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増田達至〜現役引退まで〜
2012年10月25日に行われたドラフト会議で東浜巨の交渉権を重複指名による抽選で外し、広島と西武にドラフト1位指名され抽選でNTT西日本から西武に入団した投手。
2013年の春季キャンプはA班で迎えたが、状態が上がらず途中からB班に合流。3月の二軍戦では左脇腹を負傷し、実戦から離れた。5月下旬に復帰。6月12日にプロ初一軍昇格。翌日の中日戦で延長11回でプロ初登板。浅村栄斗の送球エラーで失点。自責点0でプロ初黒星。6月23日のオリックス戦では同点の10回に登板。その後チームが勝ち越しプロ初勝利を記録。9月26日には不調の野上が中継ぎに回ったことからプロ初先発。勝敗はつかなかった。ルーキーイヤーは一軍で42試合(2先発)に登板し、5勝3敗5ホールド、防御率3.76を記録。
2014年は右肩痛で開幕二軍。5月に昇格するとセットアッパーとして起用された。この年は全てリリーフ起用。3勝4敗22ホールド防御率2.82という成績を残した。
2015年は初めて開幕一軍入り。開幕からセットアッパーとしてフル回転。監督選抜によりオールスターにも出場した。9月8日オリックス戦でプロ初セーブを記録した。夏以降調子を落としていた髙橋朋己に代わりシーズン終盤はクローザーを務めた。この年はリーグ最多の72試合に登板。2勝4敗40ホールド3セーブ防御率3.04と好成績を残した。
2016年は2年連続で開幕一軍を迎えるも、開幕直後は球速が出ておらず、髙橋朋己がクローザーを務めていた。しかし髙橋も救援失敗が続き増田が4月に状態を上げたためクローザーを任されるようになった。髙橋が肘痛で抹消されるとクローザーに定着。53試合の登板で3勝5敗5ホールド28セーブ防御率1.66。複数失点をしたのは2試合のみとこの年も好成績を残した。
2017年は開幕からクローザーを務めた。しかし被本塁打が多く前年に比べると救援失敗が目立った。57試合の登板。1勝5敗4ホールド28セーブ防御率2.40を記録した。翌年から選手会長を務めることが発表された。
2018年も開幕からクローザーを務めるも本調子からは程遠いピッチングが続いた。チーム事情もありクローザー起用が続いたが 5月末から交流戦にかけて4敗し、中継ぎへ配置転換。その後も調子が上がらず抹消。8月後半に再昇格し、9月には2勝2セーブ防御率2.08を記録した。チームは優勝したもののシーズン成績は41試合、2勝4敗2ホールド14セーブ防御率5.17とキャリアワーストでオフには自身初の年俸ダウン。
2019年開幕前の勝ちパターン構想は状況や状態次第でヒース、マーティン、増田の3人で回すというのであった。ヒースは開幕前から調整不足を露呈し、マーティンも失点が目立ち安定感が欠けていた。増田はクローザーの座に返り咲き抜群のピッチングを続けた。9月11日のソフトバンク戦で史上32人目の通算100セーブを達成した。24日のロッテ戦、9回に登板するとレオネス・マーティンから三振を奪い、この瞬間チーム2年連続のリーグ優勝が決定し、胴上げ投手となった。今年は完全復活し65試合に登板、4勝1敗7ホールド30セーブ防御率1.81、WHIP0.88と好成績をあげた。オフには最優秀バッテリー賞を森友哉と共に受賞した。なお、2年間務めていた選手会長を退任し、後任に森を指名した。
2020年は新型コロナウイルスの影響で120試合の短縮シーズンとなり開幕も延期された。6月に開幕したが開幕から8試合連続無失点と好スタート。8月中旬以降は失点する場面もあったがこの年は48試合の登板で5勝0敗1ホールド33セーブ防御率2.02を記録し、自身初の最多セーブのタイトルを獲得。「シーズン無敗の最多セーブは」1997年の佐々木主造、2009年の武田久に続く史上3人目の記録であった。また、通算136セーブしたことで豊田清が保持していた球団通算セーブ数を更新した。12月4日国内FA権を行使し、西武に4年総額12億円超えで残留を発表。
2021年も開幕から9試合連続無失点で6セーブを記録し好スタートを切ったと思われたがその後調子を落とし5月頭に抹消。抹消後は下半身のコンディション不良のためしばらく実戦から離れていたが6月20日の二軍戦で実戦復帰。しかし本来の投球には戻らず二軍でも打ち込まれていた。後半戦の開幕と共に再昇格し8月14日の楽天戦で復帰登板となったが1回2失点で負け投手となった。その後は徐々に状態をあげ、リード・ギャレットの不調もあり26日のソフトバンク戦からセットアッパーを務めたが被弾が増え、チームのCS出場が完全消滅すると再び抹消された。シーズン終盤に再登録されるも出番はなかった。この年は33試合0勝3敗9ホールド8セーブ防御率4.99という成績に終わった。
2022年は平良海馬の出遅れもあり、守護神として開幕を迎えた。支配的は投球ではなく時にはピンチを招きながら無失点で抑える試合を積み重ね、しかし7月に入ってからは打ち込まれる試合が目立ち7月13日にはコロナウイルス陽性判定を受けて抹消され、オールスターに選ばれていたが辞退。8月5日に一軍復帰を果たしたが8月だけで2度のサヨナラ負け、9月6日には近親者に陽性者が居たため特例2022で抹消。9月8日に一軍復帰。同日のオリックス戦で通算500試合登板を達成。しかし2本のソロ本塁打を打たれた。その後も被本塁打による救援失敗が相次ぎ、CSでも当時監督の辻監督は「守護神は固定しない」と名言。ファーストステージで負ければ敗戦となる4点ビハインドの7回裏に登板。2失点を喫してチームも敗れた。
2023年も開幕一軍。基本的には守護神として起用されていたが右肩のコンディション不良で出遅れていたこともあり状態が悪い時期はルーキーの青山美夏人にクローザーを譲っていた。5月6日のオリックス戦でシーズン初のセーブ失敗を喫し開幕から9試合の登板で防御率9.35という成績であったがその後も守護神起用されると、7月30日にホールドを記録。これで通算106ホールドとなり星野智樹が保持していた球団通算ホールド数を更新。8月には防御率18.69と調子を落とし9月に抹消された。この年は40試合の登板で19セーブ、防御率5.45という成績に終わった。
2024年は開幕一軍入りは果たすも、守護神は新外国人のアルバート・アブレイユに譲り、ビハインドでの登板が目立っていた。12試合に登板し、0勝2敗6ホールド防御率4.09で5月27日に抹消され、その後は一軍登録は無く、二軍でも防御率7.63と打ち込まれる試合が目立っていた。残り6セーブで通算200セーブ達成であったが9月17日2024シーズンを持って現役引退を発表した。引退試合は9月28日に開催された。6回に現役最後の登板、通算560登板目を迎えた。捕手はこの回から炭谷に代わり、ブルペン捕手は岡田が務めた。対する打者は岡大海。1球目は142キロ真っ直ぐストライク。2球目は真っ直ぐが外れてボール。3球目真っ直ぐを捉えられてレフト前ヒット。最後の登板はレフト前ヒットで終わった、その後は田村が無失点に抑えた。
増田選手12年間本当にお疲れ様でした。最終回にライオンが流れた瞬間勝ったなという安心感は今でも忘れられません。無敗でのセーブ王を獲得したこと、かっこよすぎて忘れられません。主力選手の移籍が相次ぐなか増田選手はFAで残留してくれてファンとしては嬉しいばかりでした。
あのかっこよさは一生忘れません。本当にお疲れ様でした。最後まで帽子を斜めに被る増田投手らしい姿で安心しました。ほんとにお疲れ様でした。次はコーチとして、唯一達成出来なかった夢の1つ、「日本一」を一緒に取りに行きましょう!!