『100日間生きたワニ』が『カメラを止めるな』だった件
この投稿は『100日間生きたワニ』(以降、生きたワニと略します)と『カメラを止めるな』のネタバレを含みます。ご注意ください。
タイトル変更の意味
映画のタイトルが『死ぬワニ』から『生きたワニ』になったと聞いた時は、<死ぬ>だとネガティブが過ぎるからオブラートに包んでポジティブにしたのかな……くらいに思ってました。
違いました。
漫画が描いていたのは「死に無自覚なワニ」の姿だったり、ワニくんの死によって幸せな日常が儚くも消えてしまう悲しみだったのに対し、
『生きたワニ』はそれだけで終わらず、ワニくんが生きたことをポジティブに受け止められる気持ちになれる物語でした。
『生きたワニ』は『カメラを止めるな』だった
実を言うと『生きたワニ』は『カメラを止めるな』です。
突然こんなこと言ってごめんね。
でも本当です。
物語の半分くらいに、ものすごく大きな分かれ目があります。
それが本編の合図です。程なく大きめのウザキャラが来るので気をつけて。
それがやんだら、少しだけ間をおいて終わりがきます。
物語の折返し地点から本番
上記はコピペ改変ネタですが、いくら監督が同じとはいえ、内容のまったく異なる2作品の構造が類似しているのは興味深いところです。
『カメ止め』では前半「ワンカット・オブ・ザ・デッド」までが前提知識。
『生きたワニ』ではワニくんが死ぬまでが皆さんご存じの前提知識。
そこから、その前提知識があるからこそ笑いが渦巻くのが『カメ止め』、
前提知識があるからこそ複雑な感情が渦巻くのが『生きたワニ』なのです。
『100ワニ』は『生きたワニ』で本当の完結を迎えた
ワニくんの視点では、死んだらその先は無いのだから、死んだ時点で物語が終わるのは当然の構造でした。しかし、そのためにどうしても置き去りにせざるを得なかったものがありました。
遺された人たちです。
彼らのことが気になって、どこかモヤモヤとしたものが残る。
それが漫画版『死ぬワニ』の欠点ではありました。
一応、書籍版ではワニくんの死後が少しだけ描かれましたが……モヤモヤが晴れるほどのものはありませんでしたね。
映画版『生きたワニ』では、決して小さくない時間を<ワニくんの死後>に割いています。ワニくんが死んでしまって悲しい気持ちを、『カメ止め』と同じ構造を使って、今度はポジティブな感情へと昇華させる。
これは凄まじい事だなと思いますよ。
102点くらいつけてもいいんじゃないでしょうかね。
ちょっと甘いかな?蜜柑みたいに。
余談
賛否両論の多そうなウザキャラであるカエルくんですが
個人的には絶妙なさじ加減だなと思いました。
ねずみくんの心情と視聴者の感情のシンクロ率が凄まじい。
最初はとにかくウザい!空気の読めない発言も連発。
でも、だんだん可哀想に思えてきたところに追い打ちをかけるように、
ウザい言動だって彼なりにもがいている姿であったことが判明して涙。
ここの表現、ほんと絶妙なんですよね。セリフの言い回しが。
ハッキリと明言させないところが超好きです。
色々あった。そう、人間、誰しも色々あるんです。
(なんか、キサーゴータミーの話を思い出しました)
そして許されるカエルくん。
再び集う、かつての仲間たち。
そこにワニくんの姿はもう無いけれど、
悲しみを乗り越えた先に、またみんなで笑いあえる未来がある。
大切な人を失ったばかりの人にとってみれば、
未来に光が差すような希望が生まれる素敵な映画だと思います。
ただ、分かりやすく面白おかしい作品ではないので、
全国のお父さんお母さんは「見た目が子供向けっぽいから」という理由で
キッズを連れて行かないようにしましょうね。
上映中、隣の席で退屈そうにしていたキッズが可哀想でした…。