noteやる!

ついに、noteに手を出してしまいました。

情報爆発社会の中で、スズメの涙の分子よりも小さい情報を発信することにどれほど意味があるのか。正直、無力感と悲壮感と小並感に襲われて、きっと続くことはないと思いつつ、アカウント情報を入力していました。

でも、noteがただの意識高めのガチクリエイター御用達のSNSだとしたら、なぜ、こんなにも開かれているのでしょうか。素人が簡単に自分の言葉を発することが推奨されているのか。そうなの?

現実を見よう。目の前にmacがあって、夜中テンションで、noteを開いたら、もうやることは一つだ。大学時代、友達と一緒にガストで、「山盛りポテトフライ」を一人ひとつずつ注文して、プチブルジョワ感を味わいながら、ドリンクバーで朝までしばき切ったあの時のように。

対面<電話<メール<LINE(などのトーク形式)が優位になっていると感じます。言葉を交わすコミュニケーションは、相手の表情や声色など、ふわっとした曖昧な情報が排され、端的でスマートになった。同時に、いらぬ誤解も生まれやすくなっているのではと思います。

だから、ここはあえて逆張りを。

自分の頭に浮かぶことを、言葉にするのは難しいし、誰かに伝える形に整えることも難しい。その割に「え?誰得?」な文章を綴るはめになるのは目に見えているのですが、自分語りを図々しくすることが憚られる現代で、この空間だけは、それを許してくれるのだと確信して、思いを言葉にしていきたいと思ったのです。

プロフに示した通り、創価学会員で公明党推しの私が、Twitterなどネットの世界に浸っていて感じること、思うことを綴っていきたい。需要がないことは百も承知。学会嫌い、公明嫌いの人もたくさんいるでしょう。その人たちにどうにかなってもらいたいとも思いません。

自分の内面のアップデートを記録するためにも、これは挑戦です。ただ、楽しく続けられるよう、ゆるく、のんびりやっていこうと思います。

これは誰宛の文章なのか、最後まで分からないまま(多分、深夜テンションの自分宛て)、ひとまずこの記事はおしまいです。


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