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【バトン企画】心に残るエピソードをあなたへ

とのむらのりこさんから
バトンが回ってきました💖

光栄です✨
ありがとうございます💖

noteを始めてから
バトン企画というものを
知りました。

みんな楽しそうにやっていて
憧れでしたね。

どうやったら回ってくるのかも
わからなかった。

企画を立ち上げたらみんな
乗っかってくれるのかなとも
思いましたけど企画主のお人柄ですね。

今回私は十六夜杯がらみで
3人からお声掛けいただきました。

バトン企画に憧れた日から
2年近く経ちます。

いろんな繋がりが増えて
成長したんだなと
感じています。

ここからが本体のお話です。

私には小さいころから年に1、2回
母と泊まりに行くおうちがありました。

おじさんとおばさんが住んでいて
私にとても優しくしてくれましたけど
たまにしか行かないおうちなので
なんとなく居心地が悪かったです。

大人になった私は
結婚を約束する相手ができました。

両親に、親戚に彼を紹介するために
ちょうど父方の本家で
法事があるから行きなさい
と言われ2人で行くことに。

お経が終わってふるまいの
御斎おときのとき
親戚にお酒を注ぎながら
彼を紹介して回りました。

あるおばさんに飲み物を注ぎながら
自分が結婚することを告げたとき

「お母さんをおいて何処へいく?」

と言われました。

私は一人っ子です。
しかも嫁に行きます。

婿に入ってもらうほどの家ではありません。

この言葉はさすがにこたえました。

その後ひとことふたこと会話して
次におばさんの口から出てきた言葉は

「幸せになってね」

でした。

「お幸せにね」でなく、「幸せになってね」

特に深い意味はない言葉かもしれません。

私には前者がどこか
ここから飛び出してしまえば
あとは野となれ山となれ感があるのに対して
後者は発言側から受け取り側が
幸せになることへの期待を感じさせ
受け取る側にも幸せへの意志を持たせるような
愛を感じました。

私が中学生のころ
母方の祖父が亡くなりました。

相続のために母は戸籍謄本を
役所から取り寄せていました。

戸籍なんてなかなか見る機会がありません。

私は何の気なしに

「私がお父さんお母さんの子どもでなかったらどうしようー」

そう思いながら戸籍を見てみると
亡くなったおじいちゃんと
連れ合いのおばあちゃん
(私が祖父母と思っていた人)は
母の養父母であること。

私が小さいころからたまに遊び行っていた
おうちのおばさんが私の母の実母であり
実父には全く知らない男性の名前が
記載されていました。

14歳の私は見てはいけないものを見た気が
してそっと戸籍謄本を戻しました。

私は一人っ子です。
この驚きを共有する兄弟はいません。

私がおじいちゃんおばあちゃんと思っていた人
私が従姉妹と思っていた子たちとは
血が繋がっていないということ。

これをどう受け止めていいかわかりません。


でもこのまま考えていてもしょうがない。
また明日考えよう。

事が重大すぎたのか
その時はなぜかそう思って眠りにつきました。


翌朝目が覚めたとき
スッとある考えが浮かびました。

「そうはいってもおじいちゃんおばあちゃん
従姉弟たちは私が生まれたときから
ずっとあの人たちだと思ってきた。
血が繋がっていようがいまいが
私にとっておじいちゃんおばあちゃん
従姉弟といったらあの人たちであることは
変わらない」

私の迷いはひと晩で解決しました。

母の出自の話を母から直接聞いたのは
私が結婚する少し前。

私が戸籍に触れる前に
話しておかなければいけないと
思ったのでしょう。

母が少しずつ話をはじめてすぐ
私が知っていたことを伝えると
少しだけ驚いていました。

祖母も母がその場にいないとき
自分の人生について語りながら
母のことを私に話してくれたことがありました。

母からは聞いたことのない話。

母の実母も養母も数年前に亡くなったので
もうこの話を聞ける人は誰もいなくなりました。

あの日私に「幸せになってね」と
言ってくれたおばさんは母の出自について
わかっていたのです。

私たち母子は一人っ子同士で
なんとなくあっさりした関係です。
(母が養女に入った家では
もう一人養女を迎えて
妹がいる家族構成でしたが)

おそらく母もひとりぼっち
私もどこかでひとりであると感じていて。

おばさんが「全てわかっているよ」まるっと
受け入れてくれていることが私の存在を
認めてくれているように感じたのだと思います。

嫁に行くことは私にとって
胸がチクリとする選択で
他人からそれを言われることは
つらかった。

でもなかなか直接言われることはない。

かなり近い親族から言われるとしたら
かなりつらいと思います。

あの時言われたのは
すごく近いわけではない人。

田舎あるあるで、なんであなたまで知ってるの?に近い
(親戚なんでまぁまぁまぁ、ですが)

だからこそ少し気が楽だった部分があります。
そして私の存在がその人の中にあったことが嬉しかった。

誰の中にも私はいないと思っていたから。

誰も触れてこないところに踏み込んできたことで
心が幸せを感じたのでしょう。

幸せは感じるものであって
なるものではないかもしれないけれど
あの時にかけられた「幸せになってね」は
私の存在を認めてくれた特別な言葉。

今でも特別な人に、特別な思いを込めて
使っています。

次のバトンは十六夜杯クルーの
てまりさんに渡します🌕

てまりさん、よろしくお願いします💖

#心に残るあのエピソードをあなたへ


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沙々良まど夏
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