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30年ぶりの

言いたいことができるとふらりとnoteにやってきます。

最近自分の周辺で、風の時代になってきたなあと感じることがあります。

伯父母が亡くなって、私の父も亡くなりました。
家も代替わりして、人間の力関係も変わっていきます。

父の兄弟で残ったのは嫁に出た叔母ひとり。つい最近その叔母が、父方の一族の中でいろいろあって疎遠になっていた家に私の父(自分の兄)が亡くなったことを連絡しました。

それを受けて疎遠になっていた家が電話をくれたと私の母が言ってきました。

それぞれの家で恐らく年賀状のやり取りはあっても、公の関係にはしない空気がありました。

そこのおうちの方たちとは遠方なこともあって、少なくとも30年は会っていません。

それでもわざわざ連絡をくださいました。

本家の子以外はみな他県に住んでいましたが、いとこが全員揃うことも何年かに一度はあって、一人っ子の私にとってはとても楽しい出来事でした。

地の時代を生きてきた父母たちは家制度や男尊女卑の価値観の中生きてきました。

仲が悪くなった原因はいろいろあるのですが、それらの価値観によるところも大きい。

嫁に入るというご縁で一族の一員になった私の母やそれぞれのつれあいも若い頃は兄弟として、いろいろありつつ楽しくやっていたと思います。

人生長ければそりゃーいろいろありますよ。

ただ兄弟の契りというと大袈裟だし堅気じゃないみたいですけど、いろいろあって離れてはいるけれど俺らは兄弟じゃないかみたいな気持ちがどこかにあるんだと思います。

そんな親に育てられた私や従姉妹たち。ベタベタはしないけど会えば話します。私の父の葬儀にも新潟から埼玉まで来てくれたし、その1ヶ月後にあった伯父の3回忌のために私も新潟まで行った。いろいろ物ももらう。全然仲悪くありません。
それは親たちが築いてきてくれた絆によって守られてきたからかもしれません。

そんな地の時代を象徴する家長、男系家族が亡くなっていって完全に代替わりすることでなんとなく空気が緩んだような気がしました。

疎遠な家は関西に住んでいます。彼らは、当時新潟と大阪を結ぶ「つるぎ」という寝台列車で来ていて夜、駅に迎えや送りに行くこともとても楽しかった思い出です。

さすがに今も瞬間移動はできないので直接会うにはそれなりのひと手間がかかります。向こうのお家も遺恨を残していることもあるかもしれない。
けれど私たちもいい大人になり、いろいろなしがらみから自由になりつつある。できることならみんなでまた会いたい。

私は人前で泣くことはあまりありません。
だけどまた会うことができたなら、号泣してしまうような気がします。


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沙々良まど夏
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