第12話 懐かしい感覚 | 作者:水無月彩椰
「へぇー、これがちっちゃい時の夏月かぁ……。やっぱ子供は可愛いわ。愛すべきは子供と愛玩動物やろっ」
「お前ほんと危険な趣味だからガキに近付くなよマジで。あんなのうるさいだけで害しかねぇだろうが」
「はぁー? ガキの可愛さが分からないん?」
二人はパソコンのモニターを覗き込みながら、幼少期の頃に撮った僕と白波の写真を眺めていた。火種はどこにあったものか、なぜか二人の言い合う声だけが聞こえてくる。それを横目に一瞥しいしい、大型モニターの対面に座っている僕は、無言で白波と顔を見合わせていた。
──彼女がバーチャル空間にいる理由は、あらかじめ二人に説明してある。昔の記憶を忘れていること。それを思い出してもらうために、当時と同じ環境を再現していることを僕は告げた。さらに、白波が僕の初恋の相手だという事実は、この件にほとんど関係がない。単に、昔に会っていたことを思い出してもらいたいだけだ、という趣旨で説明をした。信じられていないだろうけど。
「ねぇねぇ圭牙! 昔の私、どうですか? めちゃくちゃ綺麗ですっごく可愛いと思いませんかっ?」
「確かに綺麗かもしれねぇが、モニターにへばりついてる今のお前は綺麗じゃねぇぞ。出直してこい」
「ステラはバーチャル・ヒューマノイドやし、昔っから顔がまったく変わらんね……。いいなぁ。ウチもずーっと可愛いままでおりたいんやけどなぁ。羨ましいわ……」
お団子頭をポンポンと触りながら、凪はソファ代わりのベッドへと腰かける。圭牙もその隣に座った。……あまりにも動作が自然すぎる、というか、幼馴染の距離感ってこんな感じなのだろうか。兄妹に見えてしまう。凪が妹枠か姉枠かで本人たちは議論したがるだろうけれど。
「……圭牙と凪は、小さい頃ってどんな子だったの?」
「あ? いきなりだなお前」
ベッドの上であぐらをかきながら睨んでくる。常に目つきが悪いだけだと分かってきたから、少し慣れた。
「いや、やけに距離感近いし、兄妹ぽいなって……」
「あっ、それ私も思ってました! 私とマスターみたいですよねぇ……。まだ知り合って数日ですけど。えへへ」
「……これもう完全にステラの惚気やろ」
「ふふん、そうかもしれませんね……? 私はマスターのこと大好きですからねっ。四宮家はみんな優しいです」
座布団を丸めて抱きしめながら、白波は畳の上で足を崩して座っている。少しはリラックスできているようだ。彼女に大好きと言われた僕は、かなり緊張の糸を張り詰めさせることになったけど。そういう意味はなくても、いざ言われると、意識してしまう。悪い気はしない。思わず口元が緩んだのを見て、白波は小さく笑った。
呆れたように溜息を吐く凪に苦笑しながら、僕は上目で白波を一瞥する。ヒューマノイドとしての忠誠心が強いのだろう。祖父のことを優しい人だと言っていたし、僕を含め四宮家と良く付き合えたのも、その性格ゆえか。
「それよりマスター、私、ここに一人ぼっちなのは流石に寂しいというか、暇でして……。なんかして遊びましょうよっ。ちょうど圭牙と凪もいることですしね!」
「じゃあ……何する? しりとりしか思いつかないけど」
「しりとりでいいだろ、簡単だしな。どうしても分からねぇとかギブアップしたら脱落、最後の一人までだ」
「よーしっ、圭牙をボコボコにしてやりますよっ!」
「なんでアンタらいつも張り合ってるん……?」
争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。
◇
「いぇーいっ! 私の勝ち!! です!!!」
結果は白波の勝ちだった。めちゃくちゃ強い。拳を突き上げて喜んでいる彼女の──この数日間で抱いた、白波はポンコツであるというイメージが、音を立てて崩れ去っていくようだった。語彙力はかなりのものだろう。
「いや、ヤバすぎるやろ……なんでノータイムで返してくるん……。ウチらが頑張って考えたのをやで……」
「よくよく考えりゃ、ヒューマノイドはいくら頭がポンコツでも根本的にバカのはずはねぇんだよな……」
いちばん最初に負けたのは、圭牙だった。その次に、意外と……と言っては失礼かもしれないけど、凪。そして僕、白波だ。勉強しか取り柄がないぶん、語彙力にはそこそこ自信があったのに、完膚なきまでにボコボコにされた。おそらく彼女はまだ余力を残している。怖い。
「ステラ、なんでそんなに語彙力があるの?」
「お勉強の賜物ですねっ!」
満面の笑みで白波はそう言い放つ。無慈悲だ。
「逆に、ステラの苦手なことってなんなん?」
「うーん……。ものを覚えること、ですかね」
「うあぁぁぁっ、めちゃくちゃ煽られた……!!!」
本人に悪気はないだけに、凪が不憫すぎる。
◇
それから少しして、お昼どきになった。どうせなら凪に作ってもらいたいという白波の提案で、昼食は炒飯。いわゆる家庭の味というものなのだが、かなり美味しかった。意外に料理もできるらしい。凪や圭牙のことはまだほとんど知らないから、こういうのも新鮮に思える。
「ふぁ……ぁふぅ……。なんか眠くなってきました……」
リビングのソファから立ち上がりながら、白波は欠伸をする。最近はお昼を過ぎると眠い眠いと言うことが多くなった。寿命の近いヒューマノイドはスリープを繰り返すというが、その予兆みたいなものなのだろう。窓硝子から射し込んでくる昼下がりの陽光が、少しだけ暑い。
「あ、マスターも一緒に寝ますか?」
「え、僕はいい」
「そうですか……。昨夜は寝てくれたのに」
「ちょっ、そういうこと言わないの……!」
白波をソファに引き戻しながら、咄嗟に圭牙と凪の様子をうかがう。『あ、人がいないところでヒューマノイドとそういうことやってるんだ』みたいな顔をしないでほしい。頼むから。凪に至っては笑いをこらえてるし……本当にそういう話が好きだよね。薄々、思ってたけどさ。
「アンタら、仲いいんやなぁ……」
「ご明察です! 私とマスターは仲良しなんですっ」
「仲良しの方向性がちげぇだろ」
「あの、誤解なので……! 何もなかったから!」
「あったら困るわっ」
「あーもう、ステラのせいでしょこうなったの……!」
「慰めてあげますっ! 昨夜みたいに抱っこです!」
「いらないっ。余計なことも言わないで……!」
いよいよ僕が赤っ恥をかいてしまった。
◇
それから僕が誤解を解くのに、ときどき白波の邪魔が入ったため数時間が経過した。思った以上に四宮夏月という人間の信用度は低かったらしい。あの二人は僕のことをいったいなんだと思っていたんだ……? 特に凪。
『夏月も年頃の男の子やし、多分そういう趣味があるんやないかなー、と』じゃないんだよ。人間の女の子に手が出せないからヒューマノイドで済ますっていちばん最悪だと思うんだけど……。いやまぁ、絶対にやらない。
「はいっ、お菓子です」
「……あれ、いつの間に」
知らない間に席を立っていた白波が、どこからかお菓子を持ってきてくれた。恐らく昨日、商店のおばさんにもらったうちの一つだろう。今度はクッキーだ。それを僕たち全員に配りながら、彼女はまたソファに座る。リビングの床に射し込む陽光も、夕暮れの色を帯びてきた。
「あ、これ商店のおばちゃんがくれるやつやろ? 売れ残って賞味期限が切れちゃうからー、ってさ」
「だろうな。もらうお菓子はだいたい決まってる」
「あ、そうなんだ……」
「やってることは昔っから変わらないんよ。ここ数年は、やけにくれるようになったけどさ。たぶん島の人たちが一気にいなくなったから、余りも増えたんやろ」
そう言いながら、凪はバター味のクッキーをひとかじり。やや硬めの、サクッ、という音が響いた。「もらっといて悪いんやけど、飽きるほど食べてるんよ、これ」
「私の選択ミスですね……。誠に申し訳ありません……!」
「あー、ステラは悪くないんよウチが悪かった……! だからそんなに深々と頭を下げないで……!」
「お前ら、いつもうるせぇのな……」
「……もはやお互い様だよね」
分かったこと。白波と凪はだいたいうるさい。
◇
──それからしばらくして、夕方の五時頃に圭牙たちは帰っていった。一日を思い出してみると、今日はずっと、こうして遊んでいたことになる。彼らと一緒にいるのも、少し慣れてきたかもしれない。白波のおかげだ。
「今日はとっても楽しかったですね、マスターっ」
白波の立っているリビングの窓硝子からは、アスファルトと民家の屋根越しに海が見えた。海面は斜陽に爛燦と照っていて、そのおかげで、波間の揺らめきがよく分かる。仄明るい夕暮れの色を頬に差しながら、彼女は僕を振り返って、いつものように無邪気な笑みを零した。
「うん、僕も何気に楽しかったよ。ありがとう」
……とはいえ結局、午後からの彼女をバーチャル空間に置いておくことはできなかった。いや、やろうと思えばできたのだけれど──ただ、僕や圭牙や凪と話している楽しそうな姿を見ていると──あの部屋に戻すのは、どこかはばかられた。現実世界にいられることの方が嬉しいと言った白波の言葉に、どことなく重みが増す。
今日だけで、彼女の記憶に関する部分は、どれだけ進展が見込めるかなぁ……と、そんなことを思いながら、夕食のメニューを考える。昨日、買い物に行ってきたばかりだ。きっとまだ、食材はそこそこあるだろう。隣に腰かけてきた白波を横目に、一瞥しいしい思案にふける。
彼女はソファの座り心地を確かめるように、何度か立って位置を調整していた。それから納得のいくポジションを見付けると、白魚のように綺麗な手を膝の上に乗せて、理由もなく足を踊らせる。それからふいと、僕を見た。透き通った群青色の瞳が、蛍光灯の白を映す。
「私、今まで遊ぶことって少なかったなぁと思っていたんですが、一日過ごしてみて分かりました。あの楽しいっていう感覚、ちょっと、懐かしかったりします」
「懐かしい?」
「はい。昔、たまに遊んだことを思い出しまして……。誰と遊んだかまでは、覚えてませんけど。でも、たぶん、おじい様とか、それこそ小さい頃のマスターだったりするのかもしれませんね。その感覚に似てます」
「……そっか。そうかもしれないね」
何がなしに、嬉しくなった。かじかんでいた手のひらが、じんわりと赤みを帯びていくような──温かさに触れた時のありがたみにも似た、そんな感覚だった。白波の言葉に確証はないけれど、それだけでも、嬉しい。
「だからかは分からないんですけど、そう思うと、おじい様が使っていたあの書斎も、どこか懐かしく思えてきます。私はずっと、バーチャル空間の中からあの部屋を見てきましたので。今夜もベッドに寝ていいですか?」
「いいよ。少しはベッドで寝ることを覚えてね」
「はいっ。マスターも一緒に──」
「いや、僕はいい」
「うーん、そうですか……」
しょんぼりとした調子で言っているけれど、その顔は笑っていた。今のは単に、僕をからかうつもりで言ったのだろう。学習の成果が垣間見えた気がして、少し嬉しくなる。それと同時に、夕食のメニューも思いついた。
「よし、今日は素麺にしよっか」
「……マスター、それ、お昼ご飯のチョイスですよ」
「細かいことは気にしなくていいの」
茹でるだけだから楽、というのが本音。「君もちょっとだけ手伝って」と言うと、彼女は無言で頷いた。