SS お嬢様ただいま 【#春めく】#青ブラ文学部
「春は好きです」
まだ寒さが残る庭先でも春めく気配はある。寒椿が咲いていると華やかに感じました。
書生の私にお嬢さんが嬉しそうに、ふりかえって笑って見せてくれた。先生の娘さんは、まだ十四歳でしたが、私になついてくれました。
「私も好きですよ」
赤紙が来たので戦地に旅立つ事になる。お嬢さんが大きくなるのをずっと見まもっていたのも懐かしい。ぎこちなく敬礼をして、お嬢さんと別れを告げると、お嬢さんは声を出さずに何かおっしゃっていた。私はお辞儀をして先生の家を出ました。
戦争は厳しく激しかった、飢えて歩けなくなった事もあった。それでもお嬢様に会いたい一心で本土に戻る事にしました。迷いながらもやっと戻ると、もう二月でした。
先生の家は、空襲で焼けたのか一面が焼け野原でしたが、不思議と寒椿だけは残っています。
「お帰りなさい」
お嬢様は、あの時と同じように待ってくれていました。
「ただいま戻りました」
敬礼すると自然に、二人で笑ってしまいます。私はずっと知りたかった事を聞きました。お嬢様が最後に言った言葉。
「あの時は、何をおっしゃっていたんですか?」
「まってます……それだけです」
春めく庭先で、空襲で死んだ娘と密林で死んだ書生が静かに消える。