックアップとして起用されていたが、4月下旬から先発起用されるようになり、この年は22試合で先発出場した。守備面が評価されて47試合に出場したが、打率.227、5打点と打撃面でアピールすることはできなかった。
2017年も開幕を一軍で迎え、5月17日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初の猛打賞を記録した。この試合で本塁打が出れば、サイクル安打となったが、空振り三振に倒れた。この年は、炭谷と併用されて47試合で先発起用された。特に、野上亮磨・十亀剣・多和田真三郎が先発登板する試合で先発起用が増えた。犠打が非常に上手であり、打撃面ではチーム3位の12犠打を記録した。
2018年は森友哉、炭谷と併用され、52試合に出場。打率.272、3本塁打の成績を残した。シーズンオフに右肘関節鏡視下関節形成術を受けた。
2019年は昨オフの手術の影響も無く、無事に開幕一軍入りを果たした。8月4日のオリックス戦で本塁でのタッチプレーの際に左親指を負傷して途中交代。痛めた左親指に加えて以前から状態が悪かった左膝も同時に手術をした。残りのシーズンはリハビリに費やし、36試合の出場に留まった。
2020年の春季キャンプでの復帰を目指していたが、コロナウイルスの影響で開幕が延期となったが開幕一軍入りを果たした。この年は正捕手の森が打撃不振に陥っていた。岡田も9月にようやくシーズン初安打が出るほど打撃不振に陥り、9月中旬頃からは当時ルーキーの柘植世那がマスクを被る機会が増えていった。シーズンを通して一軍に帯同したが、打率.107で29試合の出場にとどまった。
2021年は5月18日の福岡ソフトバンクホークス戦で2019年7月10日以来、2年ぶりの本塁打を記録した。6月1日に国内FA権を取得した。控え捕手だけでなく代打も担ったがこの年も打率.119と打撃が振るわず、34試合の出場にとどまった。11月30日にFA権を行使した上、3年契約で西武に残留することを表明。
2022年は膝の調子が悪く、一軍での出場は1試合のみ。二軍でも17試合で打率.160、1本塁打5打点と振るわず、7月13日に左膝関節鏡下半月板部分切除術を受けた。3年契約1年目が終わった。
2023年は3年契約の2年目。左膝の加重位置修正のため、3月14日に大腿骨・脛骨骨切り術を受けた。復帰は翌シーズンになることが発表された。
そして3年契約3年目の2024年。何としても結果が求められるシーズンであった。4月の三軍戦で復帰はするものの一軍昇格はなかった。9月3日に2024シーズンで現役引退を表明。引退試合となった9月14日千葉ロッテ戦(ベルーナドーム)では2番捕手でスタメン出場。羽田慎之介をリードし、初回ピンチは招いたものの1失点で抑えた。1回の裏に迎えた現役最終打席。登場曲はおなじみの「それが大事」が流れ、西武ファンも岡田コールをするなど懐かしさも感じた。1死走者なしで打席で回ってきて、相手ピッチャー小島からレフト線を破るツーベースヒットを放った。
その後野村大樹の右飛の間に3塁にヘッドスライディング。膝も痛いなか最後に力を出し切った。
2回守備に就いたがプレー開始直前に柘植に交代し、最後はユニフォームを真っ黒にし、打率10割で現役生活を終えた。

岡田選手、ほんとに11年間という長い間お疲れ様でした。膝の手術が相次いで、リハビリ期間が長くとても大変だったと思います。2018、2019は岡田選手が居なければ優勝出来てないと言っても過言ではありません!バントをしっかり決めて帰ってくるかっこよさ一生忘れません。ゆっくり膝を休めて、いつかはコーチとして帰って来てください!現役生活お疲れ様でした。

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