お仕事✖️育児のはなし。
わたしは2年前にきもの教室を開講し、今新たに【親子でまなぶシアワセお作法教室】を主宰しようとしている。
なぜ自営業を始めたか。やはり母親が子供を愛するのに、愛するというよりは、愛情をちゃんと伝えるためには【余裕】が必要だと感じたからだ。そのために、家族のサポート無しでは【就労】は難しい。
▫️ママの働き方を考える
男女雇用機会均等法が採用され、女性は男性と同じように社会で働くことができるようになった。それは優秀な女性たちが自分の能力を社会的に認めてもらえるという意味で、とても光栄な機会であると思う。
しかし子を産み、育てるという役割を担っているるのは、やはり母親である。仕事の雇用機会は均等になっても、その分、子育て機会は均等にはならない。あくまでも妊娠・出産、そして子育てをこなした上での社会進出を余儀なくされている。
しかも核家族である。真面目な母親たちは、はじめての子育てに戸惑いながら、出来る限りの愛情注ぎ、かつ社会進出を果たしている。何が犠牲になるか。そう。母親自身の余裕である。
過去の自分を含め、一生懸命やっているのにうまくいかない、、、と涙を流すたくさんの母親たちに、わたしはこれまで出会ってきた。
▫️我慢の限界が来たときのこと。
過去のわたしの話である。長女1歳6ヶ月。娘はまだ小さかったが、周りの目(まだ働かないの)と自分自身の不安(あんまり休むと職場復帰が難しくなりそう)から育休後職場復帰を果たした。
わたしが暮らす、ここ福井県は共働き率第一位・世帯収入第一位。"女性が働くのが当たり前"な社会なのだ。育児休業給付金は子が1歳になると打ち切られており(当時)、つまりこの時点で、わたしは半年間無収入だった。
自由はあったけどお金がなかった。子供との時間はすごく嬉しかったけれど、自由と引き換えに収入・貯蓄は失っていった。失う恐怖。本当は子が3歳になるまで育児休業が取れたのだが、1年半で切り上げて職場復帰を果たしたのだ。
待っていたのは、地獄のような日々。朝起きて支度をしたら、子供たちを着替えさせて保育園に連れて行く。
保育園に迎えに行く頃には、娘が園で1人で待っていて、『ごめんね〜』と謝りながら食事を作り、食べさせてお風呂に入れる。
その間、幾度となく「抱っこ」とせがまれ、全てが自分のペースでは進まない。予定していた時間を大幅にオーバーする。
当時の口癖は「早く」「ちょっと待って」「ちゃんとして」。
たった数時間の子供との触れ合いの時間。それなのに、やらなければいけないことをこなすだけ。娘の話を聞いてあげる時間もない。
私の中で【タスクをいかに効率よくこなすか】だけが目標になっていて、目標を邪魔する娘の存在がうっとおしい、とさえ思えた。
なんでこんなにうまくいかないんだろう。娘のことは愛している。だけどなんだか辛い。愛している娘に、どうしても優しくできない。自分は「最低な人間だ」と反省ばかりする毎日だった。
そしてある日。
事件が起こった。その日も例のごとくバタバタしていた。わたしは予定していた6時にも仕事が終わらず、保育園にお迎えに行った後、7時前ごろから食事を作り始めた。義父との同居をしているので、夕食は品数の多い方だと思う。
その日、娘は何故か調子が悪く、いつも以上に泣き叫び、私の足元に寄ってきた。ちょっと待ってねと言っても収まらない。おもちゃを与えたり、テレビをつけたり、あれこれやっても泣き止まず、娘の泣き声が私をイライラさせる。それでも娘を抱き上げ手を止めながら食事を作っていた。
そんなとき。玄関のチャイムが鳴り、お客様がいらっしゃったのがわかった。当時、来客があると、娘は喜んで挨拶をしに行った。その時も同じように、私の元を離れ、玄関に向かう義父を追いかけた。
ところがその日のお客様は、近所で若い息子さんを亡くされたばかりのご近所さんだった。葬儀参列のお礼にいらっしゃったのである。私はそのことを知らなかったので、いつも通り娘がお客様のもとに駆け寄っていくことを止めなかった。いつもどおり、おじいちゃんが娘と一緒にお客様対応してくれるものと思っていた。むしろそうして欲しいと思っていた。なぜならその5分間だけでも、作業を進められるからだ。
しかし現実は違っていた。義父は私に強い口調で言った。心を痛めておられるご近所さんに応対するのに、なぜ子供をよこすのか、と。ちゃんと見ておけ!と。その言葉に、わたしの中で何かが崩れていくのを感じた。
私は、自分の時間を犠牲にして、子供との時間を犠牲にして、毎日働きながら家事をこなしているのに。なぜこの数分間、娘から手を離したことを、こんなに咎められなければいけないのか。
もう我慢できなかった。これ以上無理だ。これ以上頑張れないと思った。わたしは、それまで貯めこんでいた義理父への不満をぶちまけてしまった。それをきっかけに、私はこの家を追い出されることになる。
▫️アパート暮らしで考えたこと。
家を出て、賃貸マンションに住み始めた。家事の負担は少し減り、少しだけ心の余裕も取り戻した。夫婦と長女だけの生活を、わたしは楽しんでいた。
少し余裕が出てきたことで、今回の事件を冷静にとらえることができた。
私にとって何が足りなかったんだろう。ついつい、何がだめだったんだろう?と考えてしまう。わたしは、できることをやっていた。子育てにも一生懸命だった。
しかし一方で、義父の行動も理解できる。両者ともに落ち度はなかったのだ。では、何が問題だったのか。
私の目に限って言えば、やはり余裕がなさすぎた。
まずは、時間的余裕。ヒトに与えられた時間は1日24時間。これはみんなに平等なのである。その中で8時間働いて(一連の拘束時間としては、勤務前後や休憩時間合わせて10時間程度になる)、寝ている時間が6時間。
残りの8時間、ほとんどが家事と育児のタスクをこなすことで費やされていた。しかも、自分のペースでできないこの辛さ。本来なら5分で終わる作業に30分かかる。子育てって、そういうことだ。
もちろん仕事も手につかない。役職についていたが、残業ができない。なぜなら、遅くなるとその分のしわ寄せは娘の生活リズムに影響するからだ。とにかく、早く!早く!いつも忙しかった。
本当によくやっていた。今ならそう思える。けれども当時の私は、どうしてうまくできないんだろう?なんでもっと頑張れないんだろう?とことん自分を責めまくっていた。
そのストレスはどこにいく?そう、娘と主人への"八つ当たり"に形を変えていた。【心の余裕】もいつしか無くしていたのだ。
このままじゃいけない。
そこで私が出した結論。仕事、そしてキャリアはわたしにとって、本当に大切なだろうか?という疑問。こうして家族と話をし、笑いあい、おいしいご飯を食べる時間を、仕事のために犠牲にしていいのだろうか。わたしの求める幸せは、お給料がたくさんもらえることではない。わたしがせっかく手に入れた"わたしの家族"を幸せにすることだ。そう心に決めた。
ちょうどその頃、次女の妊娠が判明するのである。
▫️ママ起業という選択
わたしは【就労】を手放した。大好きだった仕事。職場のみんな。お客さま。これまで頑張ってきた累積をゼロにすること。大きな決断である。
まだまだリモートなんて言葉がない頃の話。
もちろん簡単ではない。自営業にもいろいろ困難がある。ただ、確実に言えるのは、自分で考えて行動する楽しさと、働く時間を自分で選べる人生の主導権を得たこと。これらが私にゆとりを与えた。
今は1人経営の難しさを感じつつも、毎日が楽しく、毎日が明るい。明るいと感じるのは、子供たちの笑い声のせいかもしれない。毎日浴びるお日様の暖かさかもしれない。何よりも私の心のもやもやが晴れた明るさだと感じる。
わたしは、わたしの経験から、あのツライ過去があったから、ママには自営という道をお勧めしたい。子育て✖️起業。家で仕事をすること。このnoteではママ起業のリアルをお伝えしていきたいと考えている。
今はパートにもいっている。が、いずれ完全自営になる予定。今はここの頑張りをレポートしているところ。いつかどうやって2人の子育てをしながら起業をしてきたのか、ママ起業家のお役に立てるエピソードを綴っていきたい。