SS 食べる焚火 #爪毛の挑戦状
月夜の晩に商人が街道を急ぐ。満月の夜は歩くのに不便はない。夜通し歩けば関所に到着する筈だ。明日には江戸の地を踏めると思うが、疲れが出ていたので小休止しようと場所を探す。
焚火がパチパチと明るい。商人がゆっくりと近づく。月夜の岩場に誰も居ない焚火がある。
「山賊でも居そうだな……」
秋も深く寒いが風は吹いていない。慎重に近づいて焚火に手をかざす。暖かい炎に一息つく。背負っていた荷物を降ろすと立ったまま焚火を見る。ごうごうと燃える炎は勢いがある。いつまでも見ていられる。炎の変化に魅せられていると声をかけられた。
「何か飲むかい?」
女が居た。玄人筋の女だ、近くの宿場町の飯盛り女かもしれない。商人は狸か狐かと思う、舌を出してツバをつけると眉に塗る。魔除けのまじないだが、女は女のままだった。
「なんだい狸狐かと思ったのかい?」
ふふふと笑うと徳利を見せる。商人は喉がゴクリと鳴るがまだ信用していない。馬の小便を飲まされたら、たまらない。
「明日には江戸にいかねばならぬ、酒は飲めない」
女はお重を出して見せる、海老やら鯛がある。ますます信用できない、こんな夜に誰も居ない場所で何をしているのか?
「悪いが腹の調子が悪い、食べられない」
女は立ち上がると、襟を開けて肌を見せる。白い美しい肌に情欲を覚えるが、商人は我慢する。
「少し暖まった、暖をいただき礼を言う」
荷物を背負うとそのまま関所まで歩いた。空が白々と明るい、関所を抜けて江戸に入れた。店の主人に、この話をすると焚火の霊だろうと教えられる。男は用心したことを褒められて金子を頂戴した。
主人から金子を手渡されて顔を上げると女が居る。
「なんだ、金の方が良かったのかい」
後ろではごうごうと炎が燃えさかる。背中が熱い。人を食べる焚火は油断した商人を燃やした。女は薄く笑うとつぶやく。
「いい薪だね、しばらく持つよ」
終わり
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