安全が無いとものを考えられない。
中学生の時に、進学校で落ちこぼれてて(ちなみに私のOPPOだが、しんがっこうでは進学校と変換してくれなくて、しんがくこう、といれなきゃならない。この官僚的なところもw)、その頃、ナポレオン・ヒルとその源泉の誰だったか、そういう人の『成功哲学』って本にはまった。
『成功哲学』はナポレオン・ヒルのネタ本で、成功する人がいかに信念に貫かれていたかを書いた本だったように思う。それに対してナポレオン・ヒルの思想は、『思考は現実化する』というもの?で、こういうシリーズの本を何冊か出していた。
後の世で引き寄せの法則とかになったりする系の元祖だったかもしれない。
今にして考えてみると、思考は現実化するという考えには特にこれといった思考が働いているようには思えない。思考とはそもそも頭を働かすって事だろうが、頭をめぐらせるためには最低限度の努力とか、いくつかの条件があるような気がする。
思考という目に見えない透明なものをめぐって人生は色んな色模様になることがある。その中で、思考があるって事だけが、安らいで思考をめぐらす余裕のあるって事が幸せな事なんだと思う。
思考に単に価値を置くのではなく、落ち着いて物を考えてみる事も出来る『安全』が大事なんやなとつくづく思います。
ドロ猫・ヒルのシリーズは、『安全がないと物も考えられない』です。家庭の安全のために身体を張ってくれている妻に感謝を捧げたいと思います。
さて。
よく練られた思考が現実化するならばそれは孔子が話した瑞兆のような慶事だと思う。しかしくだらん馬鹿みたいな思考が現実化し始めたならば早急に精神科を受診して安心出来る環境で安静にして薬を飲まねばなるまい。
私の場合は、医学部で留年の脅威に何度も晒されるうちとうとう気が触れてしまった。
そこからの回復には安心・安全が何よりの薬だったわけで。
またこれらに対して、ナポレオン・ヒルの言葉をより正確に超訳するならば、欲望は現実化する、ではないのか。
欲望が現実化したらエライことだ。スプラッタアニメのような混乱を思い浮かべる。分かっていたからこそそうは訳さなかったのだろう。