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好奇心のままに生きる
日常を冒険に変える7つの方法
常識から解き放たれよという
メッセージだったのかもしれない
noteフェス 3日目のトークイベント
楽しみにしていたとはいえ
ほぼ予備知識なく参加してしまった。
するといきなり
画力の強いかた登場。
砂漠さんやばくないか pic.twitter.com/jq86epwO8c
— 沙々良まど夏|ゆるランナー🌈 (@sasala_ws85) October 17, 2021
イエメンの紛争地域を抜けていくのにガイドの家族を装って移動した時のもの。
— 沙々良まど夏|ゆるランナー🌈 (@sasala_ws85) October 17, 2021
今回は身バレを防ぐためらしい。#noteフェス
岡田さんの金髪が霞む pic.twitter.com/FBPHEzXLXw
— 沙々良まど夏|ゆるランナー🌈 (@sasala_ws85) October 17, 2021
そんなに野宿ってカジュアルだったっけ?
いきなり砂漠さんの野宿の話になる。
ちょっと私の情報処理能力が
ついていきません。
砂漠さん、はじめて野宿した時は仕事帰りに野宿したって
— 沙々良まど夏|ゆるランナー🌈 (@sasala_ws85) October 17, 2021
OLの格好で。半日ががりで道を切り拓いて釣りしたらしい。
仲間はいる。#noteフェス
この方は一体
どういう方なのだろうか。
日常はOLをしている砂漠さん
OLのプライベートに
野宿が選択肢に
入ることに驚く。
誘うほうも誘うほうだが
乗っかるほうも乗っかるほうだ。
この方がどうして
こんなにさっくりと
野宿を選択できてしまうのか。
そのことに大変興味を
持ってしまった。
良識的とは
ツイート実況という
マルチタスク的な作業に
オーバーヒート気味。
かつ砂漠さんが
何者かということで
頭がいっぱいになり
あまり内容が
入ってこない。
あっという間の
50分間だった。
砂漠さんを知る手がかりとして
トークイベント中に紹介された記事を
自宅に戻ってから読んでみる。
タイトルからしておかしいでしょ💦
でも控えめに言って面白いので
読むことを強くおすすめします。
続きはこちら
旅行記もさることながら
私の心に刺さったのはこのくだり
「どうしてウイグルなんかに行くんですか」
彼らの疑問は、要するに「その夏休みの使い方に、確かな価値はあるのか」という点に集約できる。たまの休みなのだから、確実に楽しく、気分良く過ごせる場所に行くべきだ。彼らはそういっていたのだろう。
生産性が自分の人生を覆い尽くし、人間性がわかりやすい価値で塗りつぶされていくのを受け入れること。「使える」人とだけつるみ、評価されること。夏休みはハワイに行くこと。
生き延びるとは、きっとそういうことだった。
忙しいことには慣れていた。仕事に慣れてしばらくたったあるとき、もう必要がないからという理由で、少しずつ集めていたアンティークの食器や学生時代に好きだった小説を捨てた。重要なのは、「役割」を果たすことであり、社会の共通言語で話すことだと考えた。
でも、私は突然、久しぶりの夏休みを、確実に楽しい場所ではなく、楽しいかよくわからない場所で過ごしてみたくなったのだ。知らない人に誘われて、どういうわけか、そういう気持ちになったのだ。
楽しいか楽しくないかよく分からない。
だけど行ってみたくなる好奇心。
2話目も刺さりまくる。
ウイグルの街を
自分の価値観の中でまとめることに
限界を感じて混乱している砂漠さん。
無数の問いが喚起され、にもかかわらず答えはなにもわからない。答えがわからないと不安になるのは、目の前にある状況に対して、どのような態度を取るのが「正しくて」「常識的で」「許される」のかわからないからだ。良識的でありたい自分と思う自分の心が、わからないことに紋切り型の正誤をつけて、むりやりの判断をしようとする。でも、そうした態度のどこが「良識的」なのだろう。
だから、良識的な大人は、わけのわからない場所にはそもそも行かない。そして、私はずっと、良識的な大人になりたかった。
私も砂漠さんの当日の格好に
紋切り型の正誤をつけようとして
わけがわからなくなっていた。
私は良識的な大人になりたかった。そうすると、仕事も得られ、親や周りの人からも喜ばれ、いろいろなことがうまくいくからだ。少なくとも、人に嫌われたり、困惑されたりすることは減る。
私は、家族のことも友達のことも好きだった。職場の同僚や上司も、全面的にではないにせよ尊敬していたし好きだった。好きな人達に喜ばれることは、私にとって重要なことだった。
他方で、私が「良識的」だと思っているものは、実際には単なる処世術で、日常の中にあらわれるささやかな異質さを、絶えず拒絶し、見なかったことにしなければ、あるいは好奇心に背を向けて自分の感情に蓋をしなければ成り立たなかった。
そのことにも、心の底では気づいていた。
一般的に刷り込まれる価値観と
己の心の底にある感情との
ズレに気づく砂漠さん。
砂漠さんが自分の心の叫びに気づいて
行動した結果がウイグルであり
野宿であり当日のあの格好なのだ。
好奇心のままに
砂漠さんは
動物のエミューと
暮らしている。
エミューちゃんのことを
それは楽しそうに
愛おしそうに話をしていた。
それは子育てを経験した
私からすると
人間の子育てすればよくね?
と思っていた。
人間の子育ても刺激的な体験
てんこ盛りな日々が送れるからだ。
だけど人間の子供は失敗できない。
(エミューは失敗していいわけではありません)
人間(日本人)には先人の知恵があります。
自分も同じように育てられてきた記憶。
同じ月齢の他の子との比較。
予防接種などしなければならないこと。
周囲からの干渉。保護者としての責任。
密閉空間での育児。ときには
その責任に押しつぶされそうにもなり
逃げ出したくもなります。
そういうものからも自由になって
先人の知恵というしがらみからも離れて
エミューちゃんと対話しながら
自由に子育て(エミュー)育てできる。
好奇心のままに
エミュー飼育は周囲に例が少なく
自分しかいないという責任感はありますが。
もちろんエミューちゃんには
エミューちゃんのペースがあって
それはそれで人間は振り回されて
しまうのかもしれない。
でもエミューちゃんには
「〇時に寝て、食事は〇回にするのが望ましい」
なんてものさしを当てはめなくても良いのだ。
好奇心のままに
その考えをベースに
7つのルールを眺めると
平凡すぎると思っていたものが
根源的なものに思えてきます。
曲がってる😅
しかし、私たち個人個人が
それぞれの好奇心に気づいたら
この7つのルールという括りさえも
意味のないものになるのだと思います。
おまけ
私はnoteフェスレポーターとして
note placeでこのトークイベントを聴いた。
実際には聴衆として
その場にいる
というよりはレポーターとして
遠巻きにしかもモニターで
話を聴いていた
(同じ空間には、いる)
そんなに広大な会場ではないので
講演者さんの入りやお見送り
というのを見ることができて
大変興味深かった。
しかし、イベント前の控え室で
こんなことが行われていたとは
思わなかったなぁ。
砂漠さんの衣装がヤギの毛まみれなのでみんなで綺麗にしている pic.twitter.com/xk7Mi520eF
— 岡田 悠 | 新著 予約開始 (@YuuuO) October 17, 2021
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