口は禍の元?

年の瀬になりました。政治家への不信を招く事態が急を告げる中、国政への進出を期待する声がネット上に散見されるのが、元・明石市長の泉房穂氏です。

泉氏は「子育て支援の充実により、明石市の人口増加を実現した」などの功績が喧伝される期待の政治家である一方、舌禍事件の人としても知られています。

最近では、政治資金の問題に関する発言で、ホリエモンこと堀江貴文氏と一悶着ありました。

一時は激怒の堀江貴文氏、泉房穂氏の経緯説明と謝罪で和解 「金権政治」巡る行き違い!?
https://yorozoonews.jp/article/15089456

経緯は記事をお読みいただくとして、流れとしては、
・泉氏が政治資金をめぐるホリエモンの発言を引用し、批判ではないが別趣旨の意見をXに投稿
・その趣旨のウェブ記事にホリエモンを揶揄する見出し
・ホリエモン激怒
・泉氏がお詫びと経緯を説明
・ホリエモン、理解を示して終息
という“事件”です。

実は泉氏に興味を持って、いくつかのインタビューを読んでいくと、その経歴の細かい部分に若干、疑問が湧いてきます。

ネットメディア、MAG2NEWS 2023年10月14日に掲載されたインタビューで、このような発言をしています。

三権ならぬ「四権」すべてを経験。さらに民放とNHKまで…
:あと、僕がラッキーだったのは、俗に言う「四権」をすべて経験しているという点ですね。そういう人は他の議員や政治家にはいないと思います。
──昔、学校の社会科で「三権」は習いましたが、「四権」と言いますと、あとは何が入りますでしょうか?
:つまり、司法、立法、行政の「三権」、あとマスコミ。この「四権」をすべて経験しているというのが大きいですね。弁護士で「司法」を経験し、国会議員で「立法」を経験し、明石市長で「行政」のトップになり、マスコミはNHKとテレビ朝日で「公共放送」「民放」両方経験しているという(笑)。政治に関わるもの一通り全部経験しているから強いんだと思いますね。
──それはすごいですね、いくら元マスコミにいた議員でも、民放とNHK、弁護士から市長まで経験している人は泉さんだけでしょうね。
:たしかに、そうかもしれませんね。

MAG2NEWS 2023年10月14日by 『泉房穂の「何でもOK!」』

インタビューワーが絶賛してますが、そもそも、この経歴、どこまで信じたら良いのでしょうか。

ちょっと過去に遡りますが、2020年5月3日公開のHABOR BUSINSS ONLINEで、元NHKの記者、相澤冬樹氏が泉氏にインタビューした記事です。その冒頭にこのような記述があります。

実は泉は私の大学の同級生。その後同じように留年し、同じ年にNHKに入った同期でもある。もっとも泉は早々と1年でNHKから転職し、その後、弁護士→民主党衆議院議員→郵政選挙で落選→社会福祉士の資格取得→明石市長に69票の僅差で初当選、と歩んでいる。

HABOR BUSINESS ONLINE 2020年5月3日

相澤氏は1987(昭和62)年にNHKに入局しています。その同期ということですから、泉氏も昭和62年入局。

泉氏のメルマガの経歴には「東大(教育学部)卒業後、NHKディレクター」とあります。当時は、取材(=記者)、制作(=ディレクター:さらに東京配属の場合は報道番組ディレクターかその他の番組を制作する番組制作局ディレクター/または東京以外の地方局のディレクター)、アナウンサー、技術、経営管理(=編成、営業、総務、経理など)と大きく4つに分かれていました。

泉氏の公式サイトにNHKディレクター時代の写真が掲載されています。インカムをつけた姿の背景には「NHK 630ふくしま」と書かれているので、NHK福島放送局のニューススタジオでの写真かと推察できます。つまり、研修の後、福島に配属されたのでしょう。

さらに相澤氏の記事には、「泉は早々と1年でNHKから転職し、」と書かれています。当時のNHKでは、4月に入局した新人は、5月の途中まで東京で研修を受け、配置先へ、という流れでした。また9月までは仮採用の身で、10月に本採用とされたはずです。泉氏がNHKに在籍して、放送番組に関わっていたのは、10ヶ月程度でしょう。

さらに泉氏はこんなことも言っています。

:NHKのディレクターを辞めて、パチンコ屋で3ヶ月くらい働いて、その後に六本木ヒルズにあるテレ朝に入って「朝まで生テレビ」を担当することになるわけですよ(笑)。

MAG2NEWS 2023年10月14日by 『泉房穂の「何でもOK!」』

「六本木ヒルズにあるテレビ朝日に入って、『朝まで生テレビ』を担当」と言っています。でもNHKを1年も経たずに辞めた人間を、テレビ朝日は社員にして、始まったばかり(1987年4月25日初回放)の花形番組を任せていたとは考えられません。テレビ朝日になんらかのコネクションでもあれば、入社に関しては、あり得たかもしれません。ただし、当時、テレビ朝日の制作系の採用枠は10人程度でしたから、かなり狭き門であったことは間違いありません。

それにそもそも、六本木ヒルズが開業したのは2003年4月25日です。テレビ朝日は1986年に赤坂一丁目のアークヒルズに本社を移転し、制作部門は後に、六本木ヒルズの一部となる六本木(2000年2月に移転)に残していました。揚げ足取りのようですが、書くなら「今は六本木ヒルズにあるテレビ朝日に入って」でしょう。
そしてさらにその後、泉氏はテレビ朝日を辞め、民主党(当時)の石井紘基衆議院議員の秘書となります。そのきっかけとその後の司法試験への方向転換について、以下のように発言しています。

:高田馬場駅前にある芳林堂書店で、石井紘基さん(衆院議員、2002年没)の本と出会ったんです。その本に感動して石井さんに手紙を書いたら、本人から返事が来て「会いたい」って手紙に書いてありました。すぐに会いに行ったら「泉くん、選挙を手伝ってほしい」と。「あなたには、私なんかより他にもっと立派な人がいるんじゃないですか」と言ったら「一緒にやってくれる人はいないんだ」と。その場で「分かりました」って即答しました。仕事を辞めて、石井紘基さんの秘書として1年間一緒に選挙活動をすることになったわけです。

──秘書として選挙活動をすることになったのが、政治の世界に入ったきっかけだったんですね。

:ところが1年後の選挙で当選させることができなくて謝ったんです。「あなたを当選させることができなくてすみません、次はあなたを絶対に通します」と言ったら、「君をこれ以上引っ張り込むわけにはいかない。泉くん、騙されたと思って司法試験を受けなさい」と。きちんと社会というものを学んで、君がいつか立候補したときに落ちても大丈夫なようにしておきなさい、と言ってくれたんです。そこで急遽、司法試験の勉強をはじめました。そして、石井さんのおかげで弁護士になることができたんです。

MAG2NEWS 2023年10月19日 by 『泉房穂の「何でもOK!」』

石井紘基議員が落選したのは、1990年2月18日に行われた第39回衆議院議員選挙です。「1年間一緒に選挙活動をすることになった」と語っているので、逆算すると、1989年2月頃にはテレビ朝日を辞めていることになります。在籍期間は1年以下となってしまいます。

簡単にまとめると、
1987年4月、NHKへ入局
1988年3月までにNHK退職
3ヶ月間、パチンコ屋でアルバイト
1988年6月以降、テレビ朝日へ入社
1989年2月頃には石井紘基議員の秘書となる
その後、司法試験の勉強に邁進、1995年、49期司法修習生となる

「国会議員で「立法」を経験し、明石市長で「行政」のトップになり、マスコミはNHKとテレビ朝日で「公共放送」「民放」両方経験しているという(笑)。政治に関わるもの一通り全部経験している」

MAG2NEWS 2023年10月14日by 『泉房穂の「何でもOK!」』

公共放送に1年弱、民放に1年弱、それも社会人1年生の全くの新人時代。この短い時間の経験をこのように言えるのでしょうか。
「記者見習い」というNHKには全く存在しない立場(実態は報道局の学生アルバイトだったと思われます)で、2年間、NHKに勤めていたと言っていた人とは違うと思いますが。
(念の為、申し添えておきますが、筆者は昭和63年にNHKにディレクター職で入局して、以来およそ30年、NHKに勤務していました。地方勤務の際、新人ディレクターの育成にも関わっています。余談ですが、昭和から平成の時代では、写真が趣味(もちろんフィルム撮影)か、映画鑑賞が趣味(観るだけ)以外は、一般人が映像メディアに関わる経験は全くありませんでした。テレビ局に入って初めて、映像に関わることになります。はっきり言って、早くても2年、普通で3年程度、現場を踏まないと1人前の仕事はできません。また筆者が入局した頃、早熟の天才と噂された昭和62年入局の先輩は幾人か存在していましたが、残念ながら「福島局の泉」という人の名前は聞いたことがありません。)

このような“盛った”、“面白い”話をしてくれる泉氏は、マスコミやネット媒体にとって、良い対象です。でも、その発言内容に抗議がくると、ホリエモンとの論争の経緯にもあるように、

「出版社の判断で『見出し』が勝手に変更されたという経緯です」

「本文についても、私が書いているのではなく、私が口頭で喋った内容をもとに、出版社サイドで原稿化していただいているので、ときに齟齬(そご)があったりもします」

よろず〜 2023年12月20日

と、出版社の責任だとしています。記事のコメント欄には以下のような反応がありました。ちょっと恐ろしい感覚です。そもそもの舌禍→炎上→謝罪を繰り返していることを忘れてますよね。
・こんなにちゃんとした謝罪を公的な場でする人は珍しい
・立派
・明石市長のころからただものではないと思ってました

このような“サイクル”を繰り返すのは、国政に参加するための、知名度を上げるための“戦略”だとでも言うのでしょうか、でも、聞いた人に疑問を抱かせる、“盛った”話をするというのは、本人の気質に関わります。一種の癖です。このような癖を持つ方は、特に時系列が適当になる傾向があります。

小池百合子東京都知事がエジプトのカイロ大学を卒業しているかいないかは、有権者に嘘をついているか否かを問われる争点です。泉氏にとって、「テレビ局の在籍経験」が政治家としての重要な歴史であるとするならば、それなりのエピソードなどを知りたくなります。

今後、彼が、例えば日本国の首相になって、外交の表舞台に立った時、この癖が出たら、どうなるのでしょう。それは、ほとんどドナルド・トランプ氏のケースと同じです。彼はアメリカという強大な国の指導者だったからこそ、後先考えない独りよがりの自分勝手が可能でしたが(その事態の再来も危惧されますが)、今や後進国の仲間入りが近い日本国の首相に、その力はありません。

地方政治において、それなりの業績があるのに、もったいない。口が禍の元にならないことを祈ります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?