他人を論破する事の愚かさに気づいていますか?
こんにちは、にょびたです。
これは、少し前の話になります。
家の固定電話に「N○○ドコモ」を名乗る詐欺師から電話がありました。私の母が電話に出たのですが、
「あなたの携帯電話の番号は不正アクセスされているので、お客様が対応する必要があります。」
という内容でした。
私の母はスマホやネットに詳しくないので、意味がわからず、そのまま電話を切ったそうなのですが、私はその話を聞いた時に、超絶違和感を覚えました。
なぜなら、そもそも「電話番号に不正アクセス」が意味わかりませんし、もし不正アクセスに対応する必要があるのなら、サーバーを管理している企業側であり、顧客の問題ではないからです。
ネットを調べてみると、最近はこのような妙な電話が流行っているようなので、今これを読んでいる、あなたも注意してくださいね。
少しでも意味のわからない所や違和感を感じたなら、絶対に向こうの言うように動いてはいけませんし、問答無用で電話を切れば良いと思います。
もしその後、気になるのなら、
ネットで企業のホームページなどを検索して、確実な情報を得るようにすれば良いです。また、周りの人に話して意見や感想を聞いてみるという方法も良いと思います。
年々、詐欺師の手口も巧妙になっているらしいので、私たちも常に「怪しいところは無いか?」と注意するべきだと思います。
さて、
ここ近年ネット界隈では、「論破」が流行っており、持てはやされています。
しかしながら、私は「論破」は愚かな行為であり、「論破」している人は自ら自分は愚かであると言っているようなものだと思っています。
なぜなら、論破することは全くの無意味だからです。
論破には、建設的な議論のような有益性がないだけでなく、「人に嫌な思いをさせて楽しむ」といった賤しい心が垣間見えるのです。
なので、私は誰かを論破するような、無駄なことはしないのですが、巷では論破で楽しむ輩が多いことに驚かされています。
そこで、今回は「論破」について私の意見を書いていこうと思います。
この記事を読めば、あなたは論破することの愚かさがわかるだけでなく、論破する人と対峙した時の対処法を知ることができるでしょう。
論破とはただのマウンティングである
先ほど、論破と議論は違うと申しましたが、
議論とは本来、勝ち負けをつけることではなく、Aという意見とBという意見を議論し、Cという新たな道を見出す行為です。その為、議論とは論破のような、ただ勝ち負けを決める行為とは全く違うのです。
また「論破」とは、ただのマウンティングの一種に他ならないと思います。
「マウントをとる」というのは、ボス猿が下位の猿に対して行うマウンティングのように、上下関係を明確にし自分の優位性を誇示するために行います。
しかし「論破」の場合、その上下関係を決める基準が、マウントをとる人間の身勝手な基準なため、ただの自己満足に過ぎないのです。
すなわち、他人の意見を論破することで、「論破する方が上であり、論破される方が下」だと論破する人は言いたいのです。
ところが、その基準が論破する側の自己中心的な価値観で行われるため、全く意味を成していないのです。
論破する人は、論破した(と思っているだけですが)一瞬はスカッとした気持ちになるのでしょうが、それだけの事でどうでも良い事なのです。論破する人は、人の価値観は千差万別であり、違った価値観から見れば、上下関係も簡単に逆になってしまうことに気づいていないのです。
例えば、
論破する人や、誰かが論破することを周りで楽しんでいる人は、「論破する方が上」だと思っていますが、私の価値観からすれば「自分に自信のない愚かな人」だとしか見えていないように、価値観が違えば上下関係など、いくらでも変わるのです。
本当に自分に自信のある人は他人と比べない
先述の通り、「論破する人は自分に自信のない愚かな人」だと私は思っています。
では逆に、「自分に自信のある人」というのは、どのような人なのでしょうか?
まず、「自分に自信のある人」と「自分に自信のない人」とで決定的に違うのが、「自分と他人を比べない」という点にあると思います。
なぜならば、自分と他人を比べれば「上には上がおり、下には下がいる」のが当たり前で、他人と比べること自体キリがないからです。
例えば、コピーライティングにおいても、私より文章が上手だったり、成約率が良かったり、人の心を打つ文章を考えたりできる人は五万といます。
他方、今からコピーライティングを学ぼうとする人や、私が書いたセールスレターよりも成約率が上がらない人や、自分の思ったことを文章で上手く表現できない人も五万といるわけです。
このような状態が世の常であると知っていれば、自分と他人を比べることは本当に意味がない事だと、自ずとわかるはずです。
その為、自分より下位の者(だと思い込んでいる)をネットで探し出し、論破というマウンティング行為をすることは、意味がないだけでなく、時間の無駄ですし、労力の無駄です。
その為、「論破」は愚かな行為なのです。
ライティングの観点から見た「論破」
今この記事を読んでいるあなたは、きっとライティングに興味がある人だと思いますので、ここでは「論破」をライティングの観点から見ていきたいと思います。
以前、人の判断や決断は感情によって行われている事をご紹介しました。まだお読みでない方は、ぜひ下記リンクから一読ください。
人は感情によって、相手の発言内容や文章の内容を許容するのか、それとも拒否するのかを決めています。
その為、論破という相手の意見を否定し黙らせる行為は、論破される側の感情を逆撫でするだけであり、論破される側の心を閉ざすだけの効果しかありません。
すなわち、論破したところで、論破された側の意見を論破側の意見に変えさせたり、論破側を「すごい!」と尊敬させたりすることはできないのです。
ハッキリ言えば、論破すればただ嫌われるだけです。
まぁ〜、「論破!」と猛々しく言っている輩は、自分に酔っていて優越感を得たいだけなので、「相手の意見を変えさせる」といったことすら頭にないでしょうけどもね。
このように、ライティングの観点から見ても「論破」という行為は、意味をなさないどころか、相手から嫌われるだけで何のメリットもないことがわかります。
だから、「論破」は愚かなだけなのです。
論破する人と対峙した時の対処法
論破が愚かな行為だとしても、もしも、あなたがネット上で変な輩に絡まれ、論破やマウントをとる人と対峙する事があるかもしれません。
その時は、どのような対応をすれば良いのでしょうか?
私がネット上でもリアルな場面でも、やっている対応策は同じです。
それは、「相手にしない」ことです。
ネット上なら、完全に無視しますし、リアルな場面なら「あっそう」と軽く流して内容は無視しています。
論破やマウンティングは前述の通り、全く意味のない行為ですから、真面目に聞く必要はありません。
一番やってはいけない事は、感情的になってしまい反論してしまうことです。
なぜなら反論したところで、相手の身勝手な価値観で優劣を決めようとしてきますので、何を言っても向こうの価値観では、こちらが負けとなるからです。
つまり、反論すれば向こうの思う壺なのです。
また、論破やマウントを取られて、精神的に相手の下風に立ってしまうのも絶対にやってはいけないことです。
そのような輩に対しては、精神的に絶対に負けてはいけません。
なぜならば「精神的に負ける」というのは、相手よりも劣っていると自ら認めてしまう行為だからです。
その為に表現は良くないですが、「バカだな〜、意味ないのになぁ〜」くらいに思っておけば大丈夫です。
論破されたりマウントを取られたところで、人間としての価値が下がったり、上下関係が決まってしまうことは絶対ないので、マウント取られたり、論破されても何の問題もないからです。
SNSなら、そっとブロックしておけば良いという程度の些細な事です。
このように、論破したりマウンティングする人と対峙した時には、相手にしないことが最善の策になります。
相手はこちらに思わず反論させようと、感情を逆撫でするような言論を続けてきますが、完全無視で構いません。
なぜなら、あなたには「変な輩とはコミュニケーションをとらない」という自由があるのですから。
最後に
ネット上では論破して気持ち良くなったり、それを賛辞する人が多く見受けられますが、そのような輩まとめて私は愚かだと思います。
なぜなら、意味のないことに時間を費やすのは、寿命の無駄遣いですし、他人を多少なりとも傷つけていることに変わりはありません。
今も昔も変わらず「因果応報」という法則があるので、そのような輩は自分のやった責任をとる日が絶対に来ると思っています。
また、そんな時間があるのなら、映画を見たり、読書をしたり、ゲームをしたりして、人生を楽しんだ方が100万倍良いですから。