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菅義偉前首相による弔辞
あの運命の日から八十日が経ってしまいました。
あれからも朝は来て、日は、暮れていきます。
やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は歩みを進めます。
あなたという人がいないのに、時は過ぎる。
無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。
天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。
口惜しくてなりません。
哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。
しかし、安倍総理···とお呼びしますが、ご覧になれますか。
ここ、武道館の周りには「花をささげよう」、「国葬儀に立ちあおう」とたくさんの人が集まってくれています。
二十代、三十代の人たちが少なくないようです。
明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは今日よりも明日の方が良くなる日本を創りたい。
若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。
そして、「日本よ。日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。」これが、あなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。
いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者としてこれ以上に嬉しいことはありません。
報われた思いであります。
平成十二年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。
私は当選まだ二回の議員でしたが「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」とそういうお話でした。
信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。
そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感しました。
この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
私が、生涯誇りとするのはこの確信において、一度として揺らがなかったことであります。
総理、あなたは一度持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。
そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。
最後には二人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命あなたを口説きました。
それが使命だと思ったからです。
三時間後には、ようやく首をタテに振ってくれた。
私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。
総理が官邸にいるときは、欠かさず一日に一度気兼ねのない話をしました。
いまでもふと、ひとりになるとそうした日々の様子が、まざまざとよみがえってまいります。
TPP交渉に入るのを、私は「できれば時間をかけたほうがいい」という立場でした。
総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。
「一歩後退すると勢いを失う。」、「前進してこそ活路が開ける」と思っていたのでしょう。
総理、あなたの判断はいつも正しかった。
安倍総理。
日本国はあなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案をすべて成立させることができました。
どのひとつを欠いても、我が国の安全は確固たるものにはならない。
あなたの信念、そして決意に、私たちは永久の感謝を捧げるものであります。
国難を突破し強い日本を創る。
そして、真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。
そんな、覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顏を絶やさなかった。
いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。
私は本当に幸せでした。
私だけではなく、全てのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。
何度でも申し上げます。
安倍総理、あなたは我が国、日本にとっての真のリーダーでした。
衆議院第一議員会館、千二百十二号室のあなたの机には、読みかけの本が一冊ありました。
岡義武著『山県有朋』です。
「ここまで読んだ」という最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのはいみじくも、山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
深い哀しみと、寂しさを覚えます。
総理、本当にありがとうございました。
どうか安らかに、お休みください。
令和四年九月二十七日
前内閣総理大臣 友人代表 菅義偉
安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。
WSA Center Japan一同
WSA News Japan一同