ラーメン食べたいな。🍜
雑感を語る。
「自己犠牲」と「献身」とは何が異なるのだろうか。辞書では類義語として語られているが、違う言葉をあてがわれている以上意味の異なる言葉であることは間違いない。今回はこれについての自分の感覚を書いていく。
「自己犠牲」-自分を犠牲にして他者に尽くすこと
「献身」-自分の身を他者に捧げるように尽くすこと。
(両方ともネットで調べた)
こう見た感じでは違いは感じられない。ここで「献身」だけに注目して考察していう。何故片方にだけかというと、「自己犠牲」という言葉は「自分を犠牲にする」というそのままの意味であり、説明する必要はないと判断したからである。
「献身」は「身を献ずる」ということであるが、そもそも「献ずる」とはどのような意味なのか。
「献ずる」-尊敬の対象に何かを奉ること。
つまり、「自己犠牲」の対象はどんな人にもなり得るが、「献身」はの対象は自分から見て目上、または尊敬できる人にしか使えないということが言えないだろうか。
例を上げよう。
①とある人が恋人に対して自己犠牲的な人物である。
②とある人は恋人に対して献身的な人物である。
どうだろう、ニュアンスが全く違うと思うのは私だけだろうか。①は自分の全てを捨ててまで恋人に尽くす人物にうつるが、②では自分の可能な範囲の中で尽くす人物にうつる。口悪く言えば、前者は「自己犠牲をしている自分」に酔っている哀れで勝手な人物に見えることはないだろうか。一方②では適度な距離を作って、優しく寄り添ってくれる人物に感じられる。
これは経験に則った話であるが、私は2019年の夏までは、まさに前者の具現化のような人間であった。しかし、そのような恋人関係が生み出すものは周囲の人にも迷惑をかけ続ける共依存関係である。現時点でこうなっている友人もいる。
結論に入る。「自己犠牲」の悪いところからわかったように、自分に酔うというのは悲惨な結果しか生み出さない。経験としては良いのかもしれないが、失うものが大きすぎると思う。これからもたくさんの人と関わって生きていくときに1番必要なことは、「自分への客観的評価」、「それをしてくれる周りの人物」だと考える。