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『Ghibli(ジブリ)』と『サン=テグジュペリ』を想うあの偉大なるアニメーターを探る。
どうもこんにちは。珈琲中毒作家の宙唄です。
これまでも数々の『オタク』について『note』して来ました。
今回はあの名監督を生み出したスタジオの由来を探ります。
ちょっとこのテーマ、今日は涙無しでは「note」できないかもしれません・・・。
皆さん、いや世界中の人々が『スタジオジブリ』を愛しています。
実はそのジブリの因果、あのアニメーターを生み出したある人物に由来していると宙唄は捉えています。
ところで皆さんは『ジブリ』の由来をご存知でしょうか?
ジブリの綴りは「GHIBLI」、サハラ砂漠に吹く熱風を意味するイタリア語です。第2次世界大戦中に使用されたイタリアの軍用偵察機の名前でもあり、飛行機マニアの宮崎監督が命名しました。日本のアニメーション界に熱風を起こそうという思いを込めたネーミングだそうです。
なお、本来イタリア語では「ジブリ」ではなく「ギブリ」と発音するのが正しいそうです。
私は紅海(REDSEA)から西、すなわちサハラ砂漠を眺めて熱風を感じたことがあります。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
というフランス人はご存知でしょうか?
『星の王子様』
の作者といえば、誰しもわかるかもしれません。
子供の頃、誰しも一回は手の取った童話。
彼は苦労人で作家として成功する前の仕事は『飛行士』つまり『パイロット』でした。
彼はようやく作家として成功して妻も得てアメリカに亡命して、何不自由なく生きていける状態にあったはず。
その彼は、連合軍のパイロットに志願して偵察機のパイロットに復帰します。そして1944年、還らぬ人となります。
代表作としてあまりにも有名な『星の王子様』は1943年に上梓されていますが、実際に名声を得るのは1945年以降、第二次世界大戦後です。
彼の文字通り「魂が宿った」作品が「星の王子様」になります。
彼の事を愛する人は、彼という人に「愛」を知る事になります。
恐らく『ジブリ』のあの監督もこの飛行機乗りで、「愛」に生きたフランス人作家の在り方、生き方に魅せられて、無我夢中であの名作達を作り出したのではないでしょうか?
サハラ砂漠は飛行士が王子様にあった場所であり、蛇の毒を受け入れて星へ還った場所です。
あのバラ園が、狐が、星の王子様は星へ還っていった場所。
彼は生涯たった一人の女性を愛しました。子供はいませんでした。
彼と彼女の夫婦生活については、いや全ての男女において愛と幸福とはその人の中にしか存在しないもの。
彼には「一輪の薔薇」が心にありました。
彼の残した数々の愛の名言と彼の愛は今?
スタジオジブリの作品を楽しむとき、
飛行士だったフランス人作家の生涯を架けた愛と、サハラ砂漠の風と星の王子様にふと思いを馳せてみるのはいかがでしょうか?
「大切なものは目に見えない。」
「愛とは見つめ合うことではなく、同じ方向を見つめること」
See you next time!!!
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