肩書のツケ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第13週)
肩書について考える
自分には肩書っていくつぐらいあるだろう。
梅子さんについた肩書はいくつあったろう。
女、娘、学生、嫁、妻、母。妹、姉なんてのもあったかもしれない。
それぞれの肩書きには世間が思う役割があって、規範により「良し悪し」のジャッジが下される。良い母、良い妻、良い娘。思えば個人を取り上げて「良い梅子さんと悪い梅子さん」なんて評価はしないのに、肩書きについては「良し悪し」がある不思議。
大庭徹男についた肩書を考える。
男、息子、長男、兄、弁護士、夫、父、旦那、あとは何だろう。
「徹男さんが愛したのは、この私」とすみれさんは言った。もう本人の口から事実を聞くことはできないけど、妾宅の彼はどんな顔をしていただろう。
若くて人生経験の少ないすみれさんの前だけでは、良き父でも良き夫でも良き長男でもない、ただの“徹男”個人でいられたのかもしれない。その振る舞いは全く擁護しないけれど。
大庭徹太についた肩書を考える。
「長男として」生まれた時から人生のレールが敷かれてきた彼。弟の徹次は8歳下、光三郎は13歳下だ。光三郎が母とハイキングに出かけ、大好きなおにぎりを食べ、その膝でスヤスヤ寝ていた同じ年の頃、彼は次男が生まれた直後のイエにいたわけだ。
母親の膝に甘えることなど許されず、ひたすら”長男”の肩書を全うするべく育てられた彼にとって、父の家督は単なるカネだっただろうか?それは、彼の人生そのものの重さを持っていたのではないか。
大庭徹次に“つかなかった”肩書を考える。
「だとしても母親が子供を置いていくか!」大人になっても子どもの頃のトラウマを抱え続け、いつまでも母親に役割の全うを強制する彼は、家庭でどんな存在だったんだろう。父と兄が出かける中、幼い徹次が母と弟、3人で取り残されるシーンがあった。父にも母にも選ばれない、何者でもないという気持ちを抱えていたりしなかっただろうか。「そうやってすぐ人のことバカにして!」彼の言葉からは、俺の存在を透明にするな、認めろ、と言う叫びが聞こえてくるようだ。
男だから女だから
長男だから弟だから
嫁だから妾だから
夫だから妻だから
弁護士だから学生だから
人に肩書きをつけ、記号化する。あるいは、記号化される自分に乗っかる。それは残酷な一方、本人にとって楽な面もあることは否めない。社会とも自分自身とも闘う必要がないからだ。「受け入れちゃいなさい、なーんにも考えずに!」脳内のイネさんがアップを始める。
肩書は、記号化は、個人から思考と言葉を奪い、一時のゆりかごを与える。
大庭家にはいつも雨が降っていた。破れ一つない障子、シミ一つない襖、拭き清められた卓の席次は決まっていて、あるべきものはあるべきところにある。べき。べき。べき。べき。戦争が終わっても法律が変わっても、鬱々とした暗い部屋で昔からのあるべきを守ろうとする人々は、一体本当は何と戦い、何を守りたかったのだろう。
「もうだめ。降参。白旗を振るわ」
ひとり暗い部屋のあるべきを棄てた梅子さんは、襖を引いた。いつの間にか雨はやみ、廊下から明るい光が差し込む。もう、だれも肩書のゆりかごで眠ることはできない。
かつて「離婚し、親権を得て子どもたちを救いたい」と語った梅子さん。彼女が開け放った襖から差し込んだのは、大庭三兄弟を救う光だったのかもしれない。
「ごきげんよう!」ユーモラスな、明るい声が響いた。
ごきげんよう、は、さよならの挨拶だけど、出会いの挨拶でもある。
ごきげんよう、ごきげんよう。
息子ではなく、母ではなく、嫁ではなく、義母ではなく、妻ではなく、妾ではなく、あなたに会いましょう。さよーなら、またいつか。
幸福について考える
「いい母なんてならなくていいと思う。自分が幸せじゃなきゃ、誰も幸せになんてできないのよ」
同じような気持ちを経験したものからもたらされるシスターフッドに、ちょっと泣いちゃった私。いいタイミングで、後輩にドンピシャ刺さる言葉を贈る、まったく梅子さんは、魔女だ。素敵な魔女だ。
幸せ、ときいて、花江ちゃんは思い出しただろうか。「(お母さんと花江にとって)幸せって?」憲法発布の時に、寅子から出た質問。
あの時少し考えた花江ちゃんは「子供達が幸せになってくれること」と言ったけれど、あの後もきっと考え続けていたに違いない。だって、感じることと言語化することの間にはものすごく深い境界がある。練習しないと難しいし、一朝一夕でできることではないから。
「私のいちばんの幸せは、こう…ほっと一息ついた時に、楽しそうに笑うみんなを眺めることなのに。…だから、ほっと一息つくために、手が回らない事はみんなで手分けして助けて欲しいの。」「おかあさんは私みたいにみんなに甘えるのは上手じゃなかったからね」
自分の幸せを特定し、現状を分析し、問題点を把握し、解決策を考え、提案し、自分の強みまで分析して言葉にした花江ちゃんは、もうとっくにナーンも考えずに他人の決めた「良き嫁、良き母」の規範を受け入れちゃった人ではない。自分で自分の幸福を定義し、その追求の権利について尊重を求めることのできる人なのだ。多分、これからも。
楽器を変え、曲調を変え、繰り返し変奏される「個の尊重」という主題。
…第14週も、凄かった…第15週も、また凄そう…うううう感想文、書けるかな…