文章サンプル① 旅にまつわるエッセイ(約1500字)
──心理描写にウェイトを置いた軽い読み物(オリジナル記事)
先日、東京に数日間滞在した。人生のほぼすべてを地方の小都市で過ごしている私にとっては大旅行だ。
東京は相変わらず混んでいて、どこもかしこも騒々しく、雑多なエネルギーにあふれていた。数万人もの人が互いに目を合わせないまま、ぶつかりもせず四方八方に散ってゆく様子はマスゲームのよう。雑踏に慣れない私は、変なところで立ち止まって流れを乱してしまう。
商業施設は巨大で、隣のビルに移るだけでも想像の何倍も歩かなければならない。田舎では200メートル先のコンビニに行くにも横着して車を出すから、都市部の人の方がよく歩くというのは本当だと思う。洪水のように情報が目に飛び込んできて、きっと歩くのも退屈しないだろう。
とりわけ駅の混雑には圧倒される。夜が更けるにつれ活気が増すようで、みんないつ眠るのだろうと余計な心配をしてしまう。午後九時ともなれば駅前から人影が消える私の地元とは別世界だ。深夜のホームを埋め尽くす老若男女、それぞれに暮らしがあり人生があるのだと想像すると、気の遠くなるような思いがする。
学生時代は将来をあれこれ夢想した。研究者を目指して大学に残るか、上京して一人暮らしをするか。英語が好きだから海外に留学するのもいい。日本の中心で、あるいは世界を股にかけて活躍する姿を思い描いた。
しかしふと立ち止まってみれば、生まれ故郷で堅実だけれど地味な仕事に就き、老親の面倒をみたり住宅ローンの返済をしたりしながら一生を終えようとしている自分に気づく。少子化の進む街の中心部は「シャッター通り」で、道ばかりが広い。休日にはみなが判で押したようにイオンに行くから、必ず知り合いに会って気恥ずかしい思いをする。
それはそれで、平凡ながら愛すべき人生だ。けれど中年と呼ばれる今の年齢になってみると、「やれなかったこと」「選ばなかったこと」が思い起こされてほんの少しだけ焦る。
昔とある研修で、講師が受講生に尋ねた。「みなさんの中で、明日アフリカに行くつもりの人はいますか?」
もちろんいない。冗談だろうと思ってみな笑った。講師は続けた。
「まさか、と思いましたよね。でも行けるんですよ。まぁ、ビザとかパスポートとか予防接種とか、自分ではどうしようもない事情もありますが、みなさん大人ですから、今から飛行機を予約して出発して明日には世界のほとんどの場所に着くことができるんです。じゃあ、なんでそうしないかというと、単に“しない”と自分が決めたからです。人生の大半のことは自分が選んでいるんですよ」
はっとした。自分も今からアフリカに行ける。ネットで航空券を探し、しばらく休みますと職場に連絡して荷物を詰める。お金はないが、健康な肉体があれば後から何とでもなるだろう。けれども行かないのは「ほかのことに時間を使いたい」とか「治安が怖い」とか「別にそこまで行きたくない」とか、どれも自分の中の優先順位の問題だ。
「行けない」のではなく「行かない」。自分で決めたのだから文句は言えないし、「本当はしたいけどできない」というのは言い訳だと若い私は思った。
東京で雑踏を眺めていると、自分も簡単に向こう側に行けるような気になってくる。突拍子もないけれど、このまま不動産屋を訪ねてしばらく東京で暮らしてみてもいいし、仕事を探してもいい。そんな人生もある。
食事や景色や温泉や休養、旅の魅力はいろいろある。私にとっては「いつか訪れるかもしれない可能性」を感じる場だ。そうやって心が開いたら、また住み慣れた地元に戻る。幾多の選択肢から自分で選んでいる、そう考えるだけで、退屈な日常が少しだけ魅力的になるのだ。
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